奇跡

ヤマ

奇跡

「あんたの指紋が、現場のものと完全に一致した」




 播磨はりま刑事の言葉に、鈴木すずきは目を伏せたまま、静かに答えた。


「僕じゃありません……本当に、やってないんです」


「くっきりと指紋が残っていた。状況証拠も物的証拠も、すべてがあんたを指している」




 しばしの沈黙。


 これでようやく、罪を認めるだろうと播磨は思っていた。


 しかし、鈴木は瞼を閉じ、震える声でぽつりと呟いた。


「……例えば」


「ん?」


「まったく同じ指紋を持つ、他人がいたとしたら、どうします?」


 播磨は鼻で笑った。


「馬鹿を言うな。別人の指紋が一致する確率は、限りなくゼロに近い。そんなことはあり得ない」


「限りなく低くても、ゼロではない。ゼロでない以上、それは『起こり得る』。それが、『確率』というものです」


 播磨は苛立たしげに立ち上がり、資料の束を机に叩きつけた。


「あんたは『奇跡』でも主張する気か?」


「それは違います」


 目の前の男が、俯いたまま、言葉を並べる。


が起きたとき、人はそれを『奇跡』と呼びます。けれど――」




 いつの間にか、声の震えがなくなっていることに、播磨は気付けなかった。




「――が実際に起きる。それは、ただの『偶然』と呼ぶんです」




 鈴木が顔を上げる。




 その口元は、微かに笑っていた。




 *




 事件から数ヶ月後。


 遠く離れた町で、同様の手口による殺人事件が発生した。


 その時刻、鈴木は独房にいた。

 監視カメラも看守の証言も、彼の存在を確かに証明していた。




 それでもなお、




 血まみれの凶器から検出された指紋は――鈴木のものと、完全に一致していた。




 *




 その後も、三件の殺人が立て続けに起きた。


 都市も、犠牲者も、状況も、いずれも異なる。


 だが、一つだけ、すべての現場に共通していたことがある。




 ――必ず、「鈴木の指紋」が残されていたのだ。




 *




 世間は混乱し、

 警察は沈黙し、

 科学は答えを持たなかった。


 だが、播磨だけは知っていた。


 あの日、取調室で、鈴木が静かに口にした言葉を――


 


 *




 『奇跡』は、それが起きた瞬間に、ただの『現象』になるんですよ。




 *




 ある朝。


 播磨が寝室で目を覚ますと、隣で妻が冷たくなっていた。


 壁には、血で押し付けた手形が残っていた。




 ――くっきりと、指紋の形を描いたまま。




 *




 鉄の檻を出るとき、鈴木は誰にも聞こえない程の小さな声で、静かに呟いた。








「ようやく、『奇跡』が証明してくれた」

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奇跡 ヤマ @ymhr0926

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