クチコミの力

遠部右喬

第1話

 昨今は時の流れが速い。

 「時」と言っても、物理上の時間のことではなく、時流、流行りのことだ。「十年一昔」などと言うが、とんでもない。僅か数か月で「過去」と「現在」が分かたれ、昨日までの常識が今日は違っている、なんてことは珍しくない。

 これは、情報伝達のスピードが上がったことによる現象だろう。インターネットという新たな技術のお陰で、あらゆるニュースは途轍もない速さで世界中を駆け巡っている。回線さえ繋がる状況であれば、我々は布団の中に居ながらでも世界中の情報を入手することが可能になったのだ。


 当然のように、日々刻々と飛び交う膨大な情報の中には、虚実定かならぬものも多々含まれているだろう。全てを精査するには、それこそ時間が追い付かない。恐らくは相当前から、情報は私達の時間を越えてしまったのだ。こうなると得たい情報の真贋を個人で確かめることは中々に難しい。それを了承していなければ、痛い目を見ること必至である。


 とは言え、出来るだけ大勢の取り繕わない意見を知りたい、という瞬間はある。ある商品や出来事などに寄せられた様々な感想を聞ければ、要不要の判断基準の一つになるだろう。

 そこで活躍するのがネット上の「クチコミ」である。

 無論、ここにも適正とは言えない感想は盛り込まれていたりするだろうが、それはきっと現代に限った現象ではないだろう……そう、例えば。



 時は平安朝。ある男が居たとしよう。

 男は、年頃の我が娘の元に通ってくれる若者を探していた。貴族かそうじゃないかぎりぎり、という男の身分は決して高くなく、娘も正妻の子ではない。

 やんごとなき身分の方々に結婚の自由は無い。まして女性ともなれば猶更だ。男性が正妻に迎えるのは、己と釣り合う家柄の娘である。であれば、男の娘の出自で正妻の座につけるかは微妙だし、ならばいっそ、良い若者の側室狙いで行くかと、そんな感じだ。


 男は、出来る限り家と娘の利となる相手を探していた。狙うのは、覚えめでたく、それでいて上司や同僚にやっかまれない程度に地味目で、叶う事なら義父となる己よりもほんの少し上目の家柄の若者である。程々に歌を詠めて、笛の一つも吹ければありがたい。出しゃばらず、有能過ぎず無能でもない、健康で、趣味の蹴鞠を一緒に出来るような、そんな若者を求めている……面倒臭いなあ、もう。

 兎に角そんな訳で、お父さん、娘の婚活に必死である。


 ここで利用するのが「クチコミ」である。事実よりも周囲の評価が重視される世界線では、この戦法はそれなりに有効な手段だったのではなかろうか。


 男は、娘がどれだけ見目麗しく才女であるか、噂を流すことにした。それが事実か盛った情報かは重要ではない。なにせ、下手したら父親ですら年頃になった娘の顔なんぞ久しく見ていない時代のことだ。実際に娘の許に通ってみるまで噂の確認のしようがないのであれば、安心して大風呂敷を広げられるというものである。

 男は目ぼしい若者達の下人にこっそり小遣い等を握らせて、「ご主人、御存じで? あそこのお宅の下女から聞いたんスけどね、メッチャ綺麗なお嬢さんがいるらしいんすわ」とか適当なことを吹聴させた。上手く噂が拡散すれば狙いよりも大物が釣れるかもしれないし、後から「誇大広告だ!」とクレームが来たところで、「なんでうちの娘が噂になったか分からないけど、まあ、所詮はただの噂だからねぇ」と、鼻毛でも抜きながら押し通せばいい。


 かくして噂は広まり、美しい娘の情報をゲットした若者達の一人がさっそくアプローチを始めた。お付き合いの前にまずは文通から……と、気の利いた和歌うたに季節の花を添えて娘に送ってみたところ、程なく流麗な字でセンスの良い返事を貰えた。まだ見ぬ恋人に、若者はメロメロである。

 だが、彼が油断するには早い……件の娘の家では、数日前にこんな遣り取りがあったのだ。


「おっ、○○君からラブレターか。いいねえ、若い者は。ほれ、早くリプライしてやりなさい……なに? も和歌も自信が無い? ふむ、お父さんに任せなさい」


 悪筆悪文の娘の為に、男は代筆屋を雇った。まあ代筆屋がごっついおっさんだったのはちょっとアレだが、なに、構うものか。文面さえ美女ならそれで良いのだ。

 そんな事とは露知らず、おっさんと文通してその気になってしまった若者は、いそいそと出掛ける準備を始めた。


 お父さん、中々狡猾である。

 娘といざ対面という所まで漕ぎつけてしまえば、若者も本人を前に「騙された」とは言い出せなかろう。若さと気遣いから、三日目には懇ろな関係に。後日、友人達に「ヒューッ、うまいことやったな!」と揶揄われ、「あ、いや、まあ……うん……」と言葉を濁すのが精一杯の若者。彼が守りたいのは、自分と娘、どちらの名誉なのか。


 これが、クチコミの力なのだ。



 ……とは言え、当時は、それもおり込み済みで成立していた文化だったのだろうとは思う。評判と事実が多少違っていても受け入れる緩さが皆にあった時代では、「噂の美女」なんてのは、案外何処にでも居る存在だったのではなかろうか。先の妄想に登場した若者と娘だって、例えクチコミがきっかけだったとしても、穏やかで満ち足りた想いを少しずつ育み、互いを心から慈しむようになったかもしれない。

 噂を信じた賭けの結果は当人次第という社会は、不便かもしれないが、自分の器を広げるには中々良さそうにも思えてくる。


 情報の真偽を見定める能力は、生きていく上で欠かせないとても重要なスキルだ。だが時には、美味しそうなお菓子のクチコミなどにゆるゆると踊らされてみるのも面白いだろう。もしかしたら、予想以上の満足を得られるかもしれない。


 勿論、全ては自己責任である。

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