48話 鐘の音の鳴り終わるまで

雪の白さがやけに眩しく見えた。

御堂は息を整えながら、外界に戻った感覚を確かめるようにポケットからスマホを取り出す。

画面に灯った数字に、眉がわずかに動いた。


【22:50】


(……ふざけやがって)



感覚では三十分も経っていない。

しかし、ねじれた空間と現実では、時間の流れが完全に違っていたらしい。

さらに周囲を見渡すと――

公園を囲む街の灯りはすべて落ち、信号は沈黙し、遠くで救急車のサイレンが虚しく反響していた。

ディスルドの暴走による魔力干渉のせいで、

街は広範囲にわたり“大規模停電”に陥っていた。

電車も、バスも、タクシーも――全部、止まっている。



ヘッドライトの光が、闇を押し分けるように近づいてくる。

その白い円の向こうで、影がゆっくりと口元を吊り上げた。


「悪いね。これくらいの手助けしかできなくて」


覚えのある声。

御堂は、心底うんざりしたような視線を向ける。


街灯一つない暗闇だというのに、その声の主はすぐに分かった。

片手にヘルメットを下げ、皮肉なほど爽やかな笑みを浮かべて肩をすくめる――海だ。


もう片方の手で、自分の愛車――黒い大型バイクのシートを軽く叩いてみせる。


御堂は足元の鍵に視線を落とし、

諦めたように小さく息を吐いた。



「……聞きたいことは山ほどある。

 だが今は、その借りだけ、受け取っておくよ」


「はは。まったく、可愛くないな」



海は肩を揺らし、軽くウィンクを一つ。



「イブはあと……一時間ちょっと。

 急がないとね? サンタさん」



その一言で、御堂の喉が微かに鳴った。


急いで鍵を差し込み、海からヘルメットを受け取る。



「……感謝はしない」


「構わないさ。その代わり――安全運転でね?」



軽く手を振る海を背に、御堂はアクセルをひねった。

赤いテールランプが闇を裂き、吹雪の中へ駆け抜けていく。

聖夜のカウントダウンが、刻一刻と迫っていた。





(普段ならここから家まで1時間もかからない……けど、この状況じゃ無理だ)



御堂は細い路地を抜け、止まった車列の隙間をすり抜け、渋滞を迂回しながら進む。

信号はどこも沈黙し、警察官が手信号で交通整理をしている。

倒れた街灯、破損したフェンス。

風が吹くたび、どこからか漂う焦げた匂い。



(あのまま外で会ってたら……柚月も巻き込んでたかもしれない)



胸の奥のざわつきを振り払うように、御堂はアクセルをひねった。

視界の端で“帰宅困難者”たちが列をなし、暗い街をさまよっている。

その中に、柚月がいない。それだけが唯一の救いだった。

やがて、八王子の街並みが近づいてくる。

マンションの駐車場へ滑り込むと同時にスマホを確認した。


【23:50】


エレベーターは止まっている。



(……走るしかないか)



御堂は迷わず非常階段へ駆け込んだ。

息が白く散る。足音が階段に響く。


――そのとき。


階下から、が鳴り始めた。

遠くで、近くで、重なるように響く鐘の音。

それはまるで急かすように、背中を押してくる。





息を切らしながら扉を開けた瞬間――

御堂の足が止まった。

テーブルいっぱいに広げられた料理。

クリスマスカラーのランチョンマット。

開けられなかったシャンメリー。

そしてその中央で、

柚月がうつぶせたまま眠っていた。



(……ずっと、待ってたんだな)



胸の奥がひどく痛む。

御堂は静かに近づき、そっと背中に触れた。

指先に、規則正しい小さな寝息が伝わる。



「……ん……?」



柚月がゆっくりと顔を上げた。

とろんとした目で御堂を見つめる。



「……駿……おかえり


 ……メリークリスマス……」



ただそれだけで、

張りつめていたものが一気にほどけた。

言葉は出ない。

代わりに柚月を、強く、抱きしめた。

視線を向けた壁の時計は――


【23:59】


最後の鐘の音が、静かに、確かに鳴り響く。

たった一分。


それでも――

クリスマスに


御堂は柚月の耳元で、そっと囁く。



「……ただいま。メリークリスマス、柚月」



部屋の静けさに、ふたりだけの聖夜が落ちていった。

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何度でも、君に恋をする。この愛、歪んでますか? @haricots

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