口
星来 香文子
口
「あんなやつ、死んじゃえばいいんだよ」
口から出たその言葉は、本心ではなかった。
ただ、ちょっと、ほんの少し、腹が立っていただけだ。
テストの順位も、男子からの評判も、いっつも私より上で、出来ないことなんて何にもないんじゃないかってくらい、何でもできて、何でも持ってる。
優しそうで、上品なお母さん。
お父さんは、噂じゃ大きな会社の社長らしい。
誕生日も、産まれた病院も同じなのに、いつもあいつの方が優れている。
私にないものをたくさん持っていて、私よりいいものを持っている。
恵まれている環境、容姿、お手本みたいな優等生。
いつも比べられる。
あいつと比べられる。
それが嫌だった。
「あはは、死ねは言い過ぎだって」
「そうかなぁ?」
他の子たちと一緒になって、悪口を言った。
これはみんなが思っていることだから、いいんだって。
みんな、あいつを邪魔だって思ってる。
疎ましく思ってる。
口では言い過ぎだなんて言いながら、楽しそうに笑っている。
だから、つい、調子に乗ってそう言ってしまった。
本人がいないところで、笑い合った。
そんな自分が最低だって自覚する前に、笑い飛ばした。
冗談だよ、本気で言ってるわけじゃない。
みんな言ってる事だし、みんなやってること。
こんな話はどこにでもあるようなことだ。
——そう思ってた。
あいつが死ぬまでは。
「死んだって……え?」
それも、私が死んじゃえばいいなんて言った次の日だった。
父親が所有しているマンションの屋上から、飛び降りて死んだんだらしい。
遺書もあった。
学校でのイジメが原因で、私の名前が書かれていたその遺書を見せられた時、頭が真っ白になった。
イジメなんてしていない。
そんな事、していない。
教科書やノートに死ねって書いたり、上靴をゴミ箱に捨てたり、ジャージを隠したこともない。
トイレの個室に閉じ込めて、上から水をかけたことなんてない。
叩いたことも、蹴ったことも、わざと足を引っ掛けて転ばせたことも、無理やり服を脱がせた事だってない。
それを撮影して、脅したこともない。
全部私がしたことになってる。
そんなことはしていない。
私はただ、悪口を言った。
みんなと一緒になって、笑っただけ。
それなのに、全部、全部、私がしたことになっていた。
「————でも、死んじゃえって言ったんでしょう?」
「匿名のアンケートの結果でも、あなたがイジメているのを見たって、目撃者が何人もいるんです」
「そんな酷い事を言うなんて、先生は失望しました」
「いい加減、認めなさい」
「返して、娘を……娘を返して!」
「こんなのはいじめで済まされる問題じゃない! この人殺し!」
大人達は、私を悪だと決めつけて、責め立てる。
「主犯格とされる生徒は、イジメを認めていないらしいですね」
「遺書が残っているんですから、死人に口なしというわけには、流石にいかないでしょう」
マスコミも騒ぎ立てて、顔も名前も知らない、話したこともないコメンテーターや専門家が、私とあいつの間に起きてもいない出来事を妄想で作り上げる。
私は、何も、何もしていないのに。
どうして、なんで、誰も私の話を信じてくれないの?
「————でも、死んじゃえって言ったじゃん」
学校にも、家の中にも居場所はなくて、鍵をかけた自分の部屋に引きこもって、布団を被って丸々しかなかった。
怖くて、悲しくて、悔しくて、わけがわからなくて、震えている。
「あんなやつ、死んじゃえばいいんだよって、言ったじゃん」
死んだはずのあいつが、私の部屋の窓辺に立って、笑ってる。
生きてる時と変わらない、誰よりも美しい造形をした顔で、首を傾けながら、笑ってる。
血だらけの制服を着て、何度も何度も私に話しかけてくる。
「死んじゃえって言ったじゃん。だから、わたし、死んだんだよ?」
返事をしてはいけない。
わかってる。
こんなのは、幻聴だ。
聞こえていない。
嘘だ。
偽物だ。
あいつは、死んだ。
「そうだよ、望み通り、死んだんだよ。嬉しい?」
嬉しくない!
嬉しくない!
嬉しくない!
「嬉しいでしょう? ねぇ、どうしてわたしに死んで欲しかった? わたし、何かしたかな? 悲しかったなぁ、わたし、好きだったんだよ」
「……は? いきなり、何言って————」
口が勝手に動いた。
必死に両手で塞いだけど、もう、手遅れだった。
「ずっと好きだったんだよ。だからね、すごく悲しかった。だからね、死んじゃえって言われて、わたし、本当に死んでやろうと思ったの。そうしたらさ、わたしのこと、忘れないでいてくれるかなって」
布団の上、背中に重みを感じる。
耳元で、口が動いた音がする。
「人ってさ、嫌な記憶の方が忘れないでずっと残るんだって」
窓辺から、私の上に覆い被さっている。
あいつの口が、視界の端で動く。
「これで、わたしたち、ずっと一緒にいられるね」
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
「ふふ、それなら、死んじゃえばいいんじゃない? きっと生きてる限り、君はわたしのものだよ」
嫌だ。
《了》
口 星来 香文子 @eru_melon
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