エピローグ《こういう世界で生きている》

“骨格標本ツアー”の翌朝。

ベッドの上でゆっくりと身を起こした珠子たまこの視線が、机の上の鉢に留まった。


薄いカーテンのすき間から、冬の光が差し込んでくる。

その先で――つぼみだったガーベラが、ひとつ、咲きかけていた。


「……わぁ! もうすぐ開きそう」

寝ぼけた声のままベッドを降り、両手で鉢を抱きかかえるようにして見つめる。

昨日まで固く閉じていたつぼみが、たしかにほころびている。


璃久りくにもらったその花は、珠子の心も部屋の空気も、やさしく明るくしてくれるようだった。


「おはよう、ガーベラちゃん」

――冬に咲くなんて、奇跡みたい。

そう思うと、胸の奥が少しくすぐったくなった。



登校すると、教室は昨日の“スケルトンくん事件”の話でもちきりだった。


「俺もう理科室行けねぇ……」

「ホンホン、夢に出てきた……笑って追いかけてきたんだけど……」

「親に話したけど、全然信じないんだよ!」


怯えともため息ともつかないざわめきが、教室のあちこちで交差する。


ケンケンが自分の席で、机に額をつけたまま笑い出す。

「俺……本当はすっげぇ怖かったんだけど、みんなと一緒だったから楽しかったかも……」


顔を上げたケンケンは、いつもの調子で笑ってみせた。

「思い出すと笑えねぇか? 全員で泣きながら全速力! 次の運動会は俺ら優勝だぜぇ!」


その言葉に、教室がどっと笑いに包まれる。

長いあいだ“強がり担当”だった彼の本音が、はじめて素直にこぼれた瞬間だった。


珠子はうれしそうに頷いた。

「うん! 私も楽しかった!」


笑い声がひとつ、またひとつ重なり、昨日の怖さは少しずつ笑い話へと変わっていく。


――きっといつか大人になっても、あの夜の出来事を思い出すたび、同じ気持ちで笑い合えるだろう。

そのとき隣にいた友だちは、きっと一生の仲間になる。



数日後の昼休み。

理科係当番の璃久りくは、ひとり理科室で机を整えていた。


あの騒ぎのあと、理科室に本を借りに来る子の数は激減した。

窓の外では、木々が冬の風に揺れている。


「ふぁぁ……」璃久は椅子に座って、小さくあくびをした。


理科室の空気には、少しだけ懐かしい病院の匂いが混じっている。


――また、見えてる。


幼いころ――長期入院していたころから、璃久には“それ”が見えていた。

病室の隅、窓の外、点滴スタンドの向こう。

誰もいないのに、確かに“誰か”がいる気配。


でも、怖いと思ったことはない。

それらはただ、世界の片隅にある“もうひとつの仲間”のようなものだった。


「4、5……7、8……今日はたくさんいるね」

璃久は机の上で組んだ腕を枕のようにして、ふっと笑う。


「幽霊がいるとかいないとか、そんなことはたいした問題じゃない。本当の問題は――」

言葉を探していると、理科室の端で骨格標本ホンホンが、ほんの少しだけ首を傾けた気がした。


璃久は目を細め、立ち上がる。

窓際に歩み寄り、誰もいない空間に右手を差し出す・・・・・・・と、璃久のまわりの空気がふわりと動いた。


差し出した右手をぐっと握ったあと、手のひらをすべらせ、指を鳴らし、肘を軽く合わせる動作。

そして――横ピース。


その瞬間、校舎にチャイムが鳴り響いた。

璃久はにこっと笑ってその場を離れ、荷物をまとめる。


教室を出る前、ふと振り返ってつぶやいた。

「花子ちゃんも、ホンホンも――ぼくが卒業するまで、仲良くしようね」


理科室のドアが閉まる。

風がカーテンをふくらませ、ふわりと浮いた隙間から、午後の陽が床をやさしく照らした。


幽霊がいても、いなくても。

信じていても、信じなくても。

見えない何かに守られながら――みんな、今日も生きていく。


この世は、そんな優しい世界なのだと、小学生の璃久は信じている。

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よみがえらせ屋やってます ― 忘れられない“誰か”はいますか? 晴久 @nanao705

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