Day2 物語と現実


 キャンプ場での出来事から三日後——。


 夕暮れのリビングで、あかるは大きな窓から見える夕空の朱から橙、薄桃色にグラデーションが水彩画のように滑らかに色変わりしていくのを見つめていた。


 朱のあけのそらはし天の名の意味である。


 "し"は人の世では姓にあたる。

 まじないに近い意らしいが妖魔鬼の言語は人と異なる為、完全に翻訳できない。


 四歳児の小さな体に詰め込まれたのは、現代日本で社会人だった「私」の記憶と、「Clear CLEAR」の全ストーリー。それが一気に蘇ってきたあの日から、世界は全く違うものに見えていた。


(まさか……本当に転生とか何も知らないまま過ごせたら良かったのに)


 テーブルには湯気の立つコーンスープ(シチューのルゥにコーン缶クリームタイプなどを混ぜたもの)と焼きたてのパンが並んでいる。

 母・まりあが「今日はあかるちゃんの好きなコーンスープよ」と笑いながら置いた。まりあは優しくて料理上手で、まるで絵本にでてくるお母さんのよう。

(ママも漫画の登場人物なんだ…)


 その時、玄関のドアが開く音がした。「ただいまー」と言いながら入ってきたのは、他でもない透野 柊士しゅうし——し天その人だった。

「おかえりなさい!」

 母が明るく迎える声。柊士は微笑みながらカバンを置いて、すぐにあかるの方へ歩み寄ってきた。

「お土産だよ」

 そう言って差し出したのは、キャンプ先で拾ったという色鮮やかな葉っぱたち。あかるが大喜びすると予想して持ってきたのだろう。だけど——。


(し天……。)


 記憶の中にある、キャンプ場での凄まじい戦闘臭が蘇る。

 印象的な赤く長い鋭い爪、圧倒的な力で妖魔を斬り裂く姿を想像させる。朝見たらさぞかし凄惨な蹂躙現場を拝めたであろう。

 繊細な金糸の髪、薄秘色の角、物語では無傷であった彼の角は片方だけで片方は根元から折られたようだ…、何があったのだろう。そして、あの漫画の中心キャラの一人であるはずの彼が今、目の前で優しく微笑んでいる。

「し天」

 口の中で小さく聞こえないように吐息でその名を転がす。答えは期待していなかった。彼は少し驚いた顔をしてから微笑んだ。

「どうした?」と優しい声で言う彼。

「?!」

「聞こえなくても、それはわかる。そういう─────約だから」

 ……後半良くわからなかったし文章で最も重要な部分!しかも名前知ってるの!誤魔化せなくなった。今ので、追及して来ないし(やばいどうしよう)


「あかる?」

 柊士が不思議そうにあかるの顔を覗き込む。その瞳は人間のもの。黒い白目でも薄碧の瞳でもない、どこにでもいる人間の瞳。

(漫画の中の"し天"は、こんな風に優しく他人を見ていたろうか?ここだとママの目があるから?)

 あかるの記憶の中にある「Clear CLEAR」のし天は、もっと冷たくて、母以外の人間には無関心な目をしていた。少なくとも序盤は。柊士はずっと良い子のふりだったし。人間という種族を嫌悪し、退魔師・澪音からの使役の誘いを何度も拒否していた。

 でも、目の前の柊士は——。

「あかる、何か今日変だね?」

 心配そうに額に手を当ててくる。その手は温かくて、心地いい。

(これも、フリ?)

 漫画のし天なら、こんな風に母以外の家族を大切にしていなかったはず。66話で転変化能力を得るまでは、ずっと人間らしさを装う描写があった。

 でも、この柊士は——最初から完璧に「優しい兄」を演じて?いる。

「だいじょうぶ……(何か厭な気分、胸糞悪、い?)」

 搾り出すように答えると、柊士は納得してないようだったけど「そう」とうなずく。

 そして、さっと席を立って台所へ向かう。

「母さん、あかる─────────────」

「、?!」

 まりあが心配そうに視線をこちらに向ける。柊士は、上着を持ってきて着せようとしてくる。

「少し寒いから暖かくしよっか、あかる。」

(……なんで)

「母さんが見てる、いつもみたいに俺のいうことちゃんと聞いて」と私だけに小声でいう。

 漫画のし天は、こんなことしない。脅迫してくるはずだあのキャラクターなら。

 なのに、なんで——。


 父・透野 駿介とうの しゅんすけが帰ってきて、家族3人で食卓を囲む。次兄のタケルはまだ祖父母の家から帰ってきていない。

「柊士、額の傷は大丈夫なの?」

 まりあが心配そうに聞く。柊士の額には、まだ白くて大きい傷口保護用のシートが貼られていた。

「うん、もう大丈夫。すぐ治るよ」

「無理しないでね。お母さん、柊士が怪我したって聞いた時、びっくりしたのよ」

「ごめん、心配かけて」

 柊士は申し訳なさそうに笑う。その笑顔は、まるで聖人のよう。

(……)

 あかるは、スプーンでコーンスープをかき混ぜながら思う。

(この人、全然、懲りてない)

 キャンプ場であかるを守った時、柊士は——し天は、躇はなかった。正体がバレることも、何もかも。

 ただ、妹を守ることだけを考えていた。

(漫画のし天と……違う。)

「あかる、冷ましてるのか?」

 父の声に、あかるははっと顔を上げた。

「……」

 すぐにスプーンを口に運ぶ。いつもなら大好きなコーンスープなのに、今日はコーンの食感と皮が口に残って気になった。



 ベッドに入っても、眠れなかった。

 天井を見つめながら、あかるは考える。

(この世界は、「Clear CLEAR」の世界。妖魔が実在して、退魔師がいて、私の見てないところで戦いが繰り広げられている)

 漫画の設定では、この世界には「歪み」と呼ばれる概念がある。魔気が溜まりやすい場所のことで、そこには自然と妖魔が集まってくる。退魔師たちは定期的にその「歪み」を浄化して、妖魔の出現を抑えている。

 でも、完全に防ぐことはできない。

 だから、巫に管理された場所でも、妖魔は現れる。

(澪音さんは、巫家の跡取り。ユウとレイは、物語の主人公。そして、柊士は——)

 し天。上位妖魔鬼。

 人間に転生した異形の存在。

(でも、漫画と違う)

 漫画のし天は、最初から強かったと思う。転生したばかりの頃から、すでに妖魔としての力を完全に制御していた。

 でも、ここにいる柊士は——。

(澪音さんに、「限界」って言われてた)

 あの夜、兄と寝てた部屋の前で聞いた会話。

「だから、もう限界だって言ってるんだ」

「もう大丈夫だよ」

 柊士の声は穏やかだったけど、澪音の声は切迫していた。

(何の限界?)

 漫画の知識だけでは、わからない。

 この世界は、「Clear CLEAR」の世界に似ているけど、完全に同じではない。

(それとも……わたしが忘れただけで、漫画にも描かれていた?)

 前世の記憶では、「Clear CLEAR」は全編読んでいた。最終回まで。

 でも、細かい設定やサブエピソードまでは覚い出せない。

(もしかして、柊士の過去とか、し天として生きる苦しみとか、描かれていたのかも)

 そう思うと、胸がギュっとした。


 ガヂャ

 ドアが開いて、柊士が部屋に入ってくる。パジャマ姿で、髪が少し湿ってた。風呂上がりらしい。

「眠れない?」

「まだ、かんがえたいことがあっただけ」

 柊士はベッドの脇に座って、あかるの頭をそっと撫でた。

「そう」

(……そう、これは夢だったらいいのに)

「ね、しぃ兄」

 あかるは、柊士を見上げた。

「しぃ兄は、人それとも鬼?」

 柊士の手が、一瞬だけ止まった。

 それから、ゆっくりと動き出す。

「……」

「山であの時、見たから」

 柊士は何も言わなかった。

 ただ、あかるの頭を撫で続ける。

「」

「……」

 小さな声で、柊士が認めた。

「本当は、人じゃない。妖魔鬼、シテン。それが本来の俺だよ」

「まんがの……」

「漫画?」

 柊士が不思議そうに聞き返す。あかるは慌てて口を閉じた。

(しまった)

「なんでもない」

「……そう」

 柊士は、それ以上追及しなかった。

 代わりに、こう言った。

「あかる、嫌?」

「……わかんない」

 正直に答えると、柊士は苦笑した。

「そうだよな。急に俺があんなのになったし、いろいろ考えるよね。」

「あんなのじゃない」

 思わず、強い声が出た。

 柊士が驚いたように、あかるを見る。

「しぃ兄が助けてくれた」

「……」

 柊士は、何も言えなくなった。

 しばらく沈黙があって、それから柊士は深くため息をついた。

「……もう、大丈夫だから。」

 そう言って、いつの間にか涙ぐんでるあかるを優しく抱きしめた。


 ───

「俺は、人の胎児に憑依した妖魔鬼で」

 柊士が、ゆっくりと語り始める。

「憑依したはずだった。でも気づいたら、美波柊士として生まれてた」

「……」

「本来は柊士は柊士として存在して。俺とは別に存在するはずだった。」

 柊士は窓の外を見た。月が昇り始めている。


「最初は、人として生きることが本当に苦痛だった。

 脆弱な身体と妖魔としての本能を押し殺し、“人間の常識”に合わせ、表では愛想笑いで取り繕って、外見だけを見て寄ってくる連中の相手をして………。

 そして、期待どおりじゃなければすぐに敵意を向ける。

 そんな嫉妬と打算まみれの人間社会が、俺は厭になってた……。」

(……確か漫画のし天は、他人に無関心。知識にしか興味がなくて研究者気質で生き方不器用、対人関係でアレな人にはっきり言って恥をかかせた為に陥れられて人間堕ちしたんだよね………)


「でも、家族ができて、少しずつ変わってた」

「家族?………」

「母さんと父さん。タケルくん。そして、あかる」

 柊士があかるを見る。その目は、とても優しかった。

「此処にいると、人として暮らすことも、悪くないって思えるようになった」「……」

「」

「俺はね。今の家が好きだよ。」




「でも」

 柊士の声が、少しだけ暗くなった。

「俺の本性は、妖魔鬼で。人のフリをしていられなくなる時がある」

 柊士は自分の手を見た。

「妖魔の力は、人間の体には強すぎる。だから、常に抑え込んでいないといけない」

「……それで、げんかい」

 柊士が驚いて、あかるを見た。

「聞いてたのか」

「きこえた」

「そっか」

 柊士は苦笑した。

「そう、限界。澪音が言ってた通り、俺はもう長くなかった」

「どうなるの?」

「このままだと、妖魔鬼の力が強くなり続けて、人の姿に戻れなくなる」

 柊士は淡々と言った。

「最悪の場合、完全に妖魔鬼に戻ってしまう。そうなったら、もう人の姿には戻れない」

(……)

「だから、俺は今のうちに、できるだけ家族と居ようとしてた…」

 柊士が、あかるの頭を撫でた。

「人としての最後の時間を、大事な人たちと過ごそうって」


「それは……」

 あかるは思った。

 柊士は、私たちが気にならないくらい自然と居なくなるつもりだったんだろうか?

(……そんなの嫌)

「あかる?」

 あかるは柊士を見た。この人は、まだここに居たいと思っているんだろうか?

「ねぇ」

 あかるは柊士を見上げた。

「しぃ兄は、私たちとこれからいっしょに居れなくてもいーんだ?」

 柊士が少しきまずい顔をする。

「しばらくは家族一緒だよ。」

「しばらく…だけなの…」

「あかる。人の寿命は魔人よりずっと短いし、母さんも父さんも俺達よりは先にこの世から居なくなる」

 あかるは深呼吸した。

 これ以上聞いてしまったらダメかもしれない。これ以上知ってしまうのは怖い。


「お前も子どもみたいなこと言うんだね」


 柊士は少し困ったように眉を寄せた。あかるが首を傾げる。


「私、まだ子どもだよ。」

「そうだったね」

 柊士はベッドに腰掛け、あかるの髪を指で梳く。


「あんまり子どもっぽいこと言ってるあかるって見たことなかったから……」

 柊士は微笑む。

「それにしても、妖魔鬼の俺が人になってその家族と過ごすこと自体があり得ないことだったんだよ、そもそも」


 柊士は立ち上がり、窓際に寄る。月光が彼の横顔を照らす。


「俺はね、し天として生まれてからずっと独りだった」

「独り?」

「そう。誰にも縛られず自由で、

 同時に孤独でもあった」

 彼は遠い目をして続ける。


「だから初めてこの家で『家族』というものを感じた時――すごく暖かい気持ちになった」

「」

「ここは俺の居場所なんだって」


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