第5話 とりかえさま
趣味のフィールドワークに励んで数年が経った頃、当時の職場の後輩に誘われて、関東の某所へ旅行に行きました。後輩の実家がある場所で、狭い区画ながらも祭りに登場する神輿や山車が見事だと聞き、そこは今度行こうと思っていたお祭の土地だと分かり、着いて行くことにしたんです。
後輩は正直、素行が悪い人物でした。入社時に私が面倒を見たこともあり、私との関係はとても良好でしたが、仕事ではミスを繰り返し、叱る上司に平気で反抗するような態度で「なんとか手綱を引いてくれ」と上司から私に相談があるような状態でした。
実際、彼がきちんと理解できるように説明すればこうした問題は起きなかったのですが、上司は頭ごなしに叱りつけ、仕事もろくに説明せずに投げつける環境だったので、常に私がフォローに回る日々でした。このことを進言しても「こいつが真面目にやらないからだ」と一蹴され、なかなか状況は改善しない毎日が続いていました。
そんな中、唯一心を許してくれていた私とはよく話をしてくれて、仕事終わりに飲みに行ったり、互いの家に泊まって朝まで騒いだりするなど、先輩後輩の垣根を越えて友人として交友が続いていました。
旅行の際も後輩が車を出してくれて、男2人でゆったりと車旅を楽しみながら現地へ向かいました。後輩の実家でも温かく歓迎され、昔から素行が悪かった分、こうやって可愛がってもらえて嬉しいと両親からお礼を言われるなど、気分良く旅行は続きました。
実際の祭りですが、開催前に近くの森(どちらかというと平地で林のような区画)を青年団と消防団で掃除するのが慣例のようです。祭りに合わせて、地元の小中学生が野外活動を行うとのことでした。ちなみに、学生たちが掃除をしない理由として、後輩が子どもの頃、掃除の日にこっそりタバコや酒を隠し、それが当日見つかって厳しく叱られたことから、大人が監視の意味を込めて前日に掃除を受け持つようになったそうです。
その話をされている間、後輩は恥ずかしそうに悪態をついていました。実際、お酒もそうですが、タバコに関しては火の不始末で山火事になったら大変だという、昔からの懸念もあったそうです。歴代の悪ガキも大して変わらないなと笑いながら、やはり後輩も悪い例に挙げられやすいだけで、背中を見せてきた悪い先輩がいたんだなと感じました。
そのことがあったからか、掃除当日は私も参加しましたが、後輩は周りからその話をからかわれ続け、機嫌を悪くして乱暴な手つきで掃除をしていました。グループからも離れ、黙々と作業する後輩。私は他の皆さんが気を遣ってくれて、グループ内で清掃内容を聞きながら作業していました。
青年団の皆さんから話を聞いていると「この掃除はみんなの交流も増えて、悪ガキが大人らしくなる絶好の場」という話があり、興味深かったので詳しく聞いてみることにしました。なんでも、素行の悪い子ども時代を過ごした人間でも、こうやって地域の活動を繰り返すことで徐々に教える側の人間に成長し、協調性のある真人間になってゆくのが地域の空気感だそうです。
ああ、わかるなぁ。私も本当に片田舎出身なので、近隣の内情を各家庭が共有しているような環境で育ちました。集団心理というか「この土地」で暮らすための処世術のようなものはとても理解できます。そんなことを思いながら、茂みの奥まで掃除は進みました。
楽しく会話しながら作業を進めていると、少し先に子どもの背丈ほどの大きさでしょうか、お地蔵様がありました。こんな場所にあるのに綺麗に掃除されており、穏やかな顔でこちらを見ています。
「このお地蔵さんは何か由来のあるものなのですか?」
他のメンバーに声をかけましたが「なんだろうな、俺らが子どもの頃からずっとあるよ」「祭はずっとこの場所でやってるから、なんだかんだで定期的に綺麗にしてるんだよな」など、とりとめのない話ばかりでした。確かに、こうした何となくあるお地蔵様って、どこの土地にもありますよね、なんて思いながら、せっかくなので綺麗にさせてもらうことにしました。
胴体に比べて頭の部分が割と新しく感じるのは、やはりこの掃除のしやすさもあるのかな。そんなことを考えながら、丸い頭をゴシゴシと掃除して独り言をつぶやきました。
ある程度作業を終えた後、後輩はまだ奥で作業しているようでしたが、炊き出しをするとのことで「先に帰るよ」と声をかけ、開けた場所まで戻りました。
とても大きな鍋で豚汁を作りながら酒盛りをしていると、かなり遅れて後輩が戻ってきました。こんな時間まで一人で作業しているなんて、やっぱり居心地が悪いのかな。
そんなことを思い、フォローしに行こうとしましたが、後輩は私の横を素通りして他のメンバーの前に進んでいきます。やばい、もしかして腹の虫が治まらずに喧嘩でも売りに行くんじゃないか。慌てて後を追いましたが、突然後輩が深々と皆に頭を下げ、大きな声でこう言いました。
「今まで本当にすみませんでした! ずっと意地を張ってましたが、自分も地元のために何かしたいし、お世話してくれた皆さんと仲良くしたいです!」
その場が一瞬固まりましたが、すぐに皆で後輩を囲み、笑顔で「やっとわかってくれたか!」「心配してたんだよ、本当は」「こっちこそいつも茶化してごめんな」と和気あいあいとした空気に変わりました。後輩も普段見ないような穏やかな笑顔で「ありがとうございます、ありがとうございます」と会話を交わし、目には涙が見えました。
やはり地元に帰ってくると、こういう心境の変化があるんだな。何はともあれ、後輩に心からの居場所ができるなら良いことだと思いました。私も輪に加わり、驚くほど物腰の柔らかくなった後輩を交えて、どんちゃん騒ぎをしました。こんな印象の良い奴だったんだなと、私も嬉しくなり、その日はお開きになりました。
翌日の祭り本番も、後輩は若さを活かし、地域の持ち回りの仕事を率先してこなし、周囲の人と声を掛け合いながら中心となって祭りを楽しんでいました。私も祭りを楽しみ、一般の人は立ち入りできない山車の倉庫や神輿を安置してある場所を説明してもらいながら、じっくりフィールドワークすることができました。良い旅行になったなと、年に一度の祭りの夜は更けていきました。
翌朝、集会場で目を覚まし、二日酔いの頭で片付けに参加しました。学生が野外活動をした後もきちんと片付けてありましたが、私たちは焚き火の跡や細かなごみを掃除していきました。
しばらく掃除を続けていると、昨日のお地蔵様の場所に出ました。せっかくなので今日も掃除しようかなと近づいたとき、ギョッとしました。声を出しながら何度もお地蔵様を覗き込み「なんだこれ……」とその場に固まりました。昨日は穏やかだったお地蔵様の顔が、全く違っていたのです。明らかに苦しんでいる、苦痛そのものを形作ったような顔の地蔵菩薩がそこにありました。
しばらく呆然とした後、他のメンバーに「このお地蔵さんって、こんなのでしたっけ!?」と聞きましたが「覚えてないな、まあ地蔵の顔なんてパッとしか見ないし、思い違いじゃないの?」「この辺は結構お地蔵さんがあるから、別のやつなんじゃない?」と、そんな話ばかりでした。
いや、そんなはずはない。土地勘は確かに私にはないが、さすがに間違えるなんてありえないだろう。昨日、掃除する時に穏やかな表情に気を取られたのだから、まさかそれが違うなんてありえない。そう困惑していると、後ろから突然声がして飛び上がりました。
「よくあることですよ、僕たちでもどこにお地蔵様があるかは把握してませんから」
後輩が満面の笑みでこちらに話しかけてきました。ニコニコと、本当に穏やかな顔でこちらを見るその姿に、なぜか少し背筋が寒くなりました。
「夕方には帰らないといけないんだから、早くやっつけちゃいましょう」
と促され、腑に落ちないまま、背中に地蔵の苦悶の表情を感じながら広場へと歩を進めました。
「……けて」
何か聞こえた気がして振り向きましたが、もう後ろには誰もいません。不思議な気持ちになりましたが、二日酔いなのは確かだし、疲れてきたしまあいいかと、帰ることにしました。
後輩の車に揺られて自宅に戻り、日常が戻ってきましたが、後輩の変わりようは本当にすごかったです。あれだけ揉めていた上司ともうまくやっていけるようになり、周囲への物腰も非常に柔らかく、休み明けの数日で職場の中核を担う存在になっていく姿は目を見張るものでした。
そんな様子を見ていて、ふと気づいたことがあります。後輩の顔、どこかで見たことがあるような気がする。額に黒子なんてあっただろうか? 表情や、額に見える薄い黒子のようなもの。そして一番気になったのは首筋でした。薄っすら赤く、首の周囲に線があります。服の締め付けの跡かと思いましたが、今は半袖の時期。一日中こうした跡が残っているのには違和感があります。
その日の夜、夢を見ました。あの森の中、あのお地蔵様の前に立つ夢です。祭りの時の風景のままでしたが、一つだけ違うところがありました。お地蔵様の顔が、後輩の顔だったのです。苦しそうな表情で「助けてください、助けてください」と懇願するように呟き続けています。
私は何もできず、ただ後輩の顔がついたお地蔵様を見ているだけでしたが、苦しんでいた後輩の顔が一瞬で真顔になり、こちらをじっと見てこう言いました。
「代わってください、先輩の頭を、俺と取り換えてください」
そう言うと同時に、後輩の頭がこちらへ飛んできて……。
そこで目が覚めました。汗びっしょりで、ひどい動悸がしていました。汗に濡れた手を握りしめながら、ありえないことですが、あのお地蔵様の顔は後輩なのではないか。あれは性根の腐った人間を見つけては頭を取り換え、良識のある人間として振る舞っているだけなのではないか。
「人が変わったように」
という結論にたどり着き、一気に背中が寒くなりました。そうか、後輩は「取り換えられた」んだ。
整理のつかない頭で職場に行き、それでも仕事をこなしている目の先に後輩の姿があります。あれは、後輩ではないのではないか。現実的に考えたらそんな与太話がありえるはずがない。そうぐるぐると考えながら固まっていると、後輩がこちらに気づき、にっこりと笑って挨拶をしてくれました。
挨拶を返し、なるべく悟られないよう別のフロアに移動しました。なるべく足早に。
笑顔でこちらを見た後輩の目、誰が見ても気持ちのいい挨拶だったと思います。でも、私は気づいてしまいました。にこりと糸目になったその奥、薄っすら開いた瞼の奥から、真っ黒な光のない瞳がこちらを凝視していたのを。
今では職場を変えていますが、後輩の実家は私一人でもいつか足を運ぼうと思っていた土地です。もし、あのとき一人で行っていたら、土地勘のない森の中であの地蔵に出会っていたのならば、私がああなっていたのかもしれません。
ゾッとしながら、汗を拭うために首筋に手をやりました。そして、私は固まりました。私の首筋に、覚えのないミミズ腫れのような線が、真っ直ぐと横に伸びていました。
忌まわしの習俗 板紫 @itamurasaki
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