第13話 知らぬが吉 後

 ニコは故郷の味として焼き饅頭を、私はおすすめだというシチューセットを注文し、それぞれシェアしていただいた。


 久しぶりのまともな食事は、美味しかった。まあ、ババンバーと比べればなんでも美味いという感想にはなるのだが、その素朴ながらもどこかほっとする味には、実家のような安心感があった。


 人は何も味覚でのみ「おいしさ」を感じているのではない。子どもの頃に好物だった母の手料理や、祭りか何かで酒が入ってどんちゃん騒ぎをしながら口にした屋台飯など、人は経験や雰囲気からも「おいしさ」を感じることはある。


 故郷の思い出の味こそがナンバーワンで、それに比べたらあんたの料理はカスだと言い放つ人間だって、世の中にはいるのだ。


 異国の珍味も、新鮮味があって悪いわけではない。しかし、故郷を遠く離れて旅をしていれば、なんだかんだで食べ慣れた味が恋しくなる。そこをこの店は店名の通りに、派手なところはないが郷愁の念を満たす家庭料理を、手ごろな価格でしっかりと提供してくれている。


 味、値段、ともに五。そこから混雑していて待ち時間が長かった点を差し引いて、星四つとさせていただきます。


 内心そんなレビューをしながら、私は満たされた腹を撫でた。


 ぬっと顔に影がかかる。


「空いている食器、おさげします」


 いつの間にか傍らに少女が立っていたので、ビクリと身体が揺れた。


 接近には、まるで気がつかなかった。


 制服らしき頭巾と前垂れ姿の女の子だった。少しくせの入った黒髪を、後ろにお団子にして纏めている。歳は自分と同じくらいのように思えるが、どこか浮世離れした雰囲気がその正確なところをわからなくしていた。


「あ、追加注文してもいい?」


 お品書き片手にニコが尋ねると、給仕の少女はこくりとうなずく。


 繊細な造りのパーツを、ピンセットで一つ一つ配置していったかのような均整の取れた顔は、接客業の人間にしてはだいぶ硬く、まだ仕事に慣れきっていない様子がうかがえた。


 それでも彼女は、平たく言って美少女だった。むしろ硬い表情が、彫像のような静謐な美しさを生んでいる印象すらある。


 常連客からは「マリィちゃん」と呼ばれている彼女は、このテーブルが六つ並んでいるだけの狭い店内で、客の注目を一身に集めている。


 その気持ちはわかる。私も、美少女は好きだ。目の保養になって視力が上がるし、できることなら客と一緒になって、その可憐な様子を網膜に納めておきたかった。


 しかし、どうにも調子が悪かった。なぜだか彼女を見ていると、得体の知れない感覚が腹の底を撫でていくので妙に落ち着かない気持ちにさせられる。


 それで私は、この店で彼女を見てからこのかた、視線を合わせないようさりげなく顔を伏せていた。


 伏せた視界の中で、ほっそりとした指が皿を重ねてテーブルの脇に寄せ、前垂れのポケットからメモ帳を取り出す。


「注文、伺います」


 大衆食堂の給仕にしては場違いな、ずいぶんと丁寧な口調で、待ちの姿勢に入った。


 ニコはいつもの調子で、


「評判を聞いてやって来たんですけど、まんばりん? ってのはありますか」


「まんばりん……」


 少女は一瞬だけ形のいい眉を曲げ、


「ああ」


 すぐに察したようで、店の奥を手で示した。自然、私とニコはそちらへと顔を向けることになる。


 そこに立てかけられていた木板には写実的な絵が描かれている。


 それは、見覚えのあるシルエットだった。


 ふと、口を突いて出るものがあって、私は呟いた。


「プリンじゃん……」


 描かれていたのは、黄と黒のコントラストの眩しい、円錐台形。周囲を彩る白いクリームと赤いベリー。


 どう見ても、プリンだった。推測もへったくれもなく、よくよく見れば横にはずいぶんな達筆で「マギプリンはじめました」などとはっきり書かれている。確定プリンなのである。


 旧知の仲の相手でも見つけたかのような私の言葉に、ニコは首をかしげた。


「あれ、リオ、知ってたの? 遠方の地より伝来した伝説の最先端スイーツ」


「そのフレーズ気に入ったの? ……まあ、天啓由来で、知ってはいる」


「へー。そんなことも知らせて来るって神様って案外甘党なのかしら」


 ニコはさほど気にした風もない様子でそう言って、二本指を立てた。


「じゃあ、マギプリン二ついいかしら」


「はい。マギプリン二つ」


 鈴のなるような声で彼女が厨房に向かって声を張りあげると、「おーう」と青年らしき低い声が返ってきた。


「ご注文は以上ですか」


 そして、彼女はお決まりの確認をし、ニコがうなずくのを見て取ると、踵を返して次のテーブルへと向かった。


 私は、視線が外れたのを確認してから、その後ろ姿をちらりと目で追う。


 ニコは、感嘆のため息をついた。


「――しっかしキレイな子よね。この店が評判なのってあの子の影響も大きいんじゃない?」


「え、あ、うん。そうだね」


 変にキョドってしまったために、ニコは怪訝そうな目を向けてくる。


「あら、珍しい。いつもなら可愛い子見かけるたびに『健康になるー』とかアホっぽく言ってるのに。今日はやけに大人しいじゃない」


「アホっぽくってなんだよ。いいだろ別に。……まあ、そんな日もあるってだけだよ」


「ふーん……? まあいいけれど」


 ニコは私の様子を奇妙に思っていたようだが、それ以上は突っこむことをしなかった。


 とはいえ、突っ込まれたところで、現在の自分の状態を自分で説明することもできない。この店の看板娘について気にはなっているが、積極的に関わっていく気も起きない。そんな心境であった。


 その心境が何に由来するものか考える暇もなく、プリンはすぐにやってきた。


 厨房に立つ若い男が作ったらしきそれを、カウンターで受け取ったマリィちゃんが運んでくるまで一分も経っていなかった。作り置きをしているとしか思えない早さでの提供である。


 テーブルの上に配膳されたプリンが、皿の上で魅惑的に揺れた。


「これが遠伝伝最スイーツかあ。この黒いのはなに?」


 ついに略しはじめたな。普段使いするつもりか?


 備え付きのスプーンで黒い面を叩くので、そのたびに波打つようにプリンは揺れた。


「カラメルソース。たぶん原料は砂糖。焦がしてるから、ちょっとだけ苦いんだ」


「へえ、どんなだろ。ま、食べてみればわかるか」


 ニコは躊躇なくプリンを掬い取ると口へと運んだ。幼馴染はそこらへん思い切りがよい。


 二、三度口を動かして、喉を動かす。


 目を瞑り身体を小さく震わせ、


「んーっ! あまいっ!」


 ご満悦な声で、そう評するのだった。


「あと柔らかい! なんだろ、あまい豆腐って感じ? ケーキにはない食感がいいわね」


 相当気に入ったらしく、ハイペースでスプーンを皿と口との間で往復させ始めたので、私も幼馴染にならってプリンを口にした。


「……うっま」


 素直に、そんな言葉が出た。


 実に転生を挟んで十五年以上ぶりに口にするプリンだった。


 前世の記憶は、もはやおぼろげだ。にも拘わらず、口にした瞬間、プリンとはこういう味だったという記憶が鮮明に蘇り、ただの栄養補給では味わえない感慨が湧いてくる。


 母さんが買ってきてくれた三つ入りのケミカルプリン、一個五百円以上もする専門店のプリン、家で作ってみるも『す』が入ってしまい納得いくできにはならなかったプリン。そのすべての思い出が瞬時に胸のうちに去来し、今となっては帰ることのできない遠い故郷を思い起こさせた。


 突如としてこみ上げてくるものがあって、私は目頭を押さえた。鼻をすすったところを目ざとくニコに指摘される。


「リオ? ……泣いてるの?」


「いや、ちょっと目にゴミが――」


 誤魔化そうとするも、言葉に詰まって、涙がとめどなく溢れてきた。


 ここまできたら、隠しようがない。私は開き直って涙を流しながら、プリンを掻きこむようにして口に流し込んだ。


 間違いなく、このプリンのせいだった。


 このプリンがうますぎるせいで、私の固めていたはずの決意は、たやすく突き崩されてしまっていた。


「……ニコ」


 私は、対面に座る幼馴染に、胸の内を吐露した。


「ぶっちゃけ、もうババンバー食べたくない……」


 それが私の、正直な気持ちだった。


 だって、マジでまずいんだもん、あれ。この味を知ってしまってから、もう一度、あの生活に戻れる気がしなかった。その気持ちは、走り続けることはできても、一度しゃがみこんで休んでしまうと立ち上がれなくなってしまうときのあれと、たぶん似ていた。


 ニコはその言葉が聞きたかったとばかりにゆっくりとうなずく。


「ちゃんと言えたじゃない。それが聞けただけでも、連れてきてよかった」


 そう言って、ニコは身を乗り出して、ハンカチで私の目元拭った。その母性的な手つきに、油断すると「ママ……」と言いそうになるのを堪える。


「やっぱり無理はいけないよ。あたしも協力するから。別の方法を一緒に模索しましょう」


「うん、うん……」


 そこでニコは身を離し、


「感謝しなさいよね。こんな世話焼きな幼馴染がいるだけで、リオは相当恵まれてるんだからね?」


 少し照れが混じったのか、茶化すようにそう言う。


 私は笑った。


「わかってるよ。村から出るとき、ついてきてくれたときから、それはわかってる」


 本当に、幼馴染には感謝をしていた。


 袖口で顔を拭い、財布を取り出して立ち上がった。


「まあ、とりあえず、感謝の一環として、ここの勘定を払うぐらいはするよ」


 そう告げて、財布を片手に、勘定場に向かう。


 台の上に貨幣を置いて待っていると、看板娘が慌ただしくやってきて、私の対面へと立った。


 彼女はじっと私の顔を見つめている。目が赤くなっているのを見られていると思って、私は顔を逸らし、


「恥ずかしながら泣いてしまって……」


 と説明する。返事を期待していたわけではなかった。


 すると、少女は口を開いた。


「……プリン、おいしかったですか?」


「え、あ、はい!」


 急に画面の中の登場人物が話しかけてきた気分になり、返事の声がひっくり返ってしまった。


「それはよかったです」


 相手は受け取った貨幣をしまい、釣銭を取り出し、


「お返しになります」


 そのまま握り込ませるようにして、彼女の両手が私の手を包んだ。


 驚きの声を上げることもできないでいると、彼女の顔に、不器用な感じの、はにかむような笑みが浮かぶ。


 そして、彼女は言った。


「よかったら、また来てくださいね。お待ちしています」


「……」


 少しひんやりとした彼女の手の感覚だけがあった。


 頭が真っ白になっていた。


 間を置いて我に返ったあと、あらためてマリィちゃんの顔を見た。


 可憐だった。


 それでようやく、私は先ほど抱えた得体の知れない感覚の正体について、悟ることができた。


 ほとんど無意識に彼女の手を取って、片膝を立てる形でしゃがみむ。狭い店内で、その行動は当然目立つ。なんだなんだと店内で食事を取っていた客の視線が己に集まってくるのを感じた。


 しかし、私はそれに構わず頭を下げ、大きな声を張りあげた。


「結婚を前提にお付き合いしてくださいッ!」


 勢いのままに、私は告白をしていた。


 私は、彼女に一目ぼれをしていたのだ。


 おそらくは、初めて顔を見た時点で。


 そうと気付いて、居ても立っても居られなくなり、行動に移していた。


 マリィちゃんは、不意を撃たれたかのような顔をして、じっとこちらの顔を見つめている。


「はぁぁーッ!?」


 どこかで、聞き馴染みのある叫び声が聴こえた気がしたが、ろくに耳に入ってこなかった。


 そのまま、彼女が返事のためにか口を開こうとするのを見届け、


 私の後頭部に、衝撃が走った。


「いきなりなにやってんのこのバカ! ――すみません、お騒がせしてしまって! すぐに出て行きますんで!」


 不意打ちの一撃は、1.5倍のダメージだった。


 幼馴染のアンブッシュに遠ざかる意識の中、脇を抱えられ運ばれているらしく、一目惚れ相手の顔がどんどん遠ざかっていくのを見た。


 何を考えているのかわからない、静謐な表情は、依然として美しかった。


 せめて名前だけでもと手を伸ばし――


 私はやがてがくりと意識を失った。



「で、どうするんだ、マリィ。情熱的に告白されたわけだが」


 慌ただしく退出していった二人組を見送り、おれはマリィに声をかけた。


 これまでもしつこく口説こうとしてマリィに物理的に追放されてきた男は少なくない。が、あれほどまでにまっすぐに告白する者はそう多くなかった。


 だから、どう反応するものかと様子を伺ってみた。


 案外悪い気はしてないのではないか。


 しかし、マリィは思いのほかなんともない顔をしていた。


「どうするも何もないけど。私だって冗談ぐらいわかる」


「いや、あの感じは、冗談じゃないと思うが」


 じゃなきゃ、いきなり衆目の面前で大声で、初対面相手に一世一代の大告白をやるものではない。


 おれの言葉に、マリィは本気で不思議そうな表情を浮かべた。


 そして、彼女たちが出て行った入口に視線を向けて、小首をかしげてこう言った。


「でもあの子――女の子よ?」


 方や恐縮そうな顔で、方や気絶した顔で退店していった二人組の姿を思い返す。


 背の高い方の一人は、肩のあたりまである栗色の髪をサイドテールに纏めた、活発そうな少女だった。そしてその少女に瞬く間の早業で殴られ昏倒させられたのが、水色のショートカットをヘアピンで止めた、マリィと同じ年ごろの少女である。


 おれは遠い目をして答えた。


「女が好きな女もいる。それも多様性って奴だ」


 わかったような口を利いてみるが、マリィはいまいちピンと来ていない様子だった。


 気絶した少女には悪いが、どうやら脈はなさそうである。


 仮に妹と付き合うような相手が出てきたときに、兄としてどう振る舞うべきか。そのあたりの要領がまるでわからなかったために、内心少しほっとする。


 それで、仕事中のささやかな騒動の一幕は終わりを告げた。


 背後から、女性客の声がした。


「店員さん。『マギプリン』くださいな」


「はい、ただいま。――兄さん」


「あいよ、ちょっと待ってな」


 おれはマリィの声に応えて、すぐさま厨房へと向かった。マリィはマリィで、給仕として忙しく動き回っている。



 ――気付けば、この世界に生れ落ちて、二十年の月日が過ぎていた。


 いろいろあったが、結局落ち着くところに落ち着くものだった。おれは今、気のいい夫婦の営む食堂で、妹とともに立ち働いている。



――――――


 この話はここで完結です。ここまで読んでいただきありがとうございました。


 よければ星で評価していってもらえると嬉しいです。

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製菓魔法の転生者~妹がなにかの拍子にハジケて裏ボスになることをおれはまだ知らない~ さんゼン @san8zen

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