第2話
………………白い光の中にうっすらと音が生まれた。
一つ、奏でる。
余韻を残して消えて行く。
また一つ、鳴った。
(………………鐘のおと……)
重い身体は起きない。
でももう一度鐘の音がした。
古いけれど、柔らかい音色だった。
ぴくと死んだように固まっていた指先が動く。
翡翠の瞳がゆっくりゆっくりと開いた。
……淡い光が眼の中に入って来る。
自分の白い指の先に、小さな鳥の影が動いていた。
メリクは身じろいだ。
身じろいだ途端、足にまず激痛が走った。
呻いて膝を抱える。
しばらく身体を縮めていたがやがて痛みが少しだけ和らぐと、ゆっくりと上半身を起こした。
ぼんやりと上を見上げる。
天窓から太陽の陽射しが降り注いで来ていた。
そこに小鳥が留まっていて小さな声でさえずっている。
メリクはその強い陽射しを眼を細めて、見つめたままやがて周囲をゆっくり見回した。
小屋の壁の端は濡れていた。石の床の隙間から染み込んだ雨水が、冷気で凍ったのが、溶け出しているのである。
向こうの天井は雨漏りをしていて、その下に置いてあった木箱は水に浸り切っていた。
樽いっぱいに溜まった水に天井からの雫が落ち波紋を生んでいる。
そのとき、メリクは自分のすぐ周りを見回していた。
……そして、自分の影が天窓から差し込む太陽の光の中に、
丁度すっぽりと収まっていることに気づいたのだった。
何も分からず勢いで倒れ込んだその一画だけ、光が当たっていて温かい。
床から上に向って立ち上るのは熱で霜が溶けていることを示す湯気だった。
この身体が転がるそこだけが、小屋の中で太陽に照らされている。
これは全く偶然のことだった。
強い陽射しだ。
熱いほどの。
朝からずっとこの光が照らしていたのだ。
もう少し奥で転んでいたら。
今日が晴れず、まだ雨が降り続いていたら。
こんな冬に珍しい熱い太陽の差す日でなかったら。
自分は間違いなく凍えて死んでいただろう。
陽射しから少し離れていた足の先だけは、まだ濡れていて冷たい。
でも全身はあんなにも濡れていたのに、もうほとんど服も乾いていた。
メリクは少し呆然としていた。
石の床を手の平で触る。
白い光の中、今は熱いほどの石の感覚。
この熱が自分を冷たい死から守ってくれていたのだ。
しばらくぼんやりと光を見上げていた。
そのメリクの翡翠の瞳から、涙が一つ伝った。
粒がぱたと床に落ちると、あとは両の目から次々と零れて来る。
自分を孤独の生にし、そして自分よりも孤独な王子に引き合わせた運命の神には、すでに心を閉ざして久しいが。
……それでもその時のメリクには、
何者かに生きなさい、と言われたような気がしたのだった。
柔らかく心が溶けて行く中で涙が零れ続けた。
メリクは両手で顔を覆って白い床に額をつけた。
腕を伸ばし、熱を帯びる石を体全体で抱きしめる。
頭上で優しい鐘が鳴っている。
(光はまだ僕を照らしてくれた)
だから生きていくんだ。
サンゴールを捨てて、
想いを捨てて、何もかも捨てて、何も無くなったこの身一つでも。
何も見えなくても。
理由が見えなくても。
(空の光が僕をまだ照らすから)
――――ただ、生きていくんだ。
【終】
その翡翠き彷徨い【第45話 雨霧に消える】 七海ポルカ @reeeeeen13
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