エピローグ

 朝から降りはじめた雨は、季節外れの冷たさを帯び、午後にはビルの窓を強く打ちつけていた。帝都中央、オフィスが立ち並ぶビル街の一角にある『魔導技術ジャーナル』編集部に一本の電話が入った。

 主任が受話器を取り、一瞬の沈黙の後、表情を曇らせた。


「はい、そうですか……分かりました。ご連絡ありがとうございました」


 主任は受話器を置くと、隣の島のデスクで作業中だった、金髪ボブの若い女性編集者を呼んだ。


「リリィ、ちょっといいか?」


「何でしょうか?」


 彼女は振り返り、主任の元へやってくる。


「カイ・ヴェルティア博士が、お亡くなりになられた……」


「ええっ!?」


 リリィが驚きの表情を見せた。


「今月号の原稿、差し替えはまだ間に合う。追悼記事いけるか? 3年前にインタビューした時のデータ、まだあるだろ?」


「……分かりました。やらせてください」


 リリィはデスクに戻ると、引き出しからイヤホンを取り出し、薄型端末へそっと挿し込んだ。音声データを開くと、一息ついて、再生ボタンを押した。


「──言葉には、力が宿るんです」


 懐かしい声が聞こえると、リリィはゆっくりと目を閉じた。外の雨音が徐々に遠くへ霞んでいき、やがて、あの日の光景が浮かぶ。



 ──3年前。


「──ねえ、先輩。ヴェルティア博士って、どんな方なんですか?」


「あのなぁ、『魔導術ジャナル』の編集者なのに、その質問はないだろ。──いくら新人とはいえ」


「えぇ? そんなこと言ったって、よく知らないんです」


「ヴェルティア博士といったら、現代魔導技術の父と呼ばれる方だぞ。十年前に帝国大学魔導学部の学部長を退官された後も、名誉教授として今なお後進の育成に当たられている、その道の第一人者だ。失礼なこと聞くなよ?」


「もぅ、分かってますよ〜」


 帝国大学敷地内の並木道を抜け、やがてふたりは博士の部屋へ辿り着いた。


 先輩が挨拶する。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」


 研究室は簡素な造りであったが、壁一面の書架には隙間なく書物が収められており、机の上には、付箋だらけの書物や論文、手帳の類が積まれ、今なお研究の最前線に立つ生活が伺えた。


「本日は、博士の四十年にも及ぶ研究者としての半生を振り返るという内容で、お話を伺えたらと思います」


 カイは穏やかな微笑みで応じた。


「まず始めに、博士を語る上で、やはりその経歴は外せません。元は軍の研究者だったとか?」


「ええ、軍属技官でした。あの時代は、軍が、研究や開発の最先端でしたからね」


「博士は、当時、軍が主導で取り組んでいた、新型エネルギー供給システム開発のメンバーだったと伺ってます。その頃についてお聞かせください」


「そうですね。あの頃は、新型システムの成功のために、それまでの理論を根底から覆すような、新たな理論の必要性が高まってました」


「──意味推論機構ですね?」


「ええ。旧来の詠唱や術式の仕組みとは全く異なる、簡単にいうと、言葉の意味や思いでマナを共鳴させるという考え方です」


「それまでとは全く異なるアプローチで、何かこう、まるで天啓のような革新的な機構ですが、きっかけはあったのでしょうか?」


 カイは目を細め、懐かしそうに答えた。


「……エルフの──研究員の方に随分と助けられました。彼女がある時詠んだ詠唱に衝撃を受けたんです。それが最初ですね」


「なるほど、詠唱ですか。当時の詠唱研究は音声解析的アプローチが主ですが、博士の場合、詠唱を語彙意味論的アプローチで並列補完することにより、マナの複雑な挙動を制御するという、画期的な手法と言われてます」


 カイの瞳の奥の色が深くなった。


「──言葉には、力が宿るんです。そして〝思い〟が言葉を形作るんですよ」


「あの〜、失礼かとは思いますが、最先端の科学者らしからぬ、とてもロマンチックなお言葉ですね」


 リリィが口を挟んできた。先輩は苦い顔をしたが、カイは嬉しそうに笑った。


「ははっ、そうなんですよ。技官時代にも上官に笑われました。詩的すぎるって」


 リリィは悪びれもせず、釣られて笑顔になった。


 先輩が咳払いをする。


「ゴホン、──現在、このシステムは帝国の各産業の重要な基盤となっていますが、システム立ち上げと共に退役され、学究の世界へ入られたのは、どういった思いからだったんでしょうか?」


 カイが、手元にあった翡翠色のインク瓶の縁を撫でながら、目を細めた。


「……やはり、あの詠唱に衝撃を受け、言葉が持つ響きや意味に魅せられたからでしょうか。魔法陣理論と術式が専門だった私には、それが新たな地平に感じられました」


「研究を始められた当時は、周囲になかなか理解されなかったと伺ってますが」


「ええ、古代の魔導士にでもなるつもりか、なんて言われてましたよ」


「しかし、意味推論機構をさらに発展させ、それが従来の魔法陣理論と魔法語理論の懸け橋となり、やがて『統一理論』の確立へと至ったわけですが」


 カイは優しく頷く。


「現代の魔導技術は統一理論なしには語れません。この統一理論に、後進の方々にどのように取り組んでもらいたいとお考えですか?」


 カイは、しばし考え、口を開いた。


「……思いが、言葉となる。そして、言葉が世界を形作る──」


「抽象的かもしれませんが、このことを大事にしてもらいたいと思います」


「博士、本日は、ありがとうございました──」


 ここで、リリィがまた口を挟む。


「博士、そのエルフの研究員だった方とは、今でも交流があるのでしょうか?」


 先輩がため息混じりの息を吐いた。


 カイは窓の外に視線をやり、答えた。


「……いえ、生きている時間が違いますから」


 ──ふたりが帰った後、カイはインク瓶をそっと手に持ち、いつまでも見つめていた──



 ──再生が終わると、やがてリリィの耳へ、また雨音が届き出した。リリィはゆっくりと目を開くと、長い息を吐き、そして端末のキーボードを打ち出した。



 二日後、中央街区の教会で、博士の葬儀が営まれた。一昨日の荒れ模様が嘘のように、空は澄み渡っていた。

 現代魔導技術の第一人者の葬儀には、学会関係者だけでなく、産業界や軍関係者など、多数が参列していた。その中にリリィと主任──先輩の姿もあり、彼らは最後列の席に居た。


 やがて、葬儀も終わりに差し掛かり、パイプオルガンの調べとともに賛美歌が流れた。その時──


 賛美歌の調べに併せて、女性の澄んだ歌声が、まるで柔らかな風のように空間を満たしていた。どこか遠くの方から聞こえる微かな響き。大半の人には聞こえていないだろう。しかし、なぜかリリィには、そのどこまでも澄んだ美しい響きがはっきりと届いた。


 ──賛美歌が静かに終わった。リリィは、少し俯くと目を伏せ、そして、少しだけ微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帝国魔導技官の実験日誌 柊ユキヤ @tonton1234

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ