第4章 壊れゆく仮面
夜の帳が静かに落ちる中、槙村紗月は、ジャーナリスト小林誠司の事務所で、分厚い資料の山と格闘していた。
机の上には、匿名で送られてきた内部告発の文書、改ざんされた記録の断片、そして——佐伯美和に関する複数の疑惑資料。
「これは……」
紗月が目を凝らしたのは、一枚の古い報告書だった。地方自治体での助成金不正流用事件。その中に、美和の旧姓が記されていた。
「名前を変えて……経歴まで洗い直してる。でも、これは確かに彼女だ」
過去は繋がっていた。意識の奥に沈んでいた違和感の正体。少女時代に聞いた「あの人」の話。誰かが、誰かを泣かせていた。誰かが、声を奪っていた。
それが、今の“正義のアイコン”佐伯美和であるという現実。
「やっぱり——全部、嘘だったんだ」
紗月の声は、怒りよりも、虚しさに濡れていた。
一方、美和は都内の高層ビルにある役員会議室で、冷えたアイスコーヒーを片手に、部下の報告に耳を傾けていた。
「槙村紗月、ついにフリージャーナリストと接触しました。情報源は信頼できると判断しています。おそらく次の告発対象は……」
「ええ。私ね、思うの。真実って、“正しければ強い”と思いがちだけど、違うの。真実が強いんじゃなくて、“語る人間が強いか”で決まるのよ」
美和は涼しげに笑った。薄いピンクの口紅が、照明に反射して妖艶に輝いた。
「だから、彼女が“語る人間”である限り、潰す必要があるわ」
淡々と、まるで予定された業務の一部であるかのように。
数日後、紗月の元に怪文書が届く。
《槙村紗月は元いじめ加害者》《高校時代、精神的にクラスメートを追い詰め自殺未遂に追いやった》
ありもしない過去が、まるで真実のように綴られていた。SNSでは拡散が始まり、彼女に向けられた視線が再び鋭くなる。
「またか……!」
紗月は机を叩いた。過去の亡霊に追われるような感覚。恐怖よりも悔しさが先に立った。
「やるなら、徹底的にやり返してやる」
彼女は震える手で電話を取り、小林に告げた。
「……反撃を始めましょう。全部、暴いてやる。私の人生を壊した“あの女”の正体を」
小林はすでに動いていた。彼の記者仲間が、美和の過去の土地で調査を進めていたのだ。
旧姓「有栖川美和」。かつて不登校児童を名目に寄付金を募りながら、その資金の一部を自分の選挙支援団体に流していたという証拠。
「これは完全にアウトだな……」
しかも、その寄付を集めた先の児童のうち、ひとりは——すでに亡くなっていた。
「この子の死、もしかして……」
彼は震える手で記事草稿を綴った。
タイトルはこうだった。
《理想の仮面を被った女:佐伯美和の裏の顔》
紗月は、かつて自分が抱いていた“正しさ”の幻想が、音を立てて崩れていくのを感じていた。
「誰もが、闇を持っている。けれど、それを“正義”で隠すのは……それは、もっと醜い」
彼女は告発文を清書しながら、自分自身にも問いかけていた。
自分は本当に“正しい”のか?
自分が信じた真実は、他人にとっても真実なのか?
「それでも、私は……戦う」
どれほど孤独でも、彼女は、今度こそ逃げなかった。
美和は記者会見に臨んでいた。告発記事が出る前に、先手を打つためだった。
マイクを握った彼女は、静かに言った。
「私は、過去に間違いを犯しました。人を傷つけたこともありました。でも今は違います。私には、守るべき未来がある。だから——」
だがその瞬間、スクリーンに映し出されたのは、彼女の過去の不正を記した報道記事。そして、生前の児童が残した日記の一文。
《“あの人は、笑ってた。でも、助けてくれなかった”》
会場がどよめく。
美和の顔から、仮面のような笑みが剥がれ落ちた。
人々の沈黙が、彼女を責めるように突き刺さる。
その中で、槙村紗月はカメラのフラッシュの向こう側に立っていた。もう、怯えてなどいなかった。
「これが、あなたの“正義”の結末よ」
その瞳には、告発者としての決意と、まだ終わらぬ闘いへの覚悟があった。
『美しき告発者』 誰かの何かだったもの @kotamushi
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