六月の果実

香久山 ゆみ

六月の果実

「さくらんぼの、あのあか色は虚構じみている」

 そんな私の訴えに対して、「着色料を使っているのはシロップ漬けのものだけで、さくらんぼはもともと赤いのだ」と言って、小さな赤い果実を差し出す。

 ふた粒が細い軸で一対に繋がっていることさえ嘘くさい。

 ぶつくさ文句をつけるにかこつけて、さり気なく目の前の顔を窺う。寒い国の人だからか、彫りが深くて濃い。役者にでも向きそうだし、そんなだからいちいちやることが大袈裟なんじゃないか。そう思ったりするけれど、泣かすと悪いのでそこまでは言わない。

 久々の対面にも関わらず、自然に距離が近い。もてるのも道理だ。

 息を吐くとともに、ふと卓上を見ると、ニコイチだったはずのさくらんぼが一粒しかない。

 視線を向けると、「君が食べたんだろう」と笑って悪びれもしない。私は食べてない。

「食べたのはあなたでしょう。さくらんぼが好物だから」

「別に好物じゃあない。好きなのは、五月の青葉」

 気障きざなことを言っておきながら、自分で勝手に照れている。はにかむ様子が憎めない。

「ふん、若くなくて悪うござんしたね」

 憎まれっ子の私は、憎まれ口を叩く。本当に、かわいくない。疲れているのだ。

 労基に駈込かけこみ訴えしようかと思うくらいに働きづめで、くたくたで、それでも今日が六月十九日だということは覚えていて、せめて掌編一つくらいは読もう。帰ったらそのままぶっ倒れて寝てしまいそうだったので、喫茶店に寄った。学生時代に揃えた新潮文庫の黒い背表紙が家にあるはずだけど、怠惰な私は本棚から一冊取り出してくることさえ億劫で、スマホから青空文庫のサイトで作品を開く。

 私が嵌まったきっかけは、高校の国語の授業で読んだ『富嶽百景』だ。それまでは、漫画ばかりで、小説なんて真面目でつまらないものだと思っていた。初めて文章表現の面白さを認識した。へっ、師匠のおならを敬語使って書くの。って。

 久々に読んだ作品は、富士山麓を舞台に結婚相手との出会いが描かれ、生きる力強さに溢れている。

 こんなにも素晴らしい作品を書いて、ひとりぼっちでもなくて、なのにどうして……。

 問い掛けるように顔を上げると、そこにはただガラス窓に自分の顔が映るばかり。手を伸ばそうとした一粒のさくらんぼさえ消えてしまった。

 代わりにテーブルの上にあるのは、太陽の果実。

 そうだ、さくらんぼケーキを注文しようと思っていたのに、メニューは先週で終了していたのだ。今週からの季節のデザートは、甘夏のタルト。

 ゼリーに包まれてピカピカと黄色く輝く果実にフォークを刺す。酸っぱい。

 夏が、来る。

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