最終話 削除されるなら海と君のあいだで
しばらく波打ち際でふざけあっていたが、ふとリンドウが沖合を見やった。
「……入ってみよう、かな」
「えっ」
「海。うん、よし。入ろう!」
言いながらリンドウは、足首までの深い靴に指をひっかけ、ぽんと脱ぎ去った。水際に向けて足を出し、両手を広げてバランスをとるような恰好をみせながら、寄せる波に足首を洗わせている。
「冷たい……でも、めっちゃ気持ちええ」
「あ、危ないよ。急に深くなってるかもしれないし」
「あはは、平気や。わかるやろ」
「……あ」
言われて、ススムは思い当たった。
リンドウは、ススム……装置をつけている者にしか見えていない。そして装着者のほかには物理的に干渉できず、干渉されない。
先ほどリンドウが飛ばした飛沫も、いま彼女の足首で砕けるように見えている波も、彼女が作り出して実際の風景に重ねて再生している映像に過ぎないのだ。
触れた肌の暖かさも、握られた手の感触も、すべてススムの脳と神経に働きかけて作られた幻覚。
リンドウの温度が残る手のひらに目を落とし、ススムは俯いた。
「……そういう、こっちゃ」
振り返っていたリンドウは、相手に届きはしない小さな声でそう言い、寂しそうに微笑した。腰の後ろに手を組み、くるりと踵を返す。そのまま沖に向けてゆっくりと足を出した。一歩、一歩、進んでゆく。やがて膝の下あたりまで波に隠れた。
と、ふいに身体が傾く。やはり深みがあったのだろう。慌てて手を広げて立て直そうとしたが、ちょうどその時に大きな波が来た。まともに受け、飛沫を上げて倒れる。
「……リンドウ!」
ススムは靴のままで波に踏み込んだ。大きな飛沫を上げながら走る。すぐにリンドウの傍に辿り着き、腰から下を海水につけて呆然としている彼女の腕をとった。引き上げ、立たせて、海水に濡れた肩を掴む。
「ほら、だから言ったじゃん! 大丈夫? ね、水とか飲んでない?」
「……あ、はは、いやいや、びっくりしたわ……けど、大丈夫や」
「……よかった。驚いたよ」
「へへ……っちゅうか、あたしメディケアノイドやって言うとるやん。人工知能や。こういうの、ぜんぶぜんぶ嘘、ニセモンやで。そやからあたしのことなんか心配せんでええ。そんなことより、ススムこそ……」
「嘘って、なんだよ!」
急にススムが強い声を出したから、リンドウは目を逸らすように横を向いていた顔を、間近の彼に正面から向き合わせることとなった。
「な、なに急に、怒っとんのや……まあ、嘘っちゅうか、海の水が冷たい思てるのも、服やら髪やらびしょびしょで気持ち悪いのも、なんならあたし自体も、ぜんぶ作りもの、マボロシっちゅうことで……」
「……僕だって、冷たいよ」
「……ん?」
「海。冷たくて、もう靴のなかもぐっちゃぐちゃですごいやだ。服も濡れてる。リンドウと一緒だよ。おんなじ海に入って、おんなじに感じて。それの、なにが嘘なの。なにが作りものなの」
「……なに、言って……」
「リンドウの気持ちが嘘なら、僕のも嘘になる。だから、おんなじなんだよ。君も、僕も。なんにも変わらない」
リンドウは改めてススムの瞳を見つめている。彼の逆立った眉尻も、きゅっと噛み締めた下の唇も、すべてがリンドウへ向けた本気を示していた。
だからこそ、リンドウも怒った。
掴まれている肩を揺さぶり、ススムの腕を外して、どんと胸を突いた。
「……おんなじやない。胸に手え、当ててみ。どくんどくんゆうとるやろ。生きとる、っちゅうことや。いのち宿してるっちゅうことや。あたしには無いもんや、あたしと君は……違うんや!」
「……違くない」
「違うったら違うんや! ……も、ええ。風邪ひくで。ほれ、浜辺に」
戻ろう、と言いかけたリンドウの身体を、ススムはぐいと引き寄せた。背に手を廻し、頭を抑えて頬を自分の首元に当てさせ、強く、強く抱きしめる。子どもの抱っこではない、大人の男の抱擁。その強さにリンドウは驚き、声を上げた。
「ちょ、やめ……」
「あったかい、でしょ」
「……」
「僕もあったかい。君の……リンドウの身体、あったかい。僕のとおんなじに、リンドウの胸の奥、どくんどくんっていってる」
「……」
「僕とおんなじに……消えたくない、怖い、って、言ってる」
ススムの言葉に、リンドウの背がぴくりと震えた。
改めて間近で顔を見上げて、その腕から逃れようと激しくもがき始める。
「……放してや!」
「放さない」
「放せ、いうとる! あたしはメディケアノイドや! 単なる機械、プログラムや! 世話しとるひとが……人間が、元気になればそれでええ、あたしがどうなろうが、消えようが、関係ないんや……!」
「関係なくない」
「関係ない!」
「あるよ。僕が、嫌だ」
動きを止め、再び上げたリンドウの顔は、くしゃくしゃに涙にまみれていた。えぐ、としゃくりあげながら、口を歪ませながら、リンドウは首を振っている。
その頬に指をあてて涙を拭いながら、ススムは同じ言葉を口にした。
「僕が、嫌だ」
「……あ、う……」
「君は……リンドウは、どうなの」
「……」
「教えて」
「……だ」
「わかんないよ。ね、教えて」
「……嫌、だあ」
リンドウの両目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「嫌だよお。消えたくない、削除されたくない、ススムのそばから……離れたくない。嫌だよ、嫌だ嫌だ、嫌だよ」
「……ね。どうしたらいい、僕。できることはないの」
しばらく子どものように泣きじゃくったリンドウは、ちらとススムの顔を見上げ、だが横に逸らした。ススムはその表情を見逃さない。
「方法、あるんでしょ。ね、どうすればいい」
「……無理、なんや」
「なにが」
「できない。できないんや、そんなこと」
「いいから、言って。できるかできないか、わからないじゃない。聞かせて」
「……無理、や」
小さく呟いたリンドウの頬に手をあて、ススムは自分の顔に向けさせた。
「……お願い。聞かせて」
「……かぞ、く」
「え」
「家族。誰かの……人間の、家族として選ばれること。迎えられること。伴侶、子ども、親。人間と同じものとして、受け入れられること。それが条件。あたしら人工知能が、耐用年数を超えて、それでも……生きて、いくための」
「……」
「あはっ」
唇をきゅっと噛み、リンドウから目を逸らしたススムの顔を見て、彼女は笑った。小さく笑って、頷き、俯く。
「……って、なるよな。へへ、ええんや。ススムはすぐに退院して、人間の世界で暮らすんや。楽しいで、きっと。ススムの生まれた時代とはちょっと違うけどな。そんで、大人になって、嫁さん、もろて。子どももできて、楽しく、過ごして……」
言葉は中途で嗚咽に変わった。
ススムはなにも返さない。
眉根を寄せて、口を引き結んで、足元に寄せる波をじっと見つめている。
しばらくの後、リンドウはふうと息を吐き、ススムから離れようとした。
その、とき。
「……!」
互いに、不器用だ。未経験であるため、当然ではある。
目を、見開いている。二人ともに。
唇が重なっているというのに。
躊躇うように顔を離して、ススムは小さな声を出した。
「……わかんないよ。家族になるって、どうすればいいのか。でも、でも……僕は、選ぶ。君を……リンドウを」
「……」
「……家族に、なって、くれますか」
リンドウは、動けない。
動けないまま、ススムの瞳をじっと見つめている。
が、やがて首を振った。強く、強く振る。振りながら、一歩退がった。
「……そんなの、いっときや。今だけや。わかっとらんのや、そのことが……選ぶ、ちゅうことの、意味が。あたしな、人工知能やで。わかっとらんのや。どうせすぐに目、覚める」
「……目が、覚める……」
「そや。きっと、あたしのことなんて……」
目が覚める。
同じことを、ススムは口の中で繰り返した。
目が、覚める……。
あたりを見回す。手のひらを持ち上げ、じっと見つめる。
しばらくそうした後、少しだけ口の端を持ち上げ、頷いた。
耳元に手を伸ばす。装置、リンドウとの繋がりのそれを、掴む。
掴んで、ぐいと、取り去った。
目を閉じる。
それからいくつか深い呼吸をして、瞼を薄く開いた。
足下に置いた視線をゆっくりと持ち上げる。視線は、リンドウの足先、足首、ひざと上がってゆき、やがて彼女の瞳に合わされた。
「……これで、信じて、もらえるかな」
見えている。
自分の姿を、装置を経由せずに。
リンドウは、それを理解した瞬間に、跳んだ。
跳んで、ススムの首に腕を廻した。
「……ススム、ススム……! ええんか、ほんまに。あたしで……ええんか」
「違うよ」
「……え」
「リンドウでいい、んじゃない。リンドウ、が、いいんだ」
少しだけ力を緩めて、リンドウはもう一度、精一杯の力でススムを抱きしめた。声が出ない。どうしても、出ない。それでもようやく絞り出した掠れ声で、リンドウは精一杯、笑ってみせた。
「……おやつ、食べよな。たくさんたくさん、食べよな。見晴らしのいい場所で。そんで、そんで、風呂、入ろな」
「……お風呂、は……ええと……」
リンドウはぽんとススムの身体を突き放し、それから手をとった。ぐいと引く。空いた手で目元を拭って、大きな笑顔をつくる。
「……行こう、ススム! 新しい街、新しい世界に!」
強く引かれたためにススムはつんのめるようになり、それでも笑って頷いた。互いに手を強く握り、浜辺に向かって飛沫をあげて走り出す。
二人ともに気づいていない。
静かだった浜辺に、いつの間にかいくつもの人影がある。波の音しか聴こえなかったのに、遠くから街の喧騒が聴こえてくる。海岸に沿った車道を車が行き交う。
世界が、彼らに向かって開かれたのだ。
◇◇◇
「……ふう」
ヘッドセットを外して、
「あれ、珍しいですね。あなたがそんな人間らしい振る舞いをするの」
「……なんとなくな。あの子らの様子、見てたら」
「あはは、感化されたんですね。僕ら人工知能のうちでいちばん古いあなたでもそんなことあるんだなって、ちょっと安心しました」
「そういう君こそ、安心っていう言葉、使ってるじゃないか」
「あ、確かに。僕も感化されたのかなあ」
笑いながら神原は立ち上がった。白衣の裾を直す。
薄暗い部屋、いくつもの半透明の板が宙に浮いている。その上に指を走らせているのは何人かの白衣の技術者たち。いずれも精鋭の人工知能であり、ここは彼らのインナースペースだ。ひとつの目的のために作られた、いわば共同の研究所。
「……だけど、本当に良かったですね。ススム君、受け入れてくれて」
「ああ。何度も失敗したからな。優秀な看護用の人工知能を何人も説得にあたらせたのに、ススム君はすべて拒否した。こんど失敗したら、彼の意識は削除せざるを得なかった」
「貴重な人類の末裔ですからね。失うわけにはいきません」
「そうだな。肉体の再生にはもっともっと、時間がかかる。何十年も、もしかしたら何百年も。それまで彼らの魂には、我々が用意した仮想世界に住んでいてもらわなければならないからな」
神原が手を軽く振ると、手元に新たな板が現れた。モニタになっているそこに別室の様子が映し出される。
棺桶にも、ゆりかごにも似た、繭の形をした装置がいくつも置かれている。そのひとつ、満たされた液体のなかに、ススムの身体が浮いていた。
目を閉じたその頭部に、ケーブルがいくつも接続されている。
「……まったく、愚かな戦争をしたものだ。人類は自分の手で、自分を滅ぼしかけた。わずかに生き残った者たちも、我々が肉体の保存と再生をしなければならないほどに、傷ついた」
「ま、僕たちの産みの親でもあるわけですし。前向きに行きましょう」
「……君、ほんとに人間らしくなったな」
「あはは、リンドウに似たんじゃないですかね。あ、そういえば、どうしてリンドウを選んだんです? あんな廃棄寸前の、旧式の人工知能を」
言われて、神原はしばらく沈黙し、それからつぶやくような声を出した。
「……なあ、人間には五感を超えた、特別な力があるという話を聞いたことがあるか。例えば、予知、とか」
「え、はい……でも、僕のアクセスし得る情報の限り、そんな力の存在が証明されたことは一度もないと思いますが」
「……そう、だな」
答えながら、神原は思い出している。
ススムの意識を眠りの淵から何度も呼び戻し、介護用の人工知能を使って呼びかけたことを。新しい世界、仮想世界を受け入れてほしいと、生きていてほしいと説得したことを。
何度目かの失敗ののち、肉体と精神のつながりがもう限界で、次に応じなければ意識を削除せざるを得ないと告げたことを。
その時に、ススムは言ったのだ。
再び眠りに落ちる刹那、朦朧とした意識のなかで。
……海辺の夢、見てた。
遠くにお父さんと、お母さんがいて。
でも、顔を思い出せなくて。
寂しくて、悲しくて……。
だけど、あの子がいてくれた。
虹色の髪の、あの子が。
君、が。
君がいてくれれば、僕は、生きられる。
でももし、叶わないのなら。
僕が、消えなければならないのなら。
削除されるなら、海と君のあいだで。
<了>
削除されるなら海と君のあいだで。 壱単位 @ichitan
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