The Winding Legacy 巻き鍵の遺産
埴輪
The Winding Legacy 巻き鍵の遺産
私は師匠のことが好きだった。
師匠が巻き鍵を回すと、
師匠は偉大な人形師。
私は師匠の一番弟子。
巻き鍵を受け継ぐことを夢見て、勉強した。
師匠の一挙手一投足を、全て記憶に刻んだ。
やがて、師匠は天国へと旅立った。
悲しくて、悲しくて、堪らなかった。
だけど、私はあの巻き鍵を受け継げる。
それだけが、心の支えだった。
──それなのに。
※※※
祖父の訃報が届いた時、俺は彼女とベッドの中にいた。
──死んじまったのか。
開封した封筒と、添えられた小包を眺めながら、俺は在りし日の祖父を思う。
記憶の中の祖父は、常に自動人形に囲まれていた。
──ロイド、私は必ず成し遂げてみせるよ。
子供の頃、引っ越しの前に聞いた言葉が、遺言になってしまった。
彼女に呼ばれ、玄関から部屋に戻ろうとすると、再び呼び鈴が鳴った。
覗き窓からは何も見えなかったが、呼び鈴は止まらない。
扉を開けると、黒いメイド服姿の少女が立っていた。
鮮やかな金髪。
青い瞳でじっと俺を見上げている。
「返してください!」
少女は見た目より大人びた声でそう言った。
面倒ごとの予感。
「待ってろ」
俺は部屋に引き返すと、彼女に服を着て出ていくように指示した。
彼女は抗議の声を上げたが、俺が黙っていると、諦めたように頷いた。
彼女が部屋を出ていくと、入れ替わりで少女が部屋に入ってきた。
……許可を出した覚えはないんだがな。
俺はベッドに座り、煙草を吹かす。
「返してください」
少女は同じ言葉を繰り返す。
「何を?」
「受け取ったはずです。師匠から」
「師匠って、
少女はこくりと頷く。
俺は小包を解き、現れた小箱を開けると、小さな巻き鍵が入っていた。
穴の開いた羽のようなつまみを持ち上げ、少女に見せる。
「これか?」
「そうです。それは師匠の後継者が持つものです」
「後継者? 俺が?」
「……師匠はあなたを指名しましたが、私は認めません」
「お前は──」
「師匠の一番弟子です。巻き鍵を受け継ぐのは私であるべきです」
俺はふむと一考し、首を振った。
「駄目だ」
「どうして!?」
少女の悲痛な声に、俺は肩をすくめた。
「祖父さんは俺を後継者に選んだんだろう?」
「……あなたは、人形師の技術を持っていますか?」
「いや、まったく」
職場にも自動人形はいるが、仕組なんてさっぱりだ。
「それなのに、受け継ぐと言うのですか?」
「それが祖父さんの願いだろ? 店や遺産もくれるってんだから、ありがたいね」
「……どうして、あなたのような人が!?」
少女は俺に向かって歩き出す。
「どうして!? どうして!?」
迫る少女の勢いに、俺はベッドにひっくり返る。
「おい、落ち着けって」
少女は俺にのしかかり、顔をぐっと近づけ、鼻先が触れ合う寸前で止まった。
「……さて、どうしたもんかな」
俺は手にした巻き鍵に目を移し、溜息をついた。
※※※
俺は彼女と別れ、仕事を辞めた。
どちらも俺が望んだものではなかったし、まぁ、潮時だろう。
少なくとも、住む場所と遺産が手に入るのだから、働く理由はない。
──だが。
「どうしてですか?」
ガタゴトと揺れる電車の中、向かいに座る少女が疑問を口にする。
「だから、住む場所と遺産が──」
「そっちじゃないです」
「別れたことか?」
「愛していたんじゃないんですか?」
青い瞳がじっと俺を見据える。
「都合が良かっただけさ」
悪くなったら終わり……実に、単純な話だ。
「それは、愛なんですか?」
少女の顔が余りに真剣なので、俺は苦笑するしかなかった。
「純情なんだな、アリスちゃんは」
「どうして、私の名前を?」
少女……アリスは驚きというより、疑いの表情。
「祖父さんの手紙に書いてあったんだ」
「師匠の……他には、何が書いてあったんですか?」
アリスの期待に満ちた顔に、俺は肩をすくめて見せる。
「忘れちまったよ。捨てちまったしな」
「そんな、師匠……」
うつむくアリスに、俺はコホンと咳払いを一つ。
「まだ名乗ってなかったな。俺は──」
「ロイド」
「なんだ、知ってたのか」
「ええ。絶対に忘れません」
──俺は電車が駅に着くまで、ずっとアリスに睨まれ続けた。
※※※
「懐かしいな」
駅前の広場を見渡した時、思わず声がこぼれた。
それほど田舎というわけではなく、人の賑わいもある。
だが、都会と比べるとささやかなものだ。
見覚えのある噴水に、記憶にない喫茶店。
変わらないものと、変わってしまったもの。
肌に触れる風だけでなく、時すらも緩やかに感じる。
「道案内してくれるか?」
アリスは何も言わずに歩き出す。
俺はトランクを片手で持ち上げ、その後に続く。
道すがら、俺は道ゆく人の姿を眺めていた。
──自動人形の数が多い。
別段、気にするようなことでもないが、気になるようになったのは、大人になったからかもしれない……そんなことを思う。
やがて街路樹を抜け、こじんまりとした木造の店の前に辿り着く。
年季の入った看板には「Jeppet's Dollhouse」と書かれている。
「こんなに小さかったかな」
外装はガラス張りだがカーテンが引かれ、店内の様子は伺い知れない。
アリスが店の扉の鍵を開ける。
アリスに続いて店に入ると、薄暗い店内は空っぽだった。
俺はトランクを床に下ろし、店内を見渡した。
「……自動人形はどこにいっちまったんだ?」
記憶の中では、所狭しと大小の自動人形が並んでいたというのに。
「全て買い取られました。師匠の自動人形は人気ですから」
「なんで店を畳まないんだ?」
「奥にアトリエもありますから。人形師にアトリエは必要でしょう?」
「……一から始めろってのか?」
「そうです。嫌ならいつでも代わってあげますよ?」
うまい話には裏がある、ということか。
人形師なんて、店番しながら寝ていればいいだけだと思っていたのに。
俺の表情を見て脈ありと感じたのか、アリスはにこりと笑った。
「遺産は全て差し上げますよ? 私が欲しいのは、巻き鍵だけですから」
「そんなに人形師になりたいのか?」
「もちろんです!」
アリスのまっすぐな眼差しは、嘘が付け入る隙もなさそうだった。
「わかった」
「じゃあ──」
「勘違いするな。俺が二代目になるってことだ」
アリスから笑顔が消え、険しい視線が俺に向けられる。
「どうして!? 自動人形に触れたこともないのに!?」
──ふと、過去の記憶が蘇る。
子供の俺が、手を伸ばした先には──俺は首を振り、肩をすくめる。
「まぁ、どうにかなるさ。案内ご苦労、帰っていいぞ」
「私の家はここです。あなたが諦めるまで、離れませんから」
「お前なぁ……」
俺は頭を抱える。
祖父さんの願いとはいえ、面倒ごとの予感しかしなかった。
……まぁ、考えても仕方がない。
「じゃあ、留守番を頼む。俺は飯を食ってくるからさ」
俺はアリスにトランクを預け、店を出た。
うんと伸びをしてから、駅前で見かけた喫茶店に足を向ける。
※※※
「ロイドさん、起きてください!」
ぼんやりと目を開けると、アリスが俺を見下ろしている。
俺はソファーの上に身を起こし、大欠伸を一つ。
柱時計に目を向けると、時刻はまだ6時だった。
「……勘弁してくれよ」
「何を言ってるんですか! いつまでもダラダラして!」
「いつまでって、まだ三日ぐらいだろ?」
「それだけ休めば十分です! さぁ、今日から始めますよ!」
「始めるって、何を?」
「もちろん、お勉強です」
「……俺に自動人形の作り方を学べってことか?」
「そうです! あなたは人形師なんですよ?」
アリスにそう言われても、俺はピンと来なかった。
俺が人形師だなんて、たちの悪い冗談にしか聞こえない。
「勉強が嫌なら、巻き鍵を──」
「嫌とは言ってないだろ? 面倒なだけさ」
俺はテーブルの煙草に手を伸ばし──ん、どこへいった?
「煙草なら処分しました。資材に匂いが移ってしまいますから」
「禁煙もしろってか?」
「嫌なら──」
「巻き鍵をってんだろ?」
俺は立ち上がると、部屋の扉に足を向ける。
「どこへ行くんですか?」
「便所だよ。戻ったら教えてくれ。自動人形の作り方をな」
廊下に出て扉を閉めると、俺は溜息をついた。
……彼女に付き合って吸い始めた煙草。
別に好きでもなかったが、これほど吸いたいと思ったのは初めてだった。
※※※
「違います! 何度言ったらわかるんですか!」
アトリエ中に、アリスの叱責が響き渡る。
作業着に着替えた俺の前には、自動人形の腕がドンと置かれている。
アトリエでもメイド服姿のアリスに言われるまま、アルミニウムの骨組みを組み立て、肘に球体関節を取り付ける。
上腕、関節、前腕を合わせて70センチほどの腕は、我ながら上出来だと思ったが、アリスの目にはそう映らなかったらしい。
「腕の可動域は0度から120度です。あなたの腕は45度までしか曲がらない。ボールがソケットに上手くはまってないからです。もう一度、やり直しです!」
アリスは自身の腕を伸ばして「0度」、曲げて「120度」と実演する。
俺は自分が作った自動人形の腕を持ち上げ、肘の関節を曲げてみた。
……確かに半分も曲がらず、動き方もぎこちない。
「やり直す前に、休憩させてくれ」
「さっき休憩したばっかりじゃないですか!」
「さっきってお前、何時間前の話だよ」
勉強を始めた時は明るかった外も、今はもう真っ暗闇だ。
アリスは俺の顔を覗き込み、にっこりと笑った。
「今日はこれが完成するまで、終わりませんからね」
──目がマジだ。
俺はごくりと唾を飲むと、自動人形の腕を手に取った。
人形師、か。
※※※
「やればできるじゃないですか!」
俺の作った腕の出来に満足がいったのか、完成品の関節を何度も曲げ伸ばししながら、アリスがはしゃぐ。
その姿は見た目に似つかわしく、愛らしいものだったが、ここまでの道のりを思うと、俺はそれを微笑ましく眺める心境にはなれなかった。
完成するまで終わらないと言ったアリスも鬼ではなく、休憩、食事、睡眠、便所、風呂の時間は与えてくれたが、ここに至るまでは実に三日もかかった。
片腕、それも一部分だけでこれほど時間がかかるのに、自動人形の全身を完成させるとなれば、どれだけの月日が必要になるというのだろうか。
アリスは自動人形の腕をテーブルに戻すと、俺に向かって頷いて見せた。
「でも、まだまだです。諦めたら、いつでも私が引き継ぎますからね!」
一向に諦める気配のないアリスを見て、俺は肩をすくめる。
「どうして、そこまで人形師になりたいんだ?」
「もちろん、師匠のように素晴らしい自動人形を作りたいからです!」
「自動人形を作るのが好きなのか?」
「ええ!」
アリスは胸を張って答える。
その自信に満ちた表情に釣られ、俺は言葉を続ける。
「これまでに、どんな自動人形を作ったんだ?」
アリスが硬直し、その表情から見る見るうちに自信が失われていく。
「どうした?」
「……その、私はまだ、作ったことがないんです」
「自動人形をか?」
「ええ。師匠の技術は完全に受け継いでいるのですが」
消え入りそうな声。
俺はアトリエを見渡す。
用途が分からないものだらけだが、道具も資材も揃っているように見える。
「なら、作ってくれよ。お手本にさ」
「駄目です! 自動人形を作っていいのは、人形師だけなんですから!」
「そうなのか?」
初耳だったが、資格が必要というのは、納得できる話だった。
「はい、師匠が言ってました!」
……祖父さんが、ね。
俺はアトリエの時計に目をやった。
早朝から作業していたので、まだ昼前である。
俺は立ち上がると、アトリエの出入り口へと向かう。
「ロイドさん、どこへ行くんです?」
「散歩。合格点が出たんだ、休憩ぐらいいいだろう?」
「……まぁ、今日ぐらいはいいでしょう。でも、煙草は吸わないでくださいね? 隠そうとしても、匂いでわかりますから」
犬かよ……と思いつつ、俺はアトリエから外に出て、図書館へ向かった。
※※※
久々に訪れた図書館は、記憶のままの外観だった。
店の時もそうだったが、小さく感じるのは俺が大きくなったからだろう。
本を借りるつもりはなかったが、貸出券の発行手続きをすることにした。
受付のカウンターにいたのが、自動人形だったからだ。
必要事項を記入した用紙を差し出すと、自動人形は「拝見します」と受け取る。
自動人形は女性型で、都会でもよく見かけるメーカー製だ。
スムーズな手さばきに、思わず見入ってしまう。
「こちらがロイド様の貸出券になります」
俺は貸出券を受け取り、まじまじと自動人形の顔を眺める。
「何か他に御用でしょうか?」
俺は首を振り、本棚へ向かう。
お目当ては自動人形に関する本だ。
本棚にぎっしり詰まった本の中から、一番簡単そうなものを手に取る。
『誰でも作れる自動人形制作入門』
パラパラとめくると、小型の自動人形の作成手順が記載されていた。
冒頭には自動人形についての概要が記載されており、目が留まる。
『自動人形三原則』
一 自動人形の巻き鍵は人の手によって回さなければならない
二 自動人形は自動人形を作ることはできない
三 自動人形は永遠に動くことはできない
俺はパタンと本を閉じ、本棚に戻した。
※※※
──店に帰ると、店内は少女の泣き声で満たされていた。
泣きじゃくる少女の傍らには、母親らしき女性が困り顔。
アリスは屈んで少女をあやそうとしている。
「……どうしました?」
俺が声をかけると、女性は恐縮そうに少女と俺を見比べた。
「いえ、この子の自動人形が……ほんの、小さな玩具なのですが、壊れてしまって、修理を依頼しに来たのですが──」
「ごめんなさい。今はまだ、開業できる状態じゃなくて」
俺より先に、アリスが女性に答える。
女性は首を振り、少女の方に手を置いた。
「大丈夫です。ほら、他のお店に頼みに行きましょう?」
「やだ~! おじいちゃんに直してもらうの~!」
少女はいやいやと首を振り、手にした自動人形をぎゅっと抱き締める。
……祖父さんの客ってわけか。
俺の頭には『誰でも作れる自動人形制作入門』が浮かんでいた。
誰でも作れるなら──俺は女性に頷いて見せた。
「わかりました。お預かりします」
アリスが息を吞んだであろうことが、見なくても伝わってくる。
……俺だって怖いさ。
「いいんですか?」
遠慮がちな女性に、俺は再び頷いた。
「ええ。祖父と同じようにとはいかないかもしれませんが」
「あなたはジェペット先生の……良かったわねミーナ、このお兄さんがイライザを直してくれるって」
「……おじいちゃんじゃない」
栗色の三つ編みを揺らしながら、そっぽを向くミーナ。
俺は片膝をつき、ミーナと目線の高さを合わせる。
「俺はおじいちゃんの孫だよ」
ミーナは俺に向き直る。
目を赤く腫らし、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだが、それでもなお可愛げがあった。
「……まご?」
「家族ってことだ。俺じゃダメか?」
「……いいよ!」
ミーナは手にした自動人形……イライザを俺を差し出した。
波打つ銀髪に真っ赤なリボン、エメラルドグリーンの瞳。
フリルがたくさんついたドレスは、ミーナとお揃いだった。
俺はイライザを両手で受け取り、「ありがとう」と呟いた。
店を出て見送る俺に女性は何度も頭を下げながら、ミーナも何度も振り返りながら遠ざかっていく。
「……ロイドさん、どういうつもりですか?」
隣に立つアリスの言葉に、俺は素直に答える。
「アリス、手伝ってくれないか」
「修理だって、人形師じゃないと──」
「どう直せばいいか、教えるのも駄目なのか?」
「……あくまで、手を動かすのはあなただと?」
俺が頷くと、アリスは顎先に右手を添えて思案する。
「……まぁ、それなら。そうと決まれば、早速始めますよ!」
「ちょっと待て、せめて昼食を──」
構わずアトリエに向かうアリス。
俺は溜息をつくと、アリスの背中を追った。
※※※
──修理は大変だった。
まずはイライザの背中の鍵穴に、人形師の巻き鍵を差して回してみても、カチカチと音が鳴るばかり。
アリスはそれだけで「ゼンマイが緩んで、動力が伝わってませんね」と原因を特定したのだが、イライザの体の中からゼンマイを取り出すことも、緩んだゼンマイを巻き直すことも、絶妙な力加減が要求された。
その結果……「もっと優しくしてください! 外装が壊れますよ!」「ゼンマイを巻きすぎです! それだと逆にバネが弱って……ダメ、いったんストップ!」「ああん、もう! 無理やり押し込んじゃダメだってば!」……などなど、アリスは大騒ぎだったが、どうにかこうにかやり遂げて、あとは起動するだけとなった。
「……いくぞ」
俺はイライザの背中にある鍵穴に巻き鍵を差し込み、時計回りに回していく。
カチカチという音に、チリチリと擦れるような音が混じる。
最初はくるくる回るが、だんだん、抵抗が強くなっていく。
これ以上回らないというところで、止めて鍵を抜く。
──動かない。
「……ダメか」
俺が溜息をつくと、アリスが首を振った。
「名前を呼んであげてください」
……そうだ、自動人形を起動させるには名前が必要だった。
俺は固唾を呑んで見守るアリスを一瞥し、口を開いた。
「おはよう、イライザ」
カチリと小さく音が鳴り、イライザは立ち上がった。
周囲を見渡し、俺達を見上げる。
「……ミーナは、どこ?」
涼やかな声音。
「明日には会えるよ。君は壊れていたんだ」
俺の言葉に、イライザは深々と頭を下げる。
「人形師さん、直して頂きありがとうございます」
頭を上げたイライザは、アリスを不思議そうに見上げる。
「アリス、コーヒーを淹れてくれないか?」
アリスは怪訝そうに俺を見返しながらも、頷いた。
「……いいですけど、イライザをちゃんと寝かしつけてくださいね」
アトリエを出てアリスを見送り、俺はイライザに向き直る。
イライザは人差し指を唇の前に立て、小首を傾げる。
俺が頷くと、イライザはくるりと回転し、背中を見せて座った。
「おやすみ、イライザ」
俺はイライザの背中に鍵を差し、一回だけ半時計周りに回し、ロックをかける。
※※※
「イライザ~!」
イライザと再会を果たしたミーナの喜びようは凄かった。
何度も飛び跳ね、頬擦りし、くるくると回ってと忙しい。
なすがままのイライザも、微笑みを湛えている。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
キラキラとした笑顔。
そして、ミーナの母親から渡されたのは、キラキラとしたお金。
二人を見送り、店の中に戻ると、アリスが俺に声をかけた。
「どうですか、人形師は?」
「まぁ、悪くはないかな」
俺は率直にそう答えた。
「決めました」と、アリス。
「ん?」と、俺。
「私はあなたを一人前の人形師に育てます。独立した後、巻き鍵をください」
俺はアリスの言葉を吟味した上で、こう答えた。
「それは、俺に巻き鍵を託すってことか?」
「あくまで、ロイドさんが一人前になるまでです」
「それで、アリスが俺の師匠になるのか?」
「そうです! 私の人形師の技術や知識を、全部教えてあげます!」
「人形師じゃないのに?」
「……いいじゃないですか、細かいことは」
アリスは拗ねたように唇を尖らせる。
俺は肩をすくめたが、それも悪くないなと思えた。
※※※
自動人形店「Jeppet's Dollhouse」は、修理専門で営業を再開した。
アリスの助言……というより、言いなりになって依頼をこなす日々。
習うより慣れか、俺の自動人形への理解は少しずつ深まっていった。
そんな中、演劇の舞台に使う自動人形の修理依頼が舞い込んできた。
身長170センチ程の自動人形であることに加え、納期も短い。
正直難しいと思ったが、アリスが良い勉強になるし、今のロイドさんなら大丈夫だと判断してくれたので、俺はその依頼を受けることにした。
……だが、自分が思っていた以上に、それは困難な仕事になった。
故障の内容は右腕が動かないというもので、原因はゴム紐が劣化で切れていることと、歯車のズレであることをアリスがすぐに突き止めたが、修理の依頼は小さい自動人形が多かったこともあり、その大きさが作業の妨げになった。
ゴム紐という響きは可愛いが、実際は2メートルほどの長さがあり、その張力を均等に保ちながら張り直すのは、技術的にも、体力的にもしんどかった。
歯車の調整にしても、一つの歯車を調整したら、別の歯車がおかしくなるということの繰り返しで、うまくいったと思ったら歯車が欠けて……と一進一退。
アリスは的確に指示してくれるので、その点は心強かったが、単純に俺がそれについていけていないというのが、作業の遅れに直結していた。
納期が目前に迫る中、俺は徹夜で作業を進めていた。
だが、徹夜も二日連続となると頭はズキズキと痛み、指先も思うように動かず、濃いコーヒーを飲んだところで、眠気も拭いきれない。
「無理はしないでください」
「するしかないだろ」
アリスの気遣いすら非難にしか聞こえず、返事の語気が強まってしまう。
「ロイドさんは頑固ですね」
……お前ほどじゃないさと思いつつ、俺はアリスを振り返る。
その輪郭が霞んで見え、目元を指先で摘まむ。
「どうして、私に助けを求めないんですか?」
「人形師じゃないと、人形を修理しちゃいけないんだろ?」
いや、それだけではなかった気もするが……ダメだ、頭が回らない。
カップに残っていた泥のようなコーヒーを、一気に飲み干す。
「それでも、あなたを放っておくわけには──」
「俺が頼めば、俺のせいにできるってことか?」
「大義名分は必要ですから」
アリスは悪戯っぽく笑う。
……そうだ、アリスならこんな作業は造作もないだろう。
意地を張っていたのだろうか? ……そうかもしれない。
「わかった。続きを頼む」
「はい! 後は私に任せて、ゆっくり休んでください!」
俺は返事も返さず、アトリエのソファーに沈み込んだ。
※※※
──っ!
馬鹿か、俺はっ!
飛び起きた俺は、時計に目をやった。
寝ていたのは、一時間か、二時間か。
俺はふらつきながら立ち上がり、「アリスっ!」と叫んでいた。
──アリスは停止していた。
上げられた両手は微動だにず、ただ、自動人形を見つめている。
作業が何一つ進んでいないことは、明らかだった。
アリスはゆっくりと俺に顔を向ける。
「……ロイド、さん? 私、嬉しかったんですよ?」
ぎこちない笑顔に、俺は歯を食い縛る。
「やっと、自動人形に触れられる、師匠の技術を試せるって」
「アリス……」
「それなのに! 手が! 動かないんです! なんで!? どうして!?」
「アリスっ!」
俺はアリスに駆け寄ると、その手を握った。
その感触は柔らかく、温もりすら感じられるようだった。
「ロイド、さん?」
「……時間がない。俺がやるから、指示を頼む」
アリスは頷き、俺は作業を再開した。
──それから数時間、なんとか納期までに修理を終えることができた。
依頼者に自動人形を引き渡し、店内に戻ると、俺は椅子に腰を下ろした。
「……なんとかなったな。アリス、数日は休んでいいよな?」
返事がないので、俺は首を巡らせてアリスを見た。
アリスは店内でじっと立ち尽くしている。
「まだ、気にしてるのか?」
「だって、私……私は──」
「こんにちは~!」
店のドアを開けて飛び込んできたのは、ミーナだった。
もちろん、その腕にはイライザが抱かれている。
睡眠不足の頭に、ミーナの元気な声がガンガンと響く。
「……どうした? また壊れたのか?」
「ううん! おでかけできたから、これをわたしたくて!」
ミーナが差し出したのは、青いリボンだった。
それと同じものが、ミーナとイライザの髪を彩っている。
「新しいリボンを、買ってもらったのか」
「うん! それでね、にあうとおもって!」
ミーナはアリスに駆け寄ると、青いリボンを差し出した。
「はい、これあげる! にんぎょうのおねえちゃん!」
アリスはリボンを受け取り、「ありがとう」と呟いた。
「どういたしまして! じゃあ、おかあさんがまってるから! またね!」
手を振り振り、店を出ていくミーナ。
──沈黙。
さて、どうしたもんか。
「私、自動人形なんですか?」
アリスが手にしたリボンを、ぎゅっと握り締める。
「ああ」
──自動人形は自動人形を作ることはできない。
そう、本には書かれていた。
「そっか。だから、師匠は私に自動人形を作らせなかったんだ」
アリスはリボンを床に投げ捨て、座り込んだ。
「ごめんなさい……停止してください、私、このままじゃ……」
「アリスっ!」
俺は立ち上がり、アリスに駆け寄った。
「早くっ! お願いだからっ! ロイドさんっ!」
俺は巻き鍵をアリスのうなじの鍵穴に差し込んだ。
「こ、壊れちゃう、助けてっ! ロイドっ!」
「くそっ!」
俺は巻き鍵を逆に回した。
──カチリと、アリスは動きを止める。
俺は尻餅を突き、天を仰いだ。
「……祖父さん、とんでもないことしてくれたもんだよ」
※※※
ロイド。
この手紙が届いた時、私はもうこの世にはいまい。
私はこの人生に満足してるが、一つだけ心残りがある。
それは、アリスのことだ。
……そう、私はついに成し遂げたのだよ。
最高の自動人形を作り上げたのだ。
これまでのどんな自動人形より、アリスは人に近い。
言葉も、動作も、心も。
だが、それ故に予期せぬことが起こった。
アリスは自分を人だと思っているのだ。
私の後を継ぐと言い出すまで、気づかなかった。
私は愚か者だ。
自動人形は自動人形であるべきだったのだ。
私のエゴが、アリスに重荷を背負わせてしまった。
本来なら、私が全てを責任を負うべきだろう。
アリスを停止させる、それが最善かもしれない。
だが、私にはできなかった。
愛する娘を、どうしてこの手で止められようか。
だから、頼む、アリスの支えになってもらえないだろうか。
突然の申し出に当惑していることだろう。
だが、君は私の自動人形を好きだと言ってくれた。
今の君は立派な成人だろうが、私の中ではあの時のままなのだよ。
おっかなびっくり、私の娘に触れてくれた、あの日のままなのだ。
これは君にとっても大きな重荷にもなるだろう。
アリスを停止したとして、私は君を責めることはない。
遺産も迷惑料だと思って、自由に使ってくれて構わない。
ただ、願わくば私の娘をよろしく頼む。
頼めるのは君しかない。
アリスの名付け親になってくれた、君しかいないのだ。
※※※
──祖父さんの手紙。
読んだ時はそうとわからなかったが、これは致命的だ。
アリスは人形師になりたかった。
自分が自動人形だなんて、夢にも思わなかっただろう。
だが、その夢が叶うことはない。
絶対に、だ。
俺はどうすればいいのだろう。
店は畳んで、売り払ってしまえばいい。
──いっそ、アリスも。
酷いようだが、それしかないようにも思う。
起動したら一時的に落ち着くかもしれないが、ショックは変わらない。
このまま眠り続けることが、アリスにとっても幸せかもしれない。
俺はそこまで考え、頭を振った。
今まで、何かをしたいなんてことは、考えたこともなかった。
言われるまま、生きていればよかった。
誰かのためになんて面倒だ。
それが、自動人形のためともなれば、なおさらだ。
名付け親になったのだって、別に何てことはない。
祖父さんが作っていた自動人形が、ただ……そう、ただ可愛いなと思って、何かを贈りたかっただけだ。
だから、俺は決めた。
※※※
──私は自動人形だった。
その思いだけが、ずっと頭を駆け巡っていた。
ショックだった?
それはそう。
でも、思いとは何だろう?
自動人形の私が、何か思えるのだろうか?
思った振りをしていただけ?
そうかもしれない。
だけど、私は確かにショックを受けた。
何がそんなにショックだったのか。
人形師になれないこと?
自動人形だったこと?
いや、どれも違う気がする。
そんなこと、今となっては些細なことだ。
もう彼に会えない、そう思うことに比べたら。
思いを伝えることができない。
それが何よりも辛く、悲しかった。
私もう、目覚めることはあるまい。
でも、もしその時が来たら──
※※※
「おはよう、アリス」
椅子に腰かけたアリスの目が開き、俺を見上げた。
次いで、周囲をぐるりと見渡す。
「これは……?」
「どうだ、立派なもんだろう?」
店内には、所狭しと大小の自動人形が並んでいた。
全て、俺が作ったものだ。
ここまでの道のりは、決して楽なものではなかった。
祖父さんの遺産を使って、人形師の学校に入って五年。
人形師に弟子入りし、修行しながら働くこと五年。
独立し、人形師として自動人形の制作を始めてから五年。
十五年……二十五歳だった俺も、今では四十歳のおっさんだ。
「どうして?」
久々に聞いたアリスの「どうして?」が、俺の耳に心地よく響く。
「この自動人形達のことか? それとも、お前を起こしたことか?」
「両方」
「そうだな……目標ができたから、かな」
「目標?」
「自動人形を作れる自動人形を作ることさ」
「それって……」
「自動人形の三原則に背くことになるから、そう簡単にはいかないだろうさ。俺が生きている間に実現できるかも怪しい。だが、人形師の技術と知識を持ち、適切にアドバイスしてくれる相棒がいれば、いつか実現しそうな気がしないか?」
「私の、こと?」
「ああ。お前なら祖父さんだけなく、俺の技術も受け継ぐことができる。それだけじゃない、いつか俺に弟子ができたら、その技術だって、お前は受け継げる。そうやって技術と知識を積み重ねていけば、きっと三原則だって超えられる。そうすれば、お前も自動人形を作れるように違いない」
アリスが自動人形を作れるようにする……それこそ、俺が決めたことだった。
「……どうして?」
「愛ですよ」
……そんな言葉を恥ずかしげもなく言えるのは、リデルしかいない。
黒く長い髪と、黒い瞳を持つ、俺が作った自動人形。
「自動人形である私に人の心はわかりませんが、誰かのために何かをしてあげたいと思う気持ちは、愛と呼んで差支えのないものではないでしょうか」
「あなたは、ロイドさんの?」
アリスの言葉に、リデルは頷く。
「はい。リデルと申します。こうしてお会い出来ることを光栄に思います。何しろ、私はあなたをモデルにして作られていますからね。照れ隠しなのか、髪色や瞳の色こそ異なりますが、私は大人のあなたをイメージして作られたことは間違いない。このメイド服が何よりの──」
「おい、リデル! 何を言ってるんだ!」
「私はただ、真実を述べているだけです」
「……あなたの自動人形、面白いわね」
「停止させておけば良かったよ」
「ロイド、私もあなたを愛しています」
アリスの言葉に、俺は耳を疑った。
「ちょっと待て。私もって、俺の気持ちは──」
「私が代弁してあげたじゃないですか」
「リデル!」
リデルはつんと澄まして、切れ長の瞳で俺を見据える。
「でも、ちゃんと自分の口から言わないと、男らしくないですよ」
俺は口をへの字に曲げ、頬を指先で掻いた。
「……俺はもう、40歳のおっさんだぞ?」
「アリスは自動人形ですから、何も問題ありません」
「そっちの方が、問題あるような気もするがな」
俺は別に……いや、もう、何もかもが今更だった。
「ああ、好きだよ。愛してる。ずっと逢いたかった」
アリスは椅子から立ち上がると、俺に抱きついた。
「おめでと~!」
そう言って店内に押し入ってきたのは、イライザを抱えたミーナだった。
「お前、ずっと覗き見してたのか!?」
「いや~、何か神妙な雰囲気だったし……人形のお姉ちゃん、お久し振り!」
「ミーナ、ちゃん? ずいぶん、大きくなったのね!」
アリスが驚くのも無理はない。
あの小さな女の子が、今やもう、あれやこれやが大きくなっているのだから。
「あれからもう十五年だからねぇ! もうすぐ結婚するし! ……あ、でもお兄ちゃんとじゃないから、安心してね! 私はお兄ちゃんのお嫁さんになりたかったんだけど、お兄ちゃんはずっと人形のお姉ちゃんに夢中だったからさ! でも、私も素敵な旦那様に出会えたから良かったよ! 結婚式、一緒に来てね!」
「ええ、喜んで!」
ミーナは「やったね!」とイライザと頷き合い、「そうだ!」と顔を上げた。
「いっそのこと、一緒に結婚式する? Wウェディングなんて、素敵じゃない?」
「何言って……おい、リデル! 予定表に余計なことを書き込むんじゃない!」
……まったく、賑やかになったものだ。
だが、そんな雰囲気をまんざらでもなく思っている自分がいた。
それも悪くないな、と思う。
ふと右手を見ると、アリスが手を握っていた。
柔らかく、温かい。
俺はその手を握り返す。
……まぁ、なるようになるさ。
The Winding Legacy 巻き鍵の遺産 埴輪 @haniwa
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