後編

 到着したのは昼を随分とまわったころであったため、詳しいことはまた明日ということになった。

 夕刻には当主も帰宅し、改めて挨拶をする。公文の父も驚いてはいたが、夕子がこちらへ訪れることは知っていたこともあり、出迎えの不備を同様に詫びられた。


 公文の父親ということで、同じような風貌を想像していたが、反するように穏やかな顔をした男性で面食らう。草薙夫婦はふたりが並ぶとほんわかとした温かみがあり、公文ひとりがどこか異質であった。

 かといって家族仲が悪いわけではなく、不愛想な息子を詫びる温厚な両親といった形。公文のほうもそれらを厭うようすもないことから、これが常なのだろうと知れる。


 思えば夕子はいつも家の中で居場所をつくることができずにいた。

 実の両親の下でさえそうだ。


 山野辺の女でありながら、山神やまがみの声を聞くことができない。鎮めの儀式もこなせない。

 母からの失望は常に感じており、そのかわりとばかりに学業に甘えは許されなかった。学びの範囲は一般的な教養だけに留まらず、山野辺家に伝え残る怪異の知識も詰め込まれた。母はとても厳しい師であった。

 女のくせに生意気だと揶揄されながら、中学で学年の首席となったのは母のおかげではあるが、それは死した母の妄念のようにも感じ、素直には喜べなかったものだ。



 通された客間で眠りにつく。

 障子の向こうがぼんやりと光っていることに気づき、うっすらと横に引いてみる。

 広い庭は自然味に溢れており、月明かりの下で冴え冴えと怜悧な顔を見せていた。


 伯父の家は洋風建築で、庭というよりはガーデンという外国の言葉を冠するに相応しいものだったが、こちらは昔ながらの日本家屋。この家族に似つかわしい趣のある良い庭だ。


「……わたしも、ここの一員になれたらいいのに」


 ぽつりと零した声は我ながらとても寂しげで、苦く笑った。


 闇はいけない。

 思考が悪いほうへ引きずられてしまう。

 それはやがて邪を呼ぶ。


 こんなことを当たり前に考えてしまうから、自分は普通の日常をうまく生きられず、いつもどこか借り物で、仮の住処にいるように感じられるのだろう。


 ぼんやり眺めていると、ふと視界の端になにかが映った。

 黒い陰のようなものが見える。

 あやかしの類だろうか。

 祓い屋に恨みのあるモノが復讐に駆られて忍んできた――


 無意識に内心でしゅを唱える。

 そのとき雲の切れ間で月光の位置が変わり、陰の場所を照らした。きらりとなにかが光る。

 息を呑むなか、姿を現したのは猫。白い毛並みが月光に映えている。薄暗いため判然としないが、ところどころに色が入っているようだ。


「……なんだ、猫かあ」


 夕餉の際にも姿は見なかったが、草薙家の猫だろうか。それともただの野良?


 考える夕子に目を向けた猫は、やがてくるりと背中を向けどこかへ消えてしまう。立てたしっぽは茶色く、けれど黒い色が巻きついたような模様が印象に残った。



     □



 朝食をいただき、せめて片付けだけでもと手伝いを申し出た。

 草薙夫人は夕子の気持ちを汲んでくれたのか快く隣に並ばせてくれ、釣書つりがきには書いていない、日常に即した普通のことを話してくれた。


 続いて洗濯。干すのを手伝う。

 そのあと縁側に座り一服。お茶がおいしい。



「じゃあ、そろそろお見合いを始めましょうか」

「息子さんに気に入っていただけるかしら」

「あの子の女性の趣味はわからなくって。なにしろ浮いた話ひとつもないものですから」

「お母さまがご存じないだけなのでは?」

「ならいいんですけどね」


 ほうと頬に手を当て息を吐いたのちに立ち上がる。


「息子に声をかけておきます。夕子さんはこちらへ来てちょうだい」


 手を引かれて入った小部屋にはしっかりとした衣装箪笥が並んでいる。

 大きな引き出しを開け、いくつか取り出して床へ広げた。それは見るからに立派な訪問着だ。


「夕子さんのお顔だと、この色かしらねえ」

「いえ、あの」

「お気になさらないで。若いころに仕立てたもので、おばさんにはもう似合わないのよ」


 そういう意味ではなく。

 着飾らせるのであれば息子のほうであり、見合い相手のよその娘ではないはず。


 戸惑う夕子に対し、夫人は柔らかく笑む。


「あなたのお母様の代わりをさせてちょうだい。言うなればここは敵地だものね。味方が必要でしょう?」

「敵地、ですか」

「私もね、主人との見合いの席はすごく緊張したの。だからね、絶対に味方になろうって決めていたのよ」


 男たちには内緒よ。

 そう悪戯めいて微笑む顔は、落ち着いた女性というよりは、年若い娘のようでもあって、夕子は肩のちからが抜ける。


「はい、お母さま」

「公文を驚かせてあげましょう。こんな別嬪べっぴんを嫁に貰える三国一の果報者はいないってぐらいにね」



     □



 味方がいないのはむしろ公文氏のほうでないか。


 化粧までしっかり施されて戻ると、居間の机ではすっかり待ちくたびれたようすの青年が饅頭まんじゅうを食べていた。


「お待たせしてしまい申し訳ありません」

「いいのよ夕子さん、女性の支度には時間がかかるものなのですから、ねえ公文」

「おっしゃるとおりです母さん」

「では始めましょう。あのひとはどうしても仕事が休めなくて、私ひとりでごめんなさいね」

「押しかけたのはわたしですから……」

「それにね、私、お仲人さんってやってみたかったのよ。いい機会だわ」


 楽しそうに笑い、夕子へ座るように促した。


 双方とも付き添い人がいない状態で対面に座る。

 見合いの知識は聞きかじっただけの夕子だが、これがあまりにも例外的であることはわかった。

 なにしろ夫人は互いに名乗らせたあと、「ではお庭へ出て話をしていらっしゃい」と追い出しにかかったのだ。その理由は「あなたたちがいると掃除ができないでしょう」


 邪魔だから外で話せ。


 そう言ってのけたのである。

 唖然とする夕子と、深々と息を吐いた公文。


「山野辺さん、どうぞこちらへ」

「はあ……」


 そのまま縁側から外へ出る。いつのまにか履物が移動されており、これは思いつきではなく、はじめから算段していたことなのだとわかった。

 夫人はのんびりしているように見えて意外としたたからしい。



     □



 公文に案内されながら庭を歩く。

 といってもどこかの料亭ではないのだから、歩き回るのにも限度があった。ほどなく端に着いてしまい、公文は軒下に据えられている椅子を指して座るよう促した。


 腰かけると自然に視線は前を向く。

 家を囲む塀の向こうに山が見えた。

 全貌を把握できないほど近い距離にあり、山が迫ってくる勢いだ。


 こんなにも近くに山を感じたのは久しぶりだ。

 生まれた家は山裾にあったが、伯父の家はもう少し町中に建っていた。自分の無能っぷりを自覚するのが嫌で遠ざかっていたことも重なり、いつのまにか見ないふりをしていた。


 けれど山はそこにある。自分を見守っている。


 距離を置いていたのは自分の我儘だったと素直に詫びる気持ちが湧いてきた。

 夕子のくちから謝罪がもれる。



「申し訳ありません」

「見合いの日時のことであれば、むしろ詫びるのはこちらで」

「いいえ、そうではないんです。この見合い自体、なんだか騙し討ちのような真似をしてしまいました」

「と言うと?」

「わたし、落ちこぼれなんですよ。巫女としての能力は持っておりません。ヒトではないものをることはかろうじてできますけれど、それも絶対ではありません。草薙さんが求めるような人材ではないんです」


 あんなにも知られることを恐れていたのに、妙にすっきりとした気持ちだった。

 自分の視野がひどく狭くなっていたことに気づく。


 地元を離れて見知らぬ土地に来たせいだろうか。

 この地なら、自分を誰も知らない場所でなら、新しい生活を始められるのかもしれないと思えてきた。目指せ職業婦人だ。


 夕子の告白に公文はくちをつぐんだが、やがてそっと息を吐いた。


「そんなことは気にしなくても構いませんよ、むしろ気に病ませていたのであれば謝罪します」

「ですが、山野辺の巫女筋を望んだと聞いております」

「そのように望んだのは祖父母をよく知る者たちでしょう。祖父はちからの強い術師でしたから」


 しかし時代は変わった。

 僻地ともいえる田舎にも線路が敷かれ、電気が通り始める。

 夜は闇ばかりではなく、光が灯るようになってきた。怪異の存在もひとの心から消え始めており、信じる者が少なくなればやがて廃れていくのは巫女も祓い屋も同じこと。


「祓い屋を名乗っていたのも祖父世代まで。父は会社勤めをしております。僕がそうでないのは、祖父に似て術師としての能力が高いせい。威光を大事がる層はまだおりますので、完全に廃業とまではいかず一応名を継ぐ形で残っております。しかしそれも僕の代まででしょう。引きずるつもりはないんです」

「そうでしたか」

「ですが、すべてをなかったことにするつもりはありません。さんぽうのぬしと草薙の繋がりは容易に断ち切れるものではない」

「三方という地名は、あの山から名付けられたのですか?」

「と聞いていますね」


 公文は人差し指を動かして空中に文字を書く仕草をする。


「さんぽうとは、かつて『三つの宝』と書いたそうです。あの山には宝があると知れると面倒だと、名を改めたといいます」

「あらまあ、山賊でもおりまして?」


 言うと公文はぷっと噴き出して笑った。

 鋭さを描いた眉が下がり、柔和な顔つきになった。それは彼の父親にどこか似ていて、やはり親子なのだと感じる。

 しかしそれよりも夕子の目を奪ったのは、草薙公文そのひとの顔だ。


 険しく精悍な顔との落差に胸を撃ち抜かれる。

 同級生の女子たちがこぞって花を咲かせていた恋愛話、もっと聞いておけばよかった。

 そうすれば、このはやる気持ちの正体が恋なのか否か、判断がついただろうに。残念だ。


 だって夕子はもう求められていない。山野辺と草薙が縁づく必要はないと、他ならぬ縁談相手から宣言されてしまった。ご破算だ。

 せめてもうすこしだけお邪魔させてもらい、自分の身の振り方を考えたい。


 願い出ようとした夕子だが、ふと視界の端に異物を感知する。その方向へ目をやると三毛猫が寝そべっていた。ゆらりと揺れたしっぽは茶色く、先端へ向け黒い毛がぐるりと巻き付いている。


「まあ、ゆうべの猫ちゃん」

「タマ」


 夕子と公文が同時に声を発したとき、猫が鳴いた。


『ようやく嫁を貰う気になったのかい。この子は見込みがあると思う、おまえに似合いだよ、公文』

「タマ、おまえは」

「タマさんとおっしゃいますの? 昨夜は寝間着のまま失礼いたしました、山野辺夕子と申します」

『こちらこそ、公文を頼むよ。女っけのないことはアタシが保証してやる』

「わたしがいることを許してくださいますの?」


 にゃあと鳴く三毛猫に言葉を返す夕子を見て、公文は驚いた顔をして声をかけてきた。


「あなたはタマの声が聞こえるのですか?」

「いいえ。なんとなく、そう言ってるのかなって思ってるだけ。なにしろ落ちこぼれの巫女ですから。ですが、そうですか。あの三毛猫はあやかしなのですねえ」


 可愛らしいわ。

 そう言って笑うと、公文は口許を手で覆って視線を下へ向けた。くぐもった声が漏れてくる。


「……聞いていただけますか?」

「なにをでしょう」

「我が草薙と三宝山の主が築いてきた盟約。しかしこれは一族のみが知る秘密です」

「そんな大切なこと、部外者のわたしがお聞きしても大丈夫なのでしょうか」

「部外者ではありませんよ。だってあなたは僕の妻になる方ですから」


 そうでしょう?


 青年の内心が夕子の頭に響く。

 公文が夕子を見据えた。眉は変わらず鋭いけれど、眼差しは優しく、口許は弧を描く。


 あの声は単なる願望かもしれない。

 けれど、都合よく受け止めることにして、夕子ははにかんだ笑みで「はい」と答えた。




 行儀見習いを兼ねて草薙家で暮らすこと約二年。

 十九を迎えた夕子と公文の祝言は、滞りなくおこなわれた。


 夫婦となったふたりが縁側で寄り添うなか、足下で寝そべる三毛猫が、慶事を祝ってにゃあと鳴いた。




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【コミカライズ】落ちこぼれの巫女は祓い屋に嫁ぎたい 彩瀬あいり @ayase24

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