隙間人間

ゆぐ

隙間人間

 もうこの隙間に入って1週間が経った。暦上はまだ春だというのに、日差しは容赦なく刺してくる。しかも、壁からの照り返しが凄まじく、油断をして肌が壁に接触すると、火傷してしまう。

 そもそも私がなぜ、こんな建物と建物の隙間にいるのか。最初はこれと言った理由はなかった。隙間との出会いは、近所をブラブラと散歩をしていたときだった。就職活動に失敗し、人生に絶望し、親のメンツを気にし、私なんてこの世にいらないんじゃないかと思った。死に場所を探し、近所を散歩していた時に、この隙間を見つけた。無性に惹かれた。この隙間が呼んでいるような気がした。誰もいないことを確認し、その隙間に入ってみた。最初はどこか異世界のように感じ、初めて友達の家の敷居をまたぐような、高くもなく低くもない、超えられないようで超えられる、迎えられていないようで、迎えられているそんな気がした。次第に身体が、壁が、お互いに浸透していくように馴染んでいった。家にいる以上の心地よさ。一生ここにいたいと思った。 

 それからの行動は早かった。家に戻り、家中の食料と水、保冷剤に、寝ぼけて買ってしまったキャンプ用の寝袋、ハンディーファンに、モバイル充電器をあるだけ揃え、カバンに詰め込み、例の隙間に戻った。これから自分の第2の家になる場所、初めての一人暮らし。なんという心地よさ。2回目なのに隙間に入ってそうそう思わずため息が漏れた。

 隙間の幅は、膝を目一杯胸に着ければしゃがめる。狭いがそれがいい。あと単純に問題なのが、生理現象だ。歯を磨いたり、体を拭いたりは1日1回で済む。近くの公園に行って誰にもバレないようにすればいい。でも1日に何回も襲ってくるこの現象は、抑えようにも抑えられない。だから、なるべく食事や飲み物は取らないで過ごしている。家に戻って、用を足すのもいいが、なるべくこの場所から離れたくない。仕方がなく小さい方はペットボトルに、大きいほうはビニール袋にした。でも溜められる限界はいつか来る。だから、1日の回数を減らすために、なるべく食事や飲み物は摂らないように過ごしている。

 今特に悩んでいるのが、暑さだ。今ここにいる隙間は、ちょうど東と西に面しており、日差しを遮るものや建物が一切ない。常に日差しがつきまとう。猛暑に次ぐ猛暑。ジリジリと騒ぎ立てる酷暑に、毎日頭がくらくらする。それでも隙間生活は楽ではないが、天国でしかなかった。

 そしてこの生活を始めだしてから、病みつきになってやまないことがある。それは、この隙間から通り過ぎる人間を見ることだ。ほんの3,4秒、目の前を人間が通るその瞬間をこよなく愛すようになってしまったのだ。何がいいかって、なんの変哲もないこの隙間に人がいると、誰が思う。大抵の人間は、スマートフォンに夢中か、誰かと電話しているか、誰もいないと勝手に勘違いして、大きな声で歌っていたりとかしているが、私は見ている。そしてもし、誰かによってこの隙間に入っている私が見つかったらと思うと、スリルによる変なアドレナリンが出てくる。鬼ごっこをしている感覚に近い。見つかった瞬間、私は動じずに相手の目を見るだろう。だって、その人はどういう反応をし、どのような言葉を発し、どうするのか。それだけが知りたいのだから。ただそれだけ。その一心で今ここにいる。たぶん、今やっていることは、何かしらの法律に違反している気がする。それでもやりたいのだ。やめられないのだ。そして今日も、誰にも気づかれぬまま、日は西へと落ちていった。


 東の日差しが出てくる少し前に目が覚めた。この生活が慣れたとは言え、身体はどこか痛い。いつものように隙間から出て、近くの公園に歩いていく。早朝の公園は、静かなようでどこかうるささを感じる。歯磨きをし、顔を洗い、またあの隙間に戻る。朝ご飯は、コンビニの値引きされたシャケおにぎり2個と、麦茶。窮屈にしゃがみ、食べながら、誰かが通るのを待った。

 夕方。家路を急ぐ時間。遠くの方から、大人が喋る声と、子供がはしゃぐ声が聞こえた。近寄ってくる声に耳を立たせ、目を合わせる準備をする。人の影が2つ、忍び寄る。

 ──来た!

 目の前に現れた小さな幼稚園児ぐらいの子供。子供は立ち止まり、一言も発さず、私の方を指さした。母親は子供の手を引っ張るが、子供がどこにでもある隙間を指さしていることに興味を示したのか、母親も私のいる隙間を覗いた。母親は、子供とは正反対のリアクションをとった。仰天し、声を上げ、その声を上げた自分に驚き、口を瞬時に覆い隠し、少し待ったあと、息を呑み、唖然とし、数歩後ろに下がった。子供は相変わらず私の方を顔色を変えずに見ている。母親は、身の危険を感じたのか、急いで子供の手を掴み、私の前から立ち去った。私は親子を追うように隙間から出た。母親は子供抱きかかえ、全力で走っていった。子供は相変わらぜ私の方を指さし、見続けている。何を思ってずっと指をさしているのかわからないが、興味を示したのだろう。あの隙間にいて本当によかった。

 なんと表現していいかわからない高揚感が、私の体を血管を通して指先から足先、髪の毛の先端まで、駆け巡る。その成果、身震いまでしてきた。これは確実にキマってる。誰も考えたことがないだろう、建物と建物の狭い隙間に人間が住んでいることを。これが私が待ち望んでいた世紀の瞬間だ。もうこうなったらやめられない。〇〇中毒になった人間の行動と表情は完全に普通ではなくなる。身を持って理解できた。

 今思えば、この隙間を見つけられたのは、必然だったのかもしれない。生まれてからこの隙間を見つけるまで、この気持ちを味わうまですべてが運命で、必然だったんだ。この隙間は、出会うべくして出会った隙間。そしてあの親子も出会うべくして出会った親子。全てが必然で、出会って気づく。

 私は茜色に彩られた空を見上げた。深く深呼吸をして、またあの隙間に戻った、誰かが来ることを望んで。

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