空模様を廻す石

kou

空模様を廻す石

 街の喧騒から逃れたような場所に、苔むした石段がひっそりと続いていた。

 中学生の佐京さきょう光希こうきは、自転車で裏道を散策している中、道に迷ってたどり着いたのがそこだった。

 石段に誘われた先で古刹に着いた。

 静かな境内へと足を踏み入れる。

 本堂の裏、墓地へと続く木立の中に、光希は奇妙な石造物を見つけた。

 角ばった御影石の柱の中央がくり抜かれ、同じ石でできた分厚い輪が嵌まっていた。

 興味本位で、そっと輪に触れる。

 ゴロリ、と重い石が擦れる鈍い音が響く。

「それに興味がおありかな」

 声をかけられ振り向くと、作務衣姿の老いた住職が立っていた。

「これは?」

「天気輪の柱じゃ」


【天気輪の柱】

 別名を地蔵車、菩提車ともいい、東北地方における墓地や村境に見られ、農耕に恵みをもたらす天候を祈り、死者を弔う目的で設置された仏教的な宗教設備の一種。

 形態的には、石や木製の柱の手の届く部分をくりぬいて、回転可能な輪を取り付けた形状をしており、祈祷者はこれを回して祈り、願をかける。


「昔の人は、この輪を回して空の機嫌、つまり空模様をうかがったんじゃ。日照りには雨を、長雨には晴れをと。昔の話じゃ」

 住職は笑ったが、光希には妙に心に残った。

 その日から、光希の周りで不思議なことが起こり始めた。

 朝から土砂降りだったが、「晴れて欲しいな」と強く願って、寺でやったように空中で輪を回す真似をすると、昼前には嘘のように晴れ渡った。

 偶然だと思った。

 でも、家族と出かける日も、天気予報で雨であったのに都合よく晴れたりした。

 自分の願い通りに空模様が変わった。

「あの天気輪のせい?」

 まるで魔法のようだったが、同時に言いようのない不安が胸に広がった。

 光希は再び寺を訪れ、住職に相談した。

「単なる祈りだけではない、この土地に積もり積もった人々の強い念が込められているのかもしれん。昔の飢饉や疫病で亡くなった人々の、無念や渇望……。輪を回すことは、その念に触れること。それが、空模様という世界のことわりに、僅かな波紋を起こしたのかもしれん」

 住職は光希の目をじっと見た。

「君は、どんな思いで回したのかな?」

 光希は正直に話した。

 最初は好奇心。

 でも、途中からは自分の都合のためだった。

 申し訳なくて、少年は頭を下げた。

 その時、急に空が暗くなり、強い風が吹き始めた。

 遠くで雷鳴が轟く。

「まさか!」

 住職の顔色が変わった。

「良からぬ願いを込めて、誰かが回しておる!」

 二人が天気輪のある場所へ急ぐと、見知らぬ男が立っていた。やつれた顔に狂気を宿し、輪を乱暴に回している。

 石が削れるような不快な音が響き渡る。

「これで変わるんだ! 俺の人生も、このクソみたいな天気も!」

 男の叫びに呼応するように、空は真っ黒な雲に覆われ、ひょう混じりの激しい雨が叩きつけ始めた。

 風が唸りを上げ、木々が大きくしなる。

「やめなさい!」

 住職が叫ぶが、男は聞く耳を持たない。

「彼は、自分の不運を全て天気のせいにし、それを無理に変えようとしておるんじゃ!」

 男の力が強すぎるのか、あるいは込められた負の念が強すぎるのか、天気輪の石が軋み、柱に微かな亀裂が入ったように見えた。

 その瞬間、ひときわ強い稲妻が空を裂き、近くの木に落ちた。

 轟音と閃光に、男は短い悲鳴を上げ、そのまま地面に崩れ落ち、動かなくなった。

 だが、嵐は止まない。

 むしろ、制御を失ったようにさらに荒れ狂う。黒い雨が渦を巻き、風が境内を破壊するように吹き荒れる。

「君しかおらん! 正しい祈りを込めて、この嵐を鎮めてくれ!」

 住職の声が飛ぶ。

 光希は恐怖に足がすくんだ。

 だが、このままでは、もっと大変なことになるかもしれない。それに、自分が天気輪に関わったことから、この事態が起こったのかもしれないのだ。

 光希は冷たい石の輪に両手を添える。

「どうか、お鎮まりください」

 心の中で必死に祈りながら、ゆっくりと、丁寧に輪を回し始めた。

 さっきまでの男の乱暴な回転とは違う、静かで、敬虔けいけんな動き。

 最初は重く、軋むようだった輪が、光希の祈りに応えるように、少しずつ滑らかに回り始める。

 黒い雨の色が薄れ、風の唸りも次第に収まっていく。

 天の怒りが和らいでいくのを感じた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 激しい嵐は止み、厚い雲の切れ間から、まるで浄化するような月明かりが差し込んできた。

 天気輪は、静かに佇んでいる。

 その表面には、嵐の名残のような黒い染みがうっすらと残っていた。

 住職が駆け寄り、倒れた男の無事を確認する。

 気絶しているだけだった。

 光希は寺を後にした。

 住職は、

「君の清らかな祈りが、天に通じたのじゃろう」

 と静かに微笑んだ。

 日常に戻った光希は、以前と同じように空を見上げる。

 でも、その意味は少し変わった。

 空模様は、ただの天気じゃない。

 それは、人の心や、土地の記憶と、どこかで繋がっているのかもしれない。

 そして、あの天気輪は、今も町の片隅で、人々の祈りを受け止めながら、静かに回り続けているのだろう。

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