小説

信頼できる語り手

小説

 俺は震えながら小説のページを捲る。


 内側から迫り上がってくる気持ちの悪い熱気に、全身が破裂してしまいそうだ。


 捲る捲る捲る。


 俺の指が触れているソレは、プロが装丁した小説ではない。


 大学生が授業のまとめに使うようなノートにびっしりと書かれた文字列だ。


 しかし、小説という概念に明確な定義はない。だからそれは、間違いなく小説だった。


 捲る捲る捲──。


「ぁ……!」


 ──淀みなく続いていた文章が、途切れた。


「はぁ……!はぁ……!」


 汗が目に入る。シャツのボタンを外しても、喉奥を締め付けられているような苦しさが収まらない。


「ぉ……」


 余白が。


 余白が俺を責め立てる。


「……っ!」


 俺は胸ポケットからボールペンを取り出した。




 古本市から持ち帰ったそのノートには、俺のこれまでの人生がまとめられていた。


 まるで、インターネット上に存在する有名な某フリー百科事典のように……いや、それ以上の正確さで事細かく記されていた。


 少年サッカークラブの練習を一度だけサボった事。中学校が火事で途中休校になり、宿題忘れを誤魔化せた事。


 俺しか知らない……いや、俺自身も忘れかけていた過去が、このノートには詰まっている。


 1ページ目を開いた瞬間から、目を奪われた。




 小学生の頃。俺は小説を読み始めた。


 理由は覚えていない。と思っていたが、このノートを見て思い出した。


 そうだ。クラスで一番成績の良い男子が海外のSF小説の翻訳版を読んでいて、その姿に憧れた事がきっかけだった。


 俺も同じような本を読めば、頭が良くなると信じていた。


 そんな打算100%で始めた読書だったが、これが意外と肌に合った。


 読書に没頭し過ぎて授業開始のチャイムに気付かず、担任の先生に殴られた事もあったっけ。


 


 中学生の頃。俺は小説を書き始めた。 


 勿論、他人に見せられるような出来じゃない。初心者なのだから当たり前だ。


 だが、その事を理解していなかった当時の俺は、友人達に自分の書いた文章を見せびらかした。


 ある意味、あれも一種の中二病だろうか。


 自己弁護するとしたら、あの頃の俺は放送部で昼放送の台本を書く係に任命されていた。


 そのせいで、自身の文章力を過大評価していたのだ。


 他人を楽しませるフィクションを生み出すには、中学時代の俺の想像力は稚拙過ぎた。




 高校生の頃。俺は小説を読み、そして書いていた。


 中学時代に友人達から酷評されて、一度は離れた創作の道。再び小説執筆に手を出した理由は格好良いものではない。


 ただ単純に就職活動が嫌になったからだ。


 就活のプレッシャーから逃避する先として、俺はもう一度小説に浸り始めた。


 フィクションは良い。


 正確にはノンフィクションも小説に分類されるらしいが、俺にとっての小説はいつだってフィクションだった。


 読んで、書いて。読んで、書いて。


 小説の中こそが俺の居場所だと、強く感じる。




 社会人の今。俺は小説を書かなくなった。


 熱を失ったと言っても良い。


 現実に居場所ができて、役割と責任が与えられて、執筆に使う暇もなくなった。


 流行りの本を読む事はあるが、以前ほど熱中はできない。社会を知り、現実を知り、フィクションとのズレに気付いた。


 現実リアル虚構フィクションが混じり合うような没入体験は、もうできないだろう。


 その事を少し、寂しく思う。




「重いな……」 


 古本市にボランティアとして参加した帰り道。在庫処分の為に渡されたダンボール箱を抱えて、俺はアパートに帰宅した。


「あっ……!」


 しまった。部屋の真ん中で転び、ダンボールの中身を床にぶち撒けてしまった。


「ん?何だ、これ」


 そして、俺はふと気付く。


「ノート、か……?」


 ボロボロの絵本や雑誌、ブックカバーのなくなった文庫本の山から、1冊の真新しいノートが顔を出している。


 俺はなんとなく、ノートを開いた。


「ぇ……?」 


 ──そのノートには、俺のこれまでの人生がまとめられていた。


 俺自身も忘れかけていた過去が、このノートには詰まっている。確かな現実リアルが、そこにはあった。


 1ページ目を開いた瞬間から、目を奪われた。


 俺は震えながら小説のページを捲る。


 内側から迫り上がってくる気持ちの悪い熱気に、全身が破裂してしまいそうだ。


 捲る捲る捲る。


 俺の指が触れているソレは、プロが装丁した小説ではない。


 大学生が授業のまとめに使うようなノートにびっしりと書かれた文字列だ。


 しかし、小説という概念に明確な定義はない。だからそれは、間違いなく小説だった。


 捲る捲る捲──。


「ぁ……!」


 ──淀みなく続いていた文章が、途切れた。


 虚構フィクションの俺が、現実リアルの俺に追い付いた。


「はぁ……!はぁ……!」


 汗が目に入る。シャツのボタンを外しても、喉奥を締め付けられているような苦しさが収まらない。


「ぉ……」


 余白が。


 余白が俺を責め立てる。


 お前が書け。書くんだ。その先を。自分がこれから辿る運命を。


 とびきり面白く。壊れるほどに熱く。涙が出るほど感動的に、ドラマチックに。


 創作意欲を爆発させろ。


「……っ!」


 俺は胸ポケットからボールペンを取り出した。 


 現実リアル虚構フィクションが混じり合う。俺の居場所がここにある。


「──ただいま」


 ああ、懐かしき、小説ほんものの世界。

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