我々人間は、この世界をあるがままに捉えることができません。我々は感覚器を通じて得た情報を脳内で処理・統合し、再構成することで世界を知覚します。そうやって我々の頭の中に構築された世界は、当然ですが我々の「物事を捉える枠組み」の影響を受けます。極端な話、わたしの見ている世界と、他人の見ている世界は別物なのです。
このお話を読んでいて、そのことをつくづく再認識させられたことでした。
主人公・リュクルスの「物事を捉える枠組み」は我々とはかなり大きく異なります。そして彼はそれを自明視している。彼にとって、自身の属する枠組み以外の世界は存在しないといってもいいのですね。それはラケディアという共同体のありかたとも深くつながっている。
そんなリュクルスが、謎めいた声の呼びかけによって、自身の「正気」を揺るがされる。将来を嘱望されたエリートだったリュクルスは、一転して異端児となり、共同体を事実上放逐され……さすらい人となります。そしてその過程で、自身の「物事を捉える枠組み」を再考し、それが不変でも普遍でもないことに気づかされるのです。
その過程を描く手付きの鮮やかさ! 『汝、暗君を愛せよ』でも、登場人物の心理の綾の描きかたの巧みさ、繊細さに心打たれたものですが、本作でもその技巧は健在。ハードボイルド小説を思わせる、ストイックで硬質、抑制的な語り口がかえってリュクルスの動揺、煩悶、苦悩、そして変化の有り様を生き生きと伝えてくれます。
そうやって、リュクルスの眼前でその相貌を変化させていく世界……そこから徐々に明らかになる世界の本当の姿は、想像以上に過酷で非情なものです。リュクルスたち、ラケディアの市民が「魔物」と呼んだ存在は本当は何ものだったか……うっすら想像はついたのですが、それでも開示された真実はやはりショッキングなものでありました。こうした、世界の根幹に関わる部分に触れるスリリングな展開はSF的でもあり、一介のSF好きであるわたしにとっては嬉しい部分でもありました。
共同体を追われ、心もとない「隊列」とともにそれでも歩き続けるしかないリュクルス。変化し続け、揺れ動く世界の向こうに、彼は何を見出だすのでしょうか。その果てに待っているのは、いったい何なのでしょうか?
興味はつきませんが、今は一読者として、リュクルスの旅路をただ見守りたいと思います。