第33話 思いを伝える

 帝国と王国──二つの大国が、同時刻に実験を開始した。


 帝国陸軍工廠第三魔導技術試験棟。白い光が静かに差し込む実験室に、緊張が張り詰めていた。

 部屋の中央にある実験槽には、新型宝珠が重重しく存在感を放っている。宝珠は淡く、しかし鈍い光を放ち、その時を待っているようだった。


 周囲の技官たちも、息をのみ、目だけでその時を見守っている。


「まもなく開始。制御式、入力完了。マナ流量、基準値で立ち上げます」


 オペレーターが報告した。


 時計のカウントが、その時を告げる。


 「──起動!」


 オペレーターの声と共に、宝珠の内部から深い青光を放ち出す。幾重にも重なる起動式が微かに共鳴し、辺縁に描かれた制御陣が順に発光する。


 カイは、宝珠をじっと見つめていた。全身を貫くような緊張と、確かな確信が同居している。──あの詠唱に、すべてを賭けたのだ。



  ◇ ◇ ◇



 同時刻、王国南部の山岳地帯。巨大な詠唱実験施設の観覧席には、参謀本部の高官、情報局の要人、外交部の代表者らが連なり、新技術の成否を眺めていた。他国の大使らしき人物も同席し、「世紀の実験」の観察者を演じていた。


 そんな空気の中、開発部長は、まるで独り言のように低い声で、隣にいた部下に呟いた。


「干涉リスクは、完全には払拭できなかったな……」


 実証実験の後も干渉対策を講じてはきたが、詠唱──しかも五人の詠唱士それぞれの微細な音韻、抑揚、さらにはそれらを合成したものを魔法陣へ送り込むためには、フィルタリングも最後のところで限定的にせざるを得なかった。まるで針の一穴のように。


 そして、魔法語協会由来の文献群は、たしかに技術の向上に大きく貢献した。しかし、何か一欠片足りないような気がして、開発部長の胸にずっと引っかかっていたのだ。


 彼が逡巡している間に、五名の訊唱士が中央の魔法陣の上に並び立つ。そして手順に従って、低く、しかし緊緩な詠唱を開始した。

 その声が重なり合い、中央の大陣に波綿のような光が走る。次第に位相が揃い、魔力の律動が空間全体に伝播していく。


(無事に終わってくれ……)


 開発部長は祈るような気持ちで見つめていた。



  ◇ ◇ ◇



 帝国北部、テュラン地方の山麓に佇む、修道院跡地の講壇。リィエンは、一人その場に立っていた。


 カイから託された詠唱。それは、祖語ではないにもかかわらず、思いを強く感じる響きだった。


 ──この詠唱は、ここで詠むべきだと感じた。


 太古より先人たちが思いを伝えてきた、この場所。ここなら自分の思いが確実に届く気がしたのだ。


 彼女はそっと目を閉じる。風の音、鳥の囀り、樹々のざわめき。その中に混じるように、彼女の澄んだ声が礼拝堂の中に溶け出す。


 徐々に、講壇の足元に刻まれた魔法陣が淡く発光する。中央に彫り込まれた文字「Arinai vel-en nas torai」──「我らの言葉は、神との契約」が青白い光を放つ。そして、その輝きに呼応するように、周囲の空間にマナ粒子が現れ、ゆるやかに舞い始めた。リィエンの瞳には、微かに涙が滲んでいた。


 ──言葉は、ただの音ではない。 ──思いを伝えるために、何千年も前から編まれてきたもの。



  ◇ ◇ ◇



 帝国・第三試験棟。宝珠の輝きは、確実に増していた。オペレーターが焦りの色を滲ませて報告する。


「振幅増大中! しかしマナ流量……変化ありません!」


 異常とも思える安定状態。意味推論機構の動作状況を示すランプも緑色を保ち、正常に処理がなされていることが確認できた。しかし、これほどまでに精密な制御が可能だとは、誰も予想していなかった。


 次の瞬間、宝珠の周囲に複数の魔法陣が自動的に浮かび上がり、ゆっくりと回転を始める。やがて宝珠は閃光のように輝き、室内には無数のマナ粒子が出現。その粒子たちが干渉し、光の奔流となって室内を満たしていく。


 ──そして、色が消えた。


 世界から音も形も奪われ、ただ光だけが支配する空間。


「……これは……まるで……魔法だ……」


 カイの背後から、技官の呟きが聞こえた気がした。


 その刹那、輝きは収束を始め、世界に色と輪郭が戻り始める。まるで、夢から覚めるように。


 ──静寂の後、室内に響いたのは拍手だった。そして歓声。


「成功だー!」

「エネルギー革命だ!」


 隣のウルバイン少佐が、満面の笑みでカイの肩を叩く。


「中尉、やったな!」


「これで我が国のエネルギー供給体制は、また一歩先に進んだな」


 奥で控えていたラキネル局長も、無精髭を撫でながら呟いた。


 カイの胸には、抑えきれぬ想いが湧き上がっていた。理論の正しさが証明され、新時代を切り拓く鍵が動いたのだ。カイは思わず拳を握りしめる。


「カイ、今夜はお祝いだ!」


 レインの声が、どこか遠くで聞こえた。



 その夜。遅くまで飲み明かした開発課の仲間たちと別れ、宿舎に戻ってきたのは深夜だった。


 カイはふらつきながら上着を脱ぎ、無造作に椅子にかけた。その拍子に、内ポケットから一冊の手帳が落ちた。


 拾い上げ、何気なく頁をめくる。ふと目に留まった一節。


 ──実験を終えた私へ。


 その瞬間、表情が強張る。カイは食い入るように続きを読んだ。信じられないという感情と、技術者としての理解が、波のように押し寄せてきた。

 なぜ、自分はこの文を残したのか。なぜ、リィエンに詠唱を託したのか。そして、なぜ、対干渉機構がバイパスモードだったのか。


 言葉では説明できない感情が、胸の奥からあふれ出す。喜び、安堵、哀しみ、絶望──すべてが溶け合い、涙となって頬を伝う。

 膝を折り、床に崩れ落ちる。そして、嗚咽が静かな夜を満たしていった。


 ──いつのまにか、東の空に、うっすらと青白い光が満ちてきた。



  ◇ ◇ ◇



 翌朝、帝都と王都の新聞には、揃って大きな見出しが踊った。


《帝国、新型宝珠実験に成功 革新的エネルギー制御へ》

《王国、詠唱型エネルギー供給機構の実証成功 軍事・民生転用に期待》


 それは、新しい時代の幕開けを告げる紙面だった。だが、そこには誰の詠唱も、誰の涙も、記されてはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る