第24話 十人十色
坂本くんはボールが消えてしまったと慌てふためいていたけれど、何も本当に消えてしまったわけじゃなかったのだろう。
ただ犯人の手によってそれがボールだと思えなくされていただけで、ずっと彼の目の前にあったのではないかなと思う。消えたとされるバスケットボールは、跳び箱というガワで覆われていただけなのだ。
だけど高野先生は、鬼柳ちゃんの推理に異議を唱える。素直に認めてくれやしないらしい。あのいつもしている面白くなさそうな顔のままで、にこりともせず話す。
「確かに跳び箱の中は空洞になっていたな。だが考えてもみろ、あんな狭い物の中に、二十四個ものボールが入るものか?」
さすがのバスケ部顧問だった。
しれっとボールがいくつあったのかを言ってのけている。そうか。ボールは二十四個もあったのかとぼくは頷き、おや、と首を傾げる事になった。それは誰にでもできる真似なのかと思ったのだ。
ちょっとばかし凄い事じゃないかい?
だけど我らが探偵、鬼柳ちゃんも負けてはいなかった。先生の仏頂面なんてものともせず、クリッとした目を大きく見開きながら挑むような視線を向けている。
とても生き生きとした表情だ。
あまりぼくに見せてくれる事のない、持ち前の大人しさもどこ吹く風だった。微塵も感じさせる事はない。感情が昂ぶっている所為なのか。それとも、頼られた義理を果たそうと躍起になっているのか。
或いは推理する上で発覚した、坂本くんの妹を慮っての事だったのかもしれない。
追及するその手を弛める様子はなく、スッと先生の手元に向けて指をさす。先生の手には、ぼくらからの招待状がしっかり握られている。その中には手紙と共に入れておいた、ある忘れ物があったはずだ。
「先生はそれを使ったんです」
その言葉を受け、先生は封筒からコロンと忘れ物を取り出した。
摘み上げたのは、空気針。
「ボールがそのままだったら、跳び箱に全部は入りません。でもボールなんです。その空気針でこう、ポコンと空気を抜いておいたら大丈夫。入っちゃうと思います」
恐らくは空気を抜いた事のない鬼柳ちゃんが、妙な効果音と共に話す。はて、そんな音だったかなと思いもするけれど、その方法を使えば跳び箱にだって収まる。
それはぼくが目論んだ方策であり、先生が誘いに乗ってやって来た理由でもある。体育館に現れた事が、鬼柳ちゃんの推理が合っていることを如実に物語っていた。
ポコンと空気が簡単に抜けるならそれでいいけれど、そうでなくとも構わない。
何も完全に抜きさってしまう必要はなかった。ある程度抜き、ボールがペコペコになったら針を刺したまま跳び箱の中に隠しておく。すると翌朝にはすっかりと空気も抜けている事だろう
そうしておけば、手ぶらで体育館を後にしたという坂本くんの証言とも合致する。完全に空気の抜けたボールは、翌朝ゆっくりと回収すればいいだけの話だ。
だって、第一発見者は先生なのだから。
「どうしてそんな面倒な事をしたと思う」
先生がゆったりとした所作で腕を組み、ふぅむと何度も頷くものだから、まるで授業を受けているような気がしてくる。そんな風だからか視線は自然と外れていく。普段の癖が出ちゃったのかもしれない。
授業中は先生と目を合わせちゃダメだ。先生は当ててくる生き物なのだから。
「どうだ、鬼柳」
ほらね、言わんこっちゃないと少し得意気に視線を戻すと、
「ナイフが落ちていたからです」
探偵は難なく答えている。
「先生は知っていたんですよね。周りにひとがいて、体育倉庫が見張られている事を。その落ちていたナイフで悟ったんです」
生徒が自信満々に言い切ったのに、
「なぜそう思う?」
と問いてくる。
まったく、これだから教師は侮れない。でも──。
「だって先生、驚きませんでしたよ。二階で生徒が音を聞いていたって言った時は。二階にいた事を知っていたからですよね?」
ニコッ、と笑顔を向ける鬼柳ちゃんの方が一枚上手だったのかもしれない。
誰かが体育倉庫を見張っている。
少なくとも高野先生はそう把握していたはずだった。坂本くん個人が特定されていたかは微妙な所だけど。はて、どうなのだろう。
「先生は見張っていたのが坂本くんだと、知っていたんですか?」
探偵の問いに犯人は答えず、眉間のしわを深く刻み込んだ。もう既に細くなっている目を殊更に細くする。ひょっとしたら高野先生は、島田先生から坂本くんを帰した事を聞いていたのかもしれない。
「そう、知っていたんですね」
鬼柳ちゃんはどこか嬉しそうに何度もこくこくと頷いていた。
先生は知っていた。そして気が付いていたのだろう。彼のその目的でさえも。このまま放っておけば、坂本くんはナイフを手に凶行に走ると考えたに違いない。
高野先生の顔付きが渋くなっていくのと対照的に、鬼柳ちゃんの表情は柔らかくにこやかな物になっていく。何も、困窮する先生を目にして喜んでいるわけじゃないだろう。
それだと性格がちょっぴりと良くない。
ぼくが彼女の何を知る訳でもないけれど、たぶんそうではないのだと思う。にこやかにほほ笑むわけは別にあるのだ。それは予想だにしない事で、つまり。
「先生は、坂本くんを庇ったんですね」
向けられる笑顔に先生はふいっとそっぽを向き、居心地を悪そうにしている。
「そんな事はない。思い込みも甚だしいな」
せっかくの否定の言葉にもううんと小さく首を振り、大きな瞳は先生を逃さなかった。
「坂本くんはその後、倉庫内を探しているんです。でもボールもナイフも見つからなかった。先生が拾って、隠したからですよね」
ボールを隠してしまえば坂本くんは凶行に至ることが出来なくなる。当然だった。ボールがないのだから。ナイフも失っていたのなら尚更の事だった。
すっかりと口が重くなってしまった先生に代わって、うっかりとぼくも軽い口を挟む。
「じゃあさ、鬼柳ちゃん。ナイフがボールに刺さっていたのはどうしてなんだい」
きょろりと瞳がこちらを向き、ピシッと指をさされる。犯人は守屋くんねとでも言い出してきそうなのでちょっと警戒する。
「動かずにじっとしていなさい」
「ええ」
怒られたと思っていたら、鬼柳ちゃんはふふっと悪戯っ子みたいに笑っている。
「あれはね、坂本くんへのメッセージだったのよ。動かずにじっとしていなさいっていう、先生からの警告だったのね」
ああなんだ。ビックリしたなあ、もう。
坂本くんもぼく位にはビックリした事だったろう。そしてじっとして、黙っておくしかなかったはずだ。犯行に使われたのは彼のナイフだったのだから。
名乗り出ていく訳にはいかないだろう。
犯人にされてしまうのは火を見るよりも明らかだったと言える。黙って先生の思惑に従う他に道はない。それに結果を見れば、坂本くんのしたかった事は全て叶っている。
部活動は活動停止へと追いやられた。
だとすれば、彼としてはもう何も言う必要がなかったのだろう。小さな探偵に追い詰められないでもしない限りは。
同じくして追い詰められている先生は、ぶっきらぼうに言ってのける。
「良く考えてもみろ。そんな事をする理由が、俺にあると思うのか」
「それは、──その」
鬼柳ちゃんは開きかけた口を徐ろに閉じて視線を下げ、言葉に詰まってしまった。推理出来ていないという訳ではないのだろう。きっと言い淀んでいるだけだった。
まあね。ここから推理を進める為には、一度先生の心を抉らなきゃいけなかった。いくら必要な事だとわかっていても、それはあまり気乗りのするものではないはずだ。
しかたない。どれ、ちょいと代わろうかと、鬼柳ちゃんに取って代わって先に話し始める。
「高野先生には、『生徒を殺しかけた』という噂がありますよね」
先生の心をぷすりと刺す。
そこは柔らかく、急所となる箇所に違いなかった。噛みつかれるのは覚悟の上の事だったけども。願わくば、どうか噛み千切られませんようにと祈るばかりである。
先生はカッと目を見開いて、ぎろりと鋭い視線を向けてくる。なんだかぼくは睨まれてばかりいる気がしなくもない。身を窮す思いに苛まれながらも、しばし待った。
黙ってじっと目を見られ、とても居たたまれなくなってきた後、やがてはあのいつもの面白くなさそうな顔へと変っていった。少しは落ち着いてくれたのだろうか。
ふう、くわばら、くわばら。
坂本くんの言葉を思いだしながらブルリと勇気を奮い起こし、鬼か蛇でも潜んでいそうな細い道をたどたどしく辿っていく。ぼくがいるのはひょっとしたら道ですらなく、虎の尾の上だったのかもしれない。
見事、渡りきってみせようかと足を出す。
「他校生から噂として伝わってきました」
睨めあげてくる視線に耐えつつも、訊く。
「部活動中の事でしょうから事故だったんだとは思いますけど。その事故は、熱中症が原因だったんじゃないですか?」
ぼくの言葉に苦々しそうに口を引き結んでは渋い顔をする。果たして、話す気になってくれるのだろうか。先生の目的もまた、既に達成しているはずなんだけどなと思いつつ、葛藤する姿をただただ見守った。
その時、カラカラという音がしてきた。
ふり返ってみるとそこに鬼柳ちゃんの姿はなく、消えていた。おや、と思って音の元を辿ってみるといつの間に移動していたのか、壁際で窓を開けていた。開けられた窓からは少し涼しい風が吹きこんでくる。
鬼柳ちゃんはテクテクと戻ってきて、
「暑さもだいぶ、和らいできましたよ」
柔らかくほほ笑んでみせる。
先生は、
「そうか」
と、ひと言だけ。
そよそよと吹き込む風が熱の籠もっていた頭を冷やしたのだろうか。まるで憑物が落ちたかのように悲しい、淋しげな顔をしていた。少し間があいてから、先生はその重たげな口をゆっくりと開いてくれた。
溢すようにして呟く。
「元々が心臓の弱い子でな。知らなかった事とはいえ、もっと配慮すべきだった」
深く目を瞑り、思いを馳せる。先生は今も尚、後悔に苛まれている最中なのだろうか。
あの噂は嘘偽りのない真実だった。
例えそれが故意でなかったにせよ。先生は生徒を死の瀬戸際に追い込んでしまったという、まぎれもない過去があったのだ。
それは逆恨みに近いものかもしれない。
だけども本人や家族にとっては、そう簡単に割り切れるものではなかったのだろう。高野先生の事を恨む事になってしまったとしても、誰も責める事はできないような気がする。そして先生はその恨みを受け入れ、その事で自身も深く傷ついていったに違いない。
確かに先生はバスケ部の指導者として優秀なのだろう。学校に飾られていた表彰が、その確かな実績がそうだと物語っている。ただし、その指導にはやっぱりそれ相応の練習量が必要となってくるのだと思う。
事実。坂本くんの猛抗議の後からは彼の言う所の、マシな練習量になったおかげかバスケ部の成績は芳しくはない。低迷していると聞く所だった。
顧問の交代が実しやかに噂されてしまうほどにだ。
「つまりは──」
と言いかけて、自分の口元が弛んでいる事に気が付いた。
急ぎ口をつぐむ。
思わずゾワッとする。突如、寒いものが体を駆け巡っていったかのように、ブワッと鳥肌までたってしまうほどだった。バッと手を口に当て、覆うようにして塞いだ。
今ぼくは、何をしようとしていた?
まるで探偵のように。すっかりと得意気になって。推理を披露しようとしていなかったか?
何をやるつもりだ、ぼくは。少し鬼柳ちゃんが話しにくい事を代わりに話した。それだけだったじゃないか。
一歩、二歩、じりじりと後ずさる。
鬼柳ちゃんの大きな瞳が、不思議そうに見ていたので、
「じゃあ、後は頼んだよ」
視線を送って頷いた。
目をぱちくりとさせてはいたけれど、続きを引き受けてくれるようだった。すごすごと引き下がるぼくにちらりと目を配せ、首を傾げながらも前に出る。
眉尻を少し下げ、表情は重い。
「その事故の後から、先生は厳しい指導にトラウマを持つようになったんですね。そしてバスケ部は弱くなってしまったの」
ふぅむ、と息をつく。
それが今もなお続く、バスケ部低迷のはじまりだったのだろう。たしか坂本くんが言っていた。それでも練習についていけないひとがいるのだと。
強豪校を相手どっていた頃の練習量が、いかに過酷なものだったのか。想像するだけでも恐ろしくなってくる。みんなが難なくついていける楽しい部活動も、そう悪くはないとぼくなら思うのだけど。
「別に弱くとも構わないじゃないか」
ううん、鬼柳ちゃんは否定する。
「でもね、学校側はそれをヨシとしなかったの。そうですよね、先生」
高野先生は深く息を吸い、大きく息を吐きながら視線をゆっくりと落としていく。顧問交代の噂、強豪校の練習の取り入れ。学校がいったい何を思っているのかが見え隠れしている。
先生はきっとトラウマと、学校の意向との板ばさみ状態にあったのだろう。
「だとしたら、どうだと言うんだ?」
眉間のしわを、あるいは額をギュッギュッと揉みしだきながら先生は問いかける。受ける鬼柳ちゃんは少し声を落とした。その声色からは緊張がみて取れる。
「徐々に練習量が増えだした頃、再び事故が起きてしまったんです」
坂本くんの妹が熱中症で倒れた。
そのとき先生の脳裏には、過去の事故がフラッシュバックした事だろう。思うに先生同士で揉めていたのは、その事を起因とした話し合いだったのではないかとぼくは睨む。
即ち、強豪校の練習をまだ続けるのか、否か。
話は恐らくこじれたはずだ。島田先生はバスケ部を強くする為に呼ばれたに違いないのだから、それは避けられない争いだったろう。
大きな瞳はまっすぐ先生を捉えていた。
「先生は部活動を止めたかったんですね。それも急遽。ここ連日は猛暑日だったから。せめてこの猛暑さえ凌いでくれればと、つい乱暴な手段に出てしまったんです」
坂本くんが手っ取り早くナイフで済まそうとしたように、単なるボールの紛失だけだったら長期の停止は見込めなかった。
だけど先生がしたように、ボールにナイフが突き刺さっていたとしたら話は別だ。急遽で、長期の停止が見込めるだろう。ぼくの計画よりずっと暴力的ではあるけれど、狙いはバッチリと当たっていたのだった。
ナイフ騒動からもう数日が過ぎている。
鬼柳ちゃんが言うように、少しは涼しくなってきていた。暑さのピークは既に越えたのだろう。先生の目的は無事に達せられたと言っていいと思う。
ひと際大きく息をつくのが聞こえた。
「そうだな。それで、鬼柳、守屋。お前達はこれからどうするつもりなんだ」
高野先生は島田先生と同じようにぼくらの事をお前達とも呼ぶけれど、それでもぼくらの名前を呼んでくれる。
知っているのだ。運動を苦手とするぼくの事を。小さく、傍目には体力がなさそうに見える鬼柳ちゃんの事を。
ボールの数をパッと答えられたのも、部活動中に全員にボールが渡るようにといつも生徒を見ていたからじゃないのかな。
なんて思うのは、考えすぎだろうか。
いつもの面白くなさそうな顔だったけれど、なんだか少し優しげに見えてきた。
先生のやった事はもちろん正しい行いだとは言えない。不器用な男がほんのちょっぴりと覗かせた優しさだ。きっと誤解されやすいひとなのだろう。だってこの顔だもんなと、にやりとしておく。
「守屋くん、どうしようか」
と問われたので、
「さて、どうしようね」
そう答えた。
学校と高野先生。
これは両者の求める物の違いが生んだ悲劇と言えるのだろう。どちらの意見が正しいという事でもないはずだ。既に時刻は夜を指していた。答えの出せない謎もあるんだなと、思い知らされた夜だった。
体育館を後にする頃には、辺りはもうすっかりと暗くなっていた。心地よい風も吹いていて、外の方が涼しいくらいだった。
学校からの帰り道。ぼく達が出した答えはあれで良かったのかなと、考えながら歩いていく。
おや、そういえばとひとつ思い出した。
答えの出ない謎ならもうひとつあったじゃないか。歩きながらポツリと口に出す。
「ねえねえ。鬼柳ちゃん」
「ん、なあに?」
「あの妙ちくりんな猫のスタンプなんだけどさ。あれは一体どこで使う気だったんだい」
訊けども返事はなかった。はて、この謎もいつかは解ける日がくるのだろうかと首を傾げつつ、トボトボと歩いていく。
ただ、トボトボと──。
推しの探偵が出来るまで モグラノ @moguranoki
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