Last
3月の何でもない日。
卒業式は形式的なもので、不確定な自分の進路に不安を抱えたままの人も多い。
私もその中のひとりだ。
この700人近くの人が詰まった体育館のどこかにいる彼――現実的な道筋で画家を思い描く彼は、行くべき場所が決まったのだろうか。
「また……」
忘れようと思えば思うほど、校舎の中に彼を探した4ヶ月。
小論文の採点をお願いしに職員室へ行ったとき、たまたま彼の名前が先生に呼ばれるのを聞いた――でも、彼の姿はなかった。
自分から「終わりにしよう」と言い出したのに、私は何も変わっていなかった。
そんな自分をすでに諦めていたが、それも今日で終わりだ。
ここに来ることは、多分もうない。友達に母校訪問にでも誘われない限り、きっと。
卒業式の最後の歌。それから教室での、門出を祝う担任の先生の挨拶が終わり、クラスメイトたちはそれぞれの場所へ向かった。
友達に誘われた打ち上げを、何となく断ってしまったが――私の足は、ゆっくりと校門に向かっていた。
「……置いてかないと」
あと一歩。外に踏み出せば、すべて思い出になる。
思い出に熱はいらない。
今でも思い出せる彼の熱も、感触も、匂いも――ぜんぶ、ここに置いていかなければ。
でも、最後に一度だけ。
そう思って、旧校舎の2階を見上げると。
「……真水くん?」
美術室のカーテンが、風を孕んで揺れている。
その向こう側から呼ばれた気がした――。
気がつけば振り返っていた。
旧校舎までの廊下、階段を駆け上がり、軋む床へ足を踏み入れていた。
誰もいない――でも、美術準備室の鉄扉は隙間が空いている。
跳ね回る胸を押さえ、扉を押すと。
「……来てくれたんだ」
約束なんてしていなかったのに。
そこには寂しげに微笑む真水くんと、目の覚めるような青空が待っていた。
巨大なキャンバスに描かれているのは、空に溶けるような桜の木――そこに存在しているかのように、花びらが揺れている気がした。
「……これは?」
「ほら、卒業式の日って、桜の季節にはまだ早いから……」
色のなかった美術準備室に浮き上がる、満開の桜。その下には、制服の少女が立っていた。
髪型、立ち姿、そして勘で「これ、私?」と振り返ると。
真水くんは無言で頷き、視線を絵に移した。
「あ……『間に合うように完成させるから』って言ってたの、もしかしてこれ?」
文化祭の当日の夜。3回目のキスをしたあの日の帰り――真水くんは確かにそう言っていた。
「会えない間、君の心に何か残せないか、ずっと考えてた」
風と光を感じるのに、よく見ると桜の花びらは1枚も散っていない。
こんなにリアルなのに、どこか現実ではないような桜の風景。
これが彼の心にいる私の姿なのか。
彼の望む「永遠」が、桜の散らないこの風景に宿っているのではないか――。
絵に、そして真水くんの横顔に目を奪われる。
胸がいっぱいになり、目の奥が熱くなる――。
「オレは描くことしかできないから……これ、君にあげたいんだけど」
でも、流石に持って帰ることはできないだろう――真水くんの気遣いに、無理やり笑って「そうだね」と返した。
気を抜くと、涙が溢れそうになる。
「その辺に置いてあるキャンバス、卒業生が放置していった作品なんだ。この絵もその中に積んでおくから」
だから、もしこの先自分を思い出したときは、また絵に会いにきて欲しい――真水くんは何かを堪えるように笑った。
「わ……私」
声が震える。
言いたいことがたくさんあるのに、何一つ言葉が出ない。
今、言わなきゃいけないのに。
もう一生、同じ時は訪れないのに――。
足を一歩進める。
桜を見上げる真水くんの、袖を引く。
「え……?」
目を丸くした彼の襟を引き寄せ、熱くなった唇を彼のものへ押し付けた。
真水くんの描いた桜の花びらが、サラサラと擦れる音が聞こえる――今だけ時が止まったようだった。
自分から「あれで最後」と言い出したのに。
でも、きっと今しないと後悔するだろう。
「……っ」
真水くんの腕に、引き寄せられる。
胸同士が、今までで1番近くなる。
早い鼓動が、制服越しでも伝わってくる――。
私も伝えなければ。
言葉ではなく、触れた唇から。
本当は『だれでもいい』じゃなくて、『真水くんが良かった』と。
前の時とは違う口づけ。
真水くんはまったく動かずに、私の熱を感じてくれているようだった。
でも、ずっと止まったままではいられない――。
名残惜しい熱を手放し、顔を背けると。真水くんの腕が緩み、頬を撫でる指が離れていった。
「私の……『だれでもいい』に付き合ってくれて、ありがとう」
今にも溢れそうな胸から、そう絞り出すと。
真水くんは眼鏡越しの瞳をかすかに揺らし、顔を背けた。
そして。
「これからも……元気で」
初めて見る、きれいな笑顔。
泣きそうな彼が振り絞ってくれた、精一杯のそれを目に焼き付けながら――私も、震えを隠して口角を上げた。
そのまま少しだけ耐え、笑顔を貼り付けたまま鉄扉をくぐる。ゆっくり、ゆっくりと。彼の描いた桜が、サラサラと鳴る音を聞きながら。
背後の影が俯くのを感じながらも、振り返らずに走りだす。
これで良かったんだ――。
あれが今の私にできる、最高の別れ方――。
そう自分に言い聞かせ、足を駆っていると。いつの間にか、課外の教室までたどり着いていた。
最初に彼との関係がはじまった、この教室。
『だれでもいいからキスがしたい』
私の「だれでもいい」は、いつの間にか「彼がいい」に変わっていた。
『オレも、だれでもいいから』
彼の「だれでもいい」は、最後まで「私がいい」にはならなかったのだろうか――それとも。
もう遅い期待をかき消し、窓の外へ視線をやる。
曇り空の下に並ぶ校庭の桜は、まだ色がない。
歪む視界の中映るのは、さっき見た青空だった。
次々雫があふれる目を閉じると。
幻想の中咲き誇る、白い花びらが目に浮かぶ。
「真水くん……ありがとう」
『私の『だれでもいい』に付き合ってくれて、ありがとう』
彼女は最後まで、その言葉を貫き通した。
なんて残酷な
オレは最初から最後まで君じゃないとだめだったのに、君はだれでもいいなんて――。
『ありがとう』
目を閉じると、この桜の下に咲いた彼女の笑顔が浮かんだ。
さっきまで、確かにそこにいたはずなのに――。
油と絵の具でできた絵の中の彼女をなぞっても、何も感じない。
ただ。
彼女がしてくれた、あの最後のキスで分かったことがある。
たぶん、どこからか彼女の「だれでもいい」は、「オレがいい」に少しだけ傾いていた。
たとえ、「他の人とキスをした」という彼女の言葉が本当でも。
だから、4ヶ月前の最後の約束を破ったに違いない――自惚れでなければ、そうだと思う。
それでも「だれでもいい」と言い続けたのは、きっと本心ではない。
懸命に前を向こうとしている、彼女なりの嘘だったに違いない。
でも。
「また、来てくれる……かな」
もし何かの奇跡が起きたとしたら。
次の機会が、訪れたとしたら――。
全部を奪う口づけで、君の息の根を止めてやりたい。
『口づけ抄ー青ー』 見早 @tokotoko_sn
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