オールオアナッシング
藤泉都理
オールオアナッシング
オールオアナッシング。
すべてか無か。
妥協を許さない立場や決意を言う。
新入社員の教育係として任じられた男性社員、
三人の新入社員は仕事に対して意欲的であり、積極的に教育係である上嶋に質問や意見をぶつけて来ていた。
すぐに辞めないかとの心配は無用で、これが新世代なのかと感銘すら受けた上嶋もまた、三人の新入社員のリフレッシュと情熱に感化されては、自分が新入社員の時に抱いた気持ちで改めて真摯に仕事に向き合い直した。
三人の新入社員が、
上嶋は甚だしい感謝を心中で捧げると共に、或る想いを抱いた。
もっと林、斎藤、清水と話したい。
仕事終わりに飲み会に誘いたい。
だが、ハラスメントになるのではないかと及び腰になってしまう。
アルハラ、セクハラ、モラハラ、ロジハラ、エイハラ、ジェンハラ、ハラハラ、ホワハラなどなど。
一応教育係として外部の専門家を招いてハラスメント教育を受けたのだが、改めて自分でハラスメントについて調べれば調べるほどに、その細かに定義されるハラスメントに恐れ戦く。
もしや、林、斎藤、清水も自分に対して、ハラスメントではと考えているのかと思うと、胃痛が生じる。考えても正解に辿り着けず、どつぼにはまってしまうのだ。
幾度、私はハラスメントしていないかと、三人に問いかけようとした事か。
疑心暗鬼に陥ってしまった上嶋が三人から心配する言葉をかけられてしまい、教育係として不甲斐ないとますます肩を落としながら力なく帰路の途に就く中、駅の中のストリートピアノに視線が留まった。
いつもならば素通りするだけのストリートピアノを凝視する中でふと、或る言葉が脳裏を過る。
オールオアナッシング。
すべてか無か。
妥協を許さない立場や決意を言う。
ピアノソナタ第十四番「月光」第一楽章を弾き切ったら、三人を飲み会に誘おう。
その閃いた考えに突き動かされながら、席に座り、両手を鍵盤の上に掲げる。
幼い頃にピアノ教室に通っていて、先生に頼み込んで嫌というほどにピアノソナタ第十四番「月光」第一楽章を弾いてきた。
どうしてもつまずいてしまう箇所があり、一回も成功した事はない。
大人になってからはピアノに一度も触れた事がないが、楽譜は頭に刻まれている。
オールオアナッシング。
これで腹を括れ。
見事にピアノソナタ第十四番「月光」第一楽章を弾き切った上嶋が、昼休みに林、斎藤、清水に飲みに行かないかと誘った時だった。
ふと、三人の頭上に、扇形のメーターが出現したのである。
両端に書かれているのは、嫌の文字と、嬉しいの文字。
三人が三人とも、いいですよと笑顔で言ってくれているのに、メーターの針は嫌に振り切っていた。
(………オールオアナッシング)
最悪な夢を見た上嶋は林、斎藤、清水の三人を、否、退職するまで部下を飲み会に誘う事はしなかったのであった。
(2025.4.10)
オールオアナッシング 藤泉都理 @fujitori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます