第16話:残響の果てに贈る言葉
長編小説「完迎会 - 残響する最後の言葉 -」
第十六話:残響の果てに贈る言葉
廃工場での死闘から数週間が過ぎた。佐藤健司と山田一郎は逮捕され、彼らの狂気に満ちた計画は、白日の下に晒された。フロンティア化学の過去の不正疑惑についても、警察の捜査が進められているという。世間は一時、このセンセーショナルな事件に色めき立ったが、やがて日常の喧騒の中に埋もれていった。
しかし、事件に関わった者たちの心には、深い傷跡と、消えない残響が刻まれていた。
桐島翔太は、会社からの長期休暇を勧められ、今は実家で静養していた。彼の栄転の話は、当然ながら白紙に戻った。今回の事件は、彼のキャリアだけでなく、精神的にも大きな打撃を与えた。かつての天真爛漫な明るさは影を潜め、どこか物憂げな表情を浮かべることが多くなった。
水野恵は、日常業務に戻っていたが、心はまだ完全に落ち着いていなかった。深夜のオフィスビルへの潜入、廃工場での恐怖体験。それらは、鮮明な悪夢として、時折彼女を苛んだ。それでも、翔太を救えたという事実は、彼女にとって大きな支えとなっていた。
あの日以来、恵と翔太は、以前のように頻繁に連絡を取り合うことはなくなっていた。互いに、どう接していいのか、どんな言葉をかければいいのか、戸惑っているのかもしれない。事件が、二人の間に見えない壁を作ってしまったかのようだった。
そんなある日、恵の元に、翔太から一通の手紙が届いた。メールや電話ではなく、手書きの手紙。そこには、不器用ながらも、彼なりの誠実な言葉が綴られていた。
『恵へ
元気にしてるか?俺は、まあ、ぼちぼちだ。
今回のこと、本当に色々と考えさせられた。俺がどれだけ周りのことを見えていなかったか、どれだけ恵に無茶をさせてしまったか……。謝っても謝りきれない。
佐藤さんのことも、正直まだ整理がつかない。俺は、知らず知らずのうちに、彼を追い詰めていたのかもしれない。もちろん、彼がやったことは許されることじゃない。でも、もし俺が、もう少し彼の気持ちに気づけていたら……なんて、考えてしまうんだ。
恵がいなければ、俺は今頃どうなっていただろう。本当に、感謝している。お前は、俺にとって、最高の親友だよ。
少し時間がかかるかもしれないけど、俺はもう一度、ちゃんと前を向いて歩き出そうと思ってる。恵も、無理しないで、自分のペースで進んでほしい。
また、いつか、笑って話せる日が来ると信じてる。
翔太』
手紙を読み終えた恵の目には、自然と涙が浮かんでいた。翔太の苦悩と、そして再生への小さな決意が、痛いほど伝わってきた。
「……翔太くん」
恵は、そっとその名を呟いた。
数日後、恵は、小さな花束を手に、ある場所を訪れていた。それは、佐藤健司が勾留されている拘置所の面会室だった。なぜ、彼に会おうと思ったのか、自分でもよく分からなかった。ただ、何かを伝えなければならないような気がしたのだ。
ガラス越しに現れた佐藤は、以前の精悍な面影はなく、やつれ果てていた。虚ろな目で、ただ床の一点を見つめている。
「……佐藤さん」
恵が声をかけると、佐藤はゆっくりと顔を上げた。その目に、恵の姿を認識したのかどうかは分からなかった。
「どうして、あなたが……」
か細い声で、佐藤が呟いた。
「翔太さんは、あなたのことを、少しだけ理解しようとしていました。あなたがどれだけ苦しんでいたのか、気づけなかったことを後悔していました」
恵は、静かに語りかけた。
佐藤の目に、わずかに動揺の色が浮かんだ。
「……今更、そんなことを……」
「あなたがやったことは、決して許されることではありません。たくさんの人を傷つけ、恐怖に陥れました。でも……もし、あなたが本当に誰かに認めてほしかったのなら、その方法は間違っていたと思います」
恵の言葉は、説教でもなければ、同情でもなかった。ただ、一人の人間として、彼に伝えたかったこと。
佐藤は、何も答えなかった。ただ、再び床を見つめ、微かに肩を震わせているように見えた。それが、後悔の念なのか、それとも別の感情なのか、恵には分からなかった。
面会時間は、あっという間に過ぎた。
最後に、恵は言った。
「あなたに贈る言葉は、『さよなら』ではありません。あなた自身の心と向き合い、いつか、本当の意味で自分を許せる日が来ることを、願っています」
それが、恵が佐藤に贈る、最後の言葉だった。
拘置所を出ると、空はどこまでも青く澄み渡っていた。
恵は、大きく深呼吸をした。心の中にあった重い何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
「完迎会」――それは、終わりを告げるための会ではなかった。
それは、歪んだ過去との決別であり、新たな始まりのための、痛みを伴う儀式だったのかもしれない。
恵は、スマートフォンの連絡先から、翔太の名前を探した。そして、短いメッセージを送る。
『翔太くん、元気?今度、美味しいものでも食べに行かない?奢るよ』
すぐに返信があった。
『マジで?じゃあ、遠慮なく!』
文末には、少しだけ元気を取り戻したような、笑顔の絵文字が添えられていた。
恵の唇に、自然と笑みが浮かんだ。
残響は、まだ消えないかもしれない。傷跡も、簡単には癒えないだろう。
それでも、彼らは生きていく。それぞれの「最後の言葉」を胸に、そして、新しい言葉を紡ぎながら。
シャンデリアのきらめきも、軽快なジャズも聞こえないけれど、確かな希望の光が、二人の未来を照らし始めている。それは、決して華やかではないけれど、温かく、そして力強い光だった。
(了)
完迎会-あなたへ贈る最後の言葉さよなら 志乃原七海 @09093495732p
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