1-13【魔障虐待対策室】


 男は京極の存在に気が付くと、鋭い牙が並ぶ口を大きく開いて青く長い舌で相良哀の血を舐めあげる。

 

 その瞬間、京極の中で何かが弾けた。

 

 それは神経に絡みつく黒い糸。

 

 自身の記憶の暗部に根付いた父親の記憶。

 

 見せつけるように母を蹂躙し、こちらを見下ろし口角を歪める父の姿がそのまま男とデジャブする。

 

「その子を放せ……」

 

 京極の低い声には聞く耳を持たず、男は血を舐め続けていた。

 

 しかし突然身体がうまく動かせないことに気が付いて、目だけで京極を睨みつける。

 

「放せと言ってる……」

 

 その目を睨み返して京極が再び凄むと、男の手がぱっと解かれて女が床に崩れ落ちた。

 

 ほんの一瞬、相良哀の身を案じて京極の意識がそちらを向いた。

 

 それに伴いわずかに拘束が緩んだことを男は見逃さない。

 

 ぶちぶちと糸を引きちぎり、男は女の頭を踏み砕こうと足を上げた。

 

「やめろぉぉおお……!」

 

 京極の叫びで女の目が明いた。

 

 それと同時に男は明後日の方向に向かって足を振り下ろし、半狂乱で暴れ始める。

 

「またこの女のトラウマか……⁉ 糞、糞、糞……!」

 

 京極は隙を見て相良哀のもとに向かい、すぐさま女に尋ねた。

 

「何がどうなってる⁉ 傷は大丈夫か⁉」

 

「痛いですよ……すごく。状況は最悪です……あの男、ただの悪魔憑きじゃなかった……中級霊がこんなに強いなんて知らなかった……」

 

「じゃあやっぱり今までの電話も……」

 

 女はこくりと頷いた。

 

「私は視覚を共有できるんです……それで悪魔憑きに虐待されてる子を見つけて助けようと」

 

 その時滅茶苦茶に振り回した男の手が二人を捉えた。

 

 激しい衝撃と痛みを感じたころには、部屋の壁に激突していて、京極の世界がぐにゃりと歪む。

 

「京極さん……! ぐっ……⁉」

 

「捕まえたぞ……糞女め……」

 

 相良哀は男の顔を見て息を呑んだ。

 

 男は自分の目を抉り出し、その目を舌に乗せて見せつけている。

 

「使いもんにならねえ目なんざいらねえ……耳と鼻があれば手に取るように居場所がわかるからなあ……」

 

「その手を放せ……」

 

 京極が無数の糸で男の手を縛りながら、よろよろと立ち上がる。

 

 男は再び激しく地団駄を踏んで叫んだ。

 

「イラつくよ、お前、マジでイラつくよ……!」

 

 女を放り投げて、男は京極に突進する。

 

 糸がたわみ、拘束も効かない。

 

「くぅぅっ……⁉」

 

 京極は目を見開き、死を覚悟した。

 

 同時に視界が黒く塗りつぶされる。

 

 痛みも感じぬまま死んだのかと京極は錯覚したが、それは黒い司祭平服に身を包んだマルロの後ろ姿だった。

 

「恩寵賜るマリアの祈りと、父子聖霊の御名によりて、わが身を聖なる供物とせん。〝青銅の義手〟起動」

 

 マルロの伸ばした手に眩い光の粒子が収束し、青銅のガントレットに覆われた。

 

 その手は男の巨体をものともせず受け止め、握り潰し、あまつさえ触れた部分を焼き焦がしていた。

 

「ぎぃぃやぁぁぁああ……⁉」

 

 男の悲鳴が響き渡る。しかしマルロは眉一つ動かさず、もう一方の腕で男の首めがけて肘を打ちおろした。

 

 ぐしゃ……ぐちっ……ぐじゅ……

 

 肉の砕け散る音が男の悲鳴に取って代わる。

 

 何度目かの肘打ちで男は床に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。

 

 マルロはその場で跪き十字を切ると、短く神に祈りを捧げる。

 

 〝神よ悪を滅ぼし給え〟と……

 

 事を見届けると、京極は激しい眩暈に見舞われそのまま意識を手放した。

 

 目が覚めると、そこは病院ではなく見覚えのある白と真鍮の建物の中だった。

 

「気が付きましたか。京極景虎」

 

 司祭の声で起き上がると、まだ体があちこち痛んで、京極は小さく呻き声をあげる。

 

「眠っている間にあなたたちの処遇が決まりました」

 

「あなたたち……ってことは、哀ちゃんも無事なんだね……?」

 

「ええ。別の部屋でカルロが話をしているでしょう」

 

「そうかい……処遇ってことは、まあバレているわけだ……手を下したのは全て僕だ。彼女は誰も殺していない。殺人教唆もしていない。僕が勝手にやったことだ。罰されるべきは、子どもに親を殺させた僕だ」

 

 京極の目を真っすぐ見据えてマルロは静かな声で言った。

 

「その通りです。あなたは咎人だ。自らの手を汚さず、子どもの手を使った。穢れた虎馬の力を使って……」

 

「話がわかる相手でよかったよ。僕は死刑……いや法王庁の言葉で言うなら断罪か」

 

「いいえ。もっと相応しい贖罪があります」

 

「鞭打ちとかは勘弁してほしいね……」

 

 痛む身体をさすりながら京極がそう言うと、マルロは書類の束を手渡して京極に言った。

 

「恐らくそれよりも険しい道になる。あなたには魔障虐待対策室の初代室長に就任して頂きます」

 

「魔障虐待……対策室……」

 

 京極は渡された資料に目を通し始めた。

 

「この国の児童虐待は今や悪魔憑きの温床になっています。あなた方のような虎馬憑きと呼ばれる異能者も生み出しながら。あなたと相良哀の生い立ちには共通点がある。悪魔憑きの親に虐待され、そこから生き残ったサバイバー。おまけに刑事で捜査能力にも秀でている。教会はあなたがた虎馬憑きを殲滅する道ではなく、神の為に利用することを選びました」

 

「理解に苦しむね……僕は卑怯な人殺しだ。その上あんたより弱いし、悪魔憑きに勝てるとは思えない」

 

「いいえ。あなたがすることは変わりませんよ。これからも悪魔憑きの前に出ていくこともないでしょう。今までどおり自分は卑怯にも陰に身を隠し、祓魔師を手足のように操って悪魔憑きを追い詰める。それがあなたの役割です」

 

「なるほど……悪魔を狩るには綺麗なままではいられないと……警察時代に嫌というほど見てきた真実だ。その考え方には深く同意するね。それに、どうやら僕に拒否権は無さそうだ。これからよろしく頼むよ」

 

 そう言って京極が手を伸ばすと、マルロはその手を見下ろし怨嗟に満ちた顔で口を開いた。

 

「忠告しておきましょう。わたし達聖職者はあなたがたを認めていない。汚らわしい虎馬憑きが私たちと肩を並べられるなどと思い上がらないことだ……」

 

 京極はそれを聞いて伸ばした手を引っ込めると、にやりと口角を上げて言う。

 

「初めてあんたが人間に見えたよ。前よりはうまくやれそうだ」

 

「せいぜい一匹でも多くの悪魔憑きを滅ぼしてくれることを願っています。卑怯者の室長殿」

 

 

 ♰

 

 こうして極東聖教会にあらたな部署が誕生した。

 

 差別と侮辱を一身に受け、どぶ攫いに従事する〝魔障虐待対策室〟が。

 

 法王庁の下したこの選択が正しかったのかどうかはまだわからない。

 

 しかしこれから数年の後、魔障虐待対策室は世界を呑み込む大きなうねりの中心となって、あらたな物語を生み出していく。

 

 犬塚健吾と、辰巳真白の物語を。

 

 

 

 咎喰みの祓魔師【Befor Phobia】

 

 

 完

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咎喰みの祓魔師 発売記念短篇【Before Phobia】 深川我無 @mumusha

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