君に編む「物」語 完結記念おまけSS
カリカリ、カリカリ。
皇国の皇帝陛下の執務室にて、厳かな空気の中、偉大なる熾天似連星皇国クリフォトの皇帝「愛乃 麗」陛下は山と積まれた決裁書類に署名を記している。
3800歳と、人間なら不惑と呼ばれる御歳だがまだまだ若々しく、肌は白く鼻筋もすっと通っており、時々足首まで伸ばしたストレートのプラチナブロンドの御髪がはらりと乱れ落ちるのを、耳へかき上げる姿は国色天香、さながら美の化身である。
実際のところは、愛乃の血族のはみな魂のみの存在で生まれて来る為、肉体は個人好みにいかようにも作り上げられるのでその美も年齢による老いの姿もただのフレーバーに過ぎず、見た目その通りではないのだが。
「陛下、書類はしっかり目を通してからサインなさっておられますか?」
そんな美などすっかり見飽きた皇国の宰相、櫻井迦允は麗のサインの速さに呆れたように指摘する。
「目は貴様が通しているだろう?」
麗は星のように煌めくラピスラズリのような爽やかな青色の瞳で迦允に不満を主張する。並の者では畏怖のあまり気絶してしまう威圧感だ。
「通していても、です」
しかし迦允は気にする風でなく、軽くいなして続ける。
「まったく何の為のサインですか。はあ、これまでの決裁書類は可としますが以後の書類は余さず読んで決裁なさいますように。
でなければこの新作フレーバーのロリポップは献上いたしません」
「それは困る」
迦允に、虚空から造りだして見せられた新作ロリポップキャンディにつられて麗はガタリと立ち上がりかけ、デスクで腿を打つ。
「くっ」
700も歳下の者にいいようにしてやられている、ちょっとした屈辱である。
まあいつもの風景でもあるのだか。
「おとなしく正しく仕事さえこなしていただけましたら何ダースでも献上いたしますよ。
おや?ティーカップが空になっておりますね。
ではこちら、人肌で保温してございます血液をどうぞ。今朝早くにJ24星雲のカサラ星より提供いただきました採取したての希少種の純血にございます」
「コピーの血じゃにゃいにゃら響にもちょーらい」
皇宮に遊びに来ていた響は麗のデスクを背にしたソファーから腰を浮かして仰け反り、顔だけこちらに向けてモゴモゴと言った。
その口には「飲み物」も人肌が好みの響には珍しく、凍った人血アイスキャンデーが差し込まれている。
それもそのはず。響が教職に就いたリル・ダヴァル星とは違い皇都は今、夏の真っ盛り。
エアコンの空調が効いた執務室に居るとしても暑いものは暑いのだ。
迦允はため息を吐く。
「殿下、皇宮で名を名乗られる際は『ゆら』では無く『ひびき』で通されますように。
『ゆら』の呼称が広がりすぎますと、今のように簡単に市井に出かける事が難しくなりますので」
「傍流で押し通せるよ、多分」
「ダメです。混乱が生じます」
「ちぇっ、じゃあここでは我慢するか」
響はアイスキャンデーを鋭い犬歯でカリッと噛み、体を回転させてぱふんと迦允の方へあひる座りで座り直すと、麗と同様に口を尖らせた。
「てかいつも言ってるでしょ?。お前のその口調は嫌なの。愛乃の者しか居ない時は口調はくだいて。じゃないと吾の調子が狂う」
「はいはい、わかったよ。さ、響(ひびき)、ちゃんと前を向いて座り直しなさい」
「はーい」
迦允は手ずからティーポットを傾け響のカップに人血を注ぐ。
響は注がれた人血に口をつけると「生き返る〜、なーんちゃって吾は生きてないけどw」笑いながら飲み干した。
「響、お前は自由でいいな」
麗も時折カップを傾けつつ、先程よりはややゆっくりとしたペースで書類の山を片付けて行く。
「えー?そんな事ないもん。創造神の手勢は相変わらず世界の果てから「はざまの世界」にちょっかいかけて来るから叩きのめして、逆にそいつらの土地を奪わなきゃなんないし?。創世神の方もなんだかんだ言って煩わしいし。
こっちはこっちで毎日授業とかあるから吾は忙しいんだよー?。おじちゃんこそ書類にサインするだけなんだからどうとでも時間が作れるでしょ」
「なら朕と変わるか?。毎日毎日よくもまあさまざまな陳情が上がってくるのに目を通して、署名するだけの簡単な仕事だ」
「やーだー、つまんない」
「そう言わずに代わってみろ。ひょっとしたらお前が朕の跡を継ぐのやもしれんし、練習がてら」
麗は書類の山を3分の1ほど取り、響の方へ寄せる。
響は両手でバツを作って拒否する。
「そんなのナイナイ。神璽が喜んでやってくれるからぜーったい無いし?。吾はしゅーくんとどこか遠くでらぶらぶに暮らすから、おじちゃんは正妃も側妃も居るんだから早く吾以外の後継を作って吾を安心させてよ」
「んー、まあそれは、おいおいにな」
麗は墓穴を掘った。
今もまだ「麗(うらら)」の記録が鮮やかなのであまり女性に関心が無いのだ。
迦允はそんな叔父と甥の仲の良い会話を暖かい目で見守っている。
しかしだ。
迦允はほんの少し眉を顰める。
顰めたのは響が「しゅーくん」と呼ぶ、「月紫釉」こと「天使嵩逝」の件である。
彼に亜人の血が流れているのは時世の流れとしてさもありなんと受け入れているが、嵩逝が響に対して並々ならぬ敵意、殺意を抱いている事が心配でならないのだ。
その件については迦允も甘く考えていた所為で響の采配を止めなかった事もあり他人事ではいられず、嵩逝に相対して話をしたいと願い出たがけんもほろろに西の言葉で『話す事など無い』とすげなく断られてしまった。
いやその事も重要な問題だが、彼の身に深く刻まれた忌まわしき呪いや、夜の彼の行いにも……いやはや。改めて後見人になった手前いずれは対処しなければならない事態だと覚悟は決めているのだが、いかんせん何から手をつけていいのか手をこまねいていると言うのが今の実情である。
ただ。響という魔神が、いささか我がままを言うなきらいはあるが嵩逝が何をしていようと何を抱えていようと誰を愛していようと、最終的に自身の側に居てくれれば良いと言う漢気溢れる性格である事だけが幸いだと迦允は思う。
「嵩逝に皇位は継がせない」
響の考えに迦允も同じ思いを抱いている。
嵩逝本人の為にも、嵩逝が母と義父の死の真相を知り傷心のまま皇国から姿を隠してからのちの千年間、「すべての世界」の果てから果てまで飛び回り探し尽くした響の気持ちを思えば、天使家には悪いが嵩逝への異能の教示は彼の心情を鑑みてゆるやかにと釘を刺し、決して響を脅かすものにならないようにと願っている。
響と嵩逝が決闘になり、どちらかが死ぬ事など決してあってはならないからだ。
ならぬよう、迦允が動かねばならない。
山積する難題は麗の書類だけでは無いのだ。
書類の山が半分ほどになった。
「やればお出来になるではありませんか」
「朕は明日死ぬのかもしれない。ピンポイントで。手首とかぽっくりと死ぬであろう」
へばり、デスクに突っ伏した麗に迦允はご褒美に新作のロリポップキャンディを差し出した。
「そこまで書状を溜め込んだ陛下が悪いのですよ。さ、こちらの新作『ミルククリーミースペシャルライムミント』味のロリポップをどうぞお召し上がりください」
「おお!」
差し出されるままパクンと食いつく麗に、迦允は微かな愉悦の笑みを浮かべる。
……おっと。陛下に対してこれは「いけない」。
迦允はコホンと咳払いし「いかがですか?」と尋ね、麗が親指を立ててサムズアップした、その時だった。
「陛下、翠様が拝謁賜りたいとの事です」
侍従頭より麗の妹『翠』がまかりこしたとの触れがあった。
「わーい!今日はママ、屋敷から出られたんだね!」
響は手を叩いて喜んだ。
「そうか、通せ」
麗はロリポップに舌鼓をうちつつ返答する。
が、迦允は
「Sérieux?!, Arrête les conneries !!!!!」
と叫んで書棚の影に消えた。
「どしたの?サクライ」
「いつもの発作だろう」
「あー、はいはい」
叔父、甥は暢気なものだ。
「ふざけんなマジで!翠(スイ)の奴、いきなり現れんな!」
迦允は物陰でパチンと指を鳴らす。
造り出した魔法薬をガブ飲みし、効果が出るまでしばし待つ。
ややあって執務室の豪奢な扉が開かれ、そこに黒衣の女性が黒のハイヒールをカツカツと鳴らして颯爽と現れた。
ゴシックな衣装を身に纏い、胸は豊満、腰はキュっと細く、手足も長く美しい。
とてもではないが成人した子を持つ母とは思えないスーパーモデルのスタイルだ。
シルバーブロンドの緩やかな髪を高い位置でまとめ、黒薔薇の刺繍をあしらったレースのベールで顔を覆ってはいるが、その下の美貌は一切隠しきれていない。
といっても、顔を隠しているのは響のようにその身を誤認させる為ではない。
今も愛する姫「市ヶ谷紗奈」を喪うために常に被っているのだ。
「お兄様、ごきげんよう。壮健そうね」
「お前もな」
「ママー!吾は?吾は?」
「んー!ひーちゃんは今日もとーっても可愛いわ!キュートでビューティフルよ!」
「わーい♪」
響はソファーから飛び跳ねるように立ち上がると翠に飛びついた。
翆は同じ身長くらいの愛しき我が子を幸せそうに抱き、その髪を撫でる。
「響は何か新しい職に就いたそうね?。ママに教えてくれる?」
「んっとね、サクライの学園でせんせーになったよ!。古代魔法を教えてるの」
「あらアイツの学園で?。ひーちゃんが変な目に遭ってないかしら?」
「ス……いや、翠(みどり)。変とは聞き捨てならないな。響の護衛も、必要はないだろうが敷いているよ」
迦允は適度に痩せて引き締まった体で翠の前にキリッと姿を現した。
はて?。迦允に置いては髪や肌艶も若々しくなったような?。
スーツもそれに合わせて着替えているような?。
「あら、ション太郎も居たの」
翠は響を抱きしめながら、チベスナ顔になり鼻白んで言葉を放つ。
「居るよ。お前、俺がこの皇国の宰相だと言う事を忘れてないか?」
「ええ。アタシはアンタがその職務に就いてからずっと皇国の未来について憂いているわ」
「相変わらず口が減らないな、お前は」
迦允は艶やかな茶髪をクシャリとかき上げ、苦々しく口をへの字に曲げ翠を見据える。
「アンタこそ、いつも辛気臭い面してんじゃないわよ。その尖り口がアタシの響に感染したら承知しないからね!」
「感染(うつ)んねーよ!」
「感染るのよ!。キャー!ひーちゃんはアタシのうしろに隠れなさい!。こんな奴ママがとっちめちゃうんだから!」
「もー!夫婦喧嘩は犬も食わないんだよ?」
翠の腕の中で響は2人にぷんすこする。
「「夫婦じゃないわ!!」」
声を揃えた「親友喧嘩」も、おそらく犬は食わないだろう。
「てゆっか?お前はその痩せ薬を発売した方が良いね。世の娘さん達も、ちょーっとムッチリしちゃった人も喉から手が出るほど欲しがると思うよ」
響が真顔で言うのに、
「痩せ薬?。ションちゃんたら太ってた事あったかしら?」
翠は不思議そうに首をかしげる。
「さて?何の話だろうか?」
迦允はすっとぼける。
麗は騒ぎにこれ幸いと、先にサーブされたカップに自身でティーポットを傾け飲血タイムを決めている。
翠は麗を見やり、唇の口紅をほんの少し舐めると
「アタシも喉が渇いたわ。ション太郎、新しいのちょうだい」と、
響にエスコートされながらソファーに座った。
迦允は翠に聞こえるように大きく舌打ちする。
「チッ、俺はお前の侍従じゃないんだが」
「いいじゃない減るもんじゃなし」
「どうぞ、お姫様」
迦允はトクトクと翠の為に用意させたカップに血を注ぐ。
「ありがとうション太郎。銘柄は何かしら?」
「今朝供血されたての北方ジェルダン人のAB RhΣ型だ。痩せ型だが肉付き良く引き締まった、輸血など一度も受けた事が無い若者の純血だよ。陛下の午後の休憩時にもお出しする、この夏の暑さにはうってつけのクールな一品だ」
「パーフェクトよ、ションちゃん。流石ね」
サーブされた血に翠は優雅に口を着ける。
絹のように滑らかな真白の喉を通る血はなめらかに落ちて行く。
微笑みを浮かべて静かに血を飲む姿は、花は恥じらい月もその身を隠すほど美しいのに、性格が悪すぎるのが難なんだよな、昔から。
呼称だってそうだ。
と、迦允が心の中で悪態をつきながらお代わりを注いでやっていると響がいつもの質問をした。
「ねーねー?。今日も聞くけど、どうしてママはサクライの事を『ション太郎』って呼ぶの?。
『ション』要素も『太郎』要素も、どこにも無いよね?」
響もお相伴にあずかりながら翠と迦允を交互に見た。
「ああ、その事?。前にも答えたと思うんだけど」
翠は響の問いに微笑んで答える。
迦允はすかさず再びパチンと指を鳴らす。
「あれはション太郎が皇国に亡命したての頃だったかしら。幼稚舎でお泊まり会があった『ああああああああああああああああああああ!!!!!』」
翠の答えに迦允はメガホンを造り、声を被せる。
「それでそれで?」
「外野がうるさいわね。で、その夜にね。いつも世を儚んでボッチで捻くれてて斜に構えてるション太郎がひとりでトイレに行ったっポイから、『ああああああああああああ!!!』どんな顔をするかと思って。面白そうだったからちょっぴり異能を解呪してとっておきの悪夢を見せてあげたら、この子チビってへたり込んで盛大にお漏ら『ああああああああああああああああああ!!!!!』ね?。恥ずかしいからこれはアタシとション太郎ちゃんだけの秘密なのよ」
「秘密になってねーんだよ!!!!!」
誰が「しょんべん垂れのション太郎」だ!。
それが国を追われて傷ついている、いたいけな少年に付けるあだ名か?。
だからお前は性格が悪いと言うんだ!。
迦允は顔を真っ赤にして翠にくってかかる。
翠は戯けるようににんまりと笑う。
「んー?吾、サクライがうるさくてよく聞こえなかったんだけど」
しかし響はぷぅと頬を膨らませている。
「うふふ、また今度ね♪ひーちゃん♪」
「きっとだよー?ママ」
よし!一応今日も秘密は守られた!。
純粋な響に助けられ迦允は胸を撫で下ろし、そっとメガホンをしまった。
まったく!数千年前の可哀想な少年の失敗をいつまでも当てこすりやがって。
これで今、俺の息子が響にちょっかいを出してしまったことを知られたら……うん、死ぬな?。俺。
ふふ……ヤバい。
想像もせんとこ。
「大した事じゃないよ、響。これからも気にしないように」
響にそう言い含めはしたものの。
迦允は遠い昔に思いを馳せる。
あれは市ヶ谷の紗奈が翠(スイ)と共にいた所を気狂いを起こした天使に襲撃された後の事。
生き残った翠は絶望の縁に落ち、麗の命令で愛乃の屋敷奥に隠され、迦允は見舞う事すらさせてもらえなかった。
そうして何ヶ月も経ったある日の事だ。翠は変わり果て……自身の全てを厭うて男である事すらやめて女性体になり迦允の前に現れた。
迦允はあまりの翠の変貌ぶりに初めは翠本人かどうか怪しんだのだが、その時に翠は迦允と翠だけの秘密であったあの幼少時の名付け、
「翠が見せた悪夢」の内容を迦允に告げたのだ。
名付けの経緯事態は他の知る所であったが「悪夢」の内容まで知り得たのは迦允と翠だけだったので、迦允はその女性を「かつて翠(スイ)だった者」だと信じた。
もっとも、愛乃の異能も発現して見せてくれたので疑う要素は無かったのだが。
それからの事はここで話すべき事では無いだろう。
迦允は過去を頭を振って振り払う。
「しかし翠、今日はよく市ヶ谷の屋敷を出られたな。帰りは大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。アイツまた新しい妾が出来たみたいで、最近アタシの事は放置気味なの。それに愛乃の血族はもうお兄様と響とアタシしか居ないし、公務だと言えば使用人も誰も文句は言わないわ。
ありがと、気にかけてくれて」
「そうか……」
「離縁して帰って来ても良いのだぞ?翠。なんなら不敬罪で朕が処すが」
麗は心配そうに翠を見る。
翠は手を口元に当てコロコロと笑う。
「別に?あんなのモラハラなだけで暴力を振るってくるわけじゃないから、大丈夫よ。聞き流すのにも慣れたわ。お兄様もありがとう」
「呪い殺すなら吾に言ってね。市ヶ谷の異能は吾が引き継いでるから、紗奈おばちゃまの代わりに吾が呪殺してあげるっ」
「紗奈ちゃんの代わりに?うふふ、嬉しいわ。でもママは蠱毒で虫を扱うひーちゃんの姿は見たくないからちょっと考えさせてね」
側から聞くと恐ろしい家族会話であるが、響が市ヶ谷のアレに精神的……つまり魂のみの存在である愛乃にとってはダイレクトな虐待を受けていた頃に比べれば、これでもマイルドになった方だったりする。
穏やかな空気の中、迦允の職務用のスマホが震えた。
迦允に直接かかってくるのはよほどの緊急事態が発生した時だけだ。
「御前を失礼いたします」
迦允は麗に頭を下げると麗達から少し離れた。
「どうした?」
はたして話者は皇都のある主星「テネブライ」から遠く離れた惑星の伯爵からだった。
「はっ!宰相閣下。
実は先日、当家が所有します大型ダンジョンにて『スタンピード』が確認されました。
『狂えるブリザードドラゴン』に『マスターグリズリー』、『孤高なる殺戮タイガー』などがダンジョンから溢れ、星の住人を蹂躙し始めたのです!。
冒険者ギルドを通じて皇国中の腕利きの冒険者を集め、緊急の鎮圧クエストを発令しました。
今の所、出入り口を1つのみに残して閉鎖し溢れ出た分だけは待ち構えて1体ずつ処理する事で対処出来ておりますが、ダンジョン内の鎮圧につきましてはいくつかのS級パーティすら崩壊し、生き残った者もダンジョン中のセーフティーゾーンに取り残されてにっちもさっちもいかない状況です。
閣下!もはや我々だけでは対処できません!。魔物共が星から溢れかえり他の星まで進出する前に、どうか皇国軍を動かしてはいただけないでしょうか?!」
「まずいな。スタンピードか…」
迦允はぽつりと、うっかり口を滑らせた。
「スタンピードだと?」
耳聡い麗はガリっとロリポップを噛み砕き、涼やかな声音で呟いた。
「スタンピードね」
翠は口紅をハンカチで拭い落としながらクスリと笑みを浮かべる。
「スタンピードだぁ!」
響は一等嬉しそうにグッと拳を結んで引いた。
「陛下、並びに殿下方……これは皇国軍で対処いたしますので」
迦允は麗達に振り返って、……諦めた。
行く気だねー、この魔神達。
そうだね、最近の食事はもっぱら私が造るコピー肉だからね。
あー、陛下も書類を投げ出したね。
国際協定のおかげで、愛乃とはいえど戦争でも起きない限りまともな「食事」にありつけなくなって幾星霜。
「人」のアレでは無いが、先に「食事」らしい「食事」をとっていただいたのはもう1年は前の事か。
「別に、食ってしまって構わんのだろう?」
「亡き者のギルドカードは道中で拾っておくわ」
「火とか核熱とか雷系は使ったらダメなんだよ。おにくが煮えちゃうから」
『ね、サクライ?』
と、3人の魔神が迦允を見る。
魔神が迦允に「許可」を求めている。
『クハッ!』
クラリと。
迦允の身のうちに愉悦の炎が赤々と燃え上がる。
そう、私がどれだけ胃を痛めつつもこの皇国の宰相で有り続けるのは、この「許し」を乞うまなざしを向けられる「権利」を誰にも渡したくないからだ。
……だが私は勘違いをしない。
一見、私が魔神達の手綱を握っているように見えるが、実際の私には何の権限も無い。
この「視線」は私に「許可」を求めているのものではない。
圧倒的上位の存在が、ただ単に土地の管理者に「今より蹂躙を開始するぞ」と「言い置いて」いるに過ぎないのだ。
魔神を止める術など、この世界に万に一つも有るはずがないのだから。
だが。
しかし、まあ!その事に悦楽を感じるようになった私自身もまた、度し難い生き物に成り果てたものだ!。
ククッ。おかげさまで家族にも仕事の話は出来なくなってはしまったがね。
「良いでしょう、お願いします」
迦允は出来るだけ感情を抑え、クイと眼鏡を上げながら答えた。
「やったー!ごっはんーごっはんー♪」
「ふむ。久しぶりに腕が鳴るな」
「市ヶ谷に『夕食』の準備は要らないと連絡しなきゃだわ」
「陛下、並びに愛乃様方。当該ダンジョンへの転移はこれより1時間後。惑星の生存者を全てスペースコロニーに避難させてから行います。
ダンジョン内において、襲いくる魔物は全て召し上がっていただいて構いません。
ただしダンジョンコアにだけは手を出しませんように。あのダンジョンの運営で生計を立てている者もおりますので、再生の事も鑑み、コアだけはくれぐれも破壊しませんようお気をつけください。
私からは以上です。ではみなさま、転移の時までゆるりとご歓談を」
迦允は慇懃に頭を下げた。
『了解!』
うっきうきで準備を始めた魔神達を目の端に捉えながら迦允も準備を始める。
まずはスマホを持ち直し、伯爵に言葉を返す。
「喜びたまえ。
このたびキミの惑星は愛乃様の『御食事』場に選ばれた。
惑星の生存者は皆そちらのギルドの櫻井の者の手でこの1時間のうちにコロニーに転移して貰う。
安心しなさい、騒乱はほんの数時間の出来事で済む筈だ。ダンジョンを破壊するだけならものの数秒もかからないだろうが、『食事』になると少し、ね。味わいたくもなるだろうから。
ダンジョン内の要救助者は、ギルドカードのGPSを利用してピックアップする。
ギルドカードを持たずに入坑している密入者は……愛乃様達次第だな。セーフティーゾーンの片隅で指を咥えてガタガタ震えながらひたすら時が過ぎゆく事を祈っていて貰おう。
では諸君らの幸運を祈る」
迦允は通話を切る。
魔神達は準備に余念なく和気あいあいとしていた。
「此度は3人で参るからな、分け合うにあたり態(なり)をを小さくして満腹感を高めてみる作戦を取る」
「良いね叔父ちゃま!吾もちっちゃくなっちゃお」
「あらあら、じゃあアタシもちょっとお姉さんくらいで」
3魔神はめいめいに子供の頃を思い出してか、想像してか、それぞれ幼い形になる。
「うふふ、アタシのひーちゃんはいくつでも可愛いわ」
「ママもポニーテールが可愛いね」
「ありがと。響も結ぶ?」
「む?小さくなると髪が邪魔であるな」
「叔父ちゃまの髪を結ぼう?いまからたーっくさん動くんだから」
「そうね」
「よろしく頼む」
「ふむ……」
翠(みどり)の幼い姿に翠(スイ)の姿を重ね見て、迦允は懐かしい昔を思い出す。
あの頃は父も健在で翠(スイ)も紗奈も芝蘭もみな生きて、笑っていた。
ほんの数千年前の出来事なのに、何故こうも切なく懐かしいのか。
その問いに答えてくれる者はもはや迦允の側に居ない。
なあ芝蘭、キミはどこまで『未来』を『視』た?。
いくつの結末を『視』た?。
その『未来』のうちにはキミを傷つけるものも多々あったろうに、
どれだけの枝葉を落としてこの『今』を選んで繋いだんだい?。
海流は立派な錬石術師に成る為のスタートラインに立ったが、もはやキミの息吹を感じられない『今』が私は少し寂しく感じるよ。
ひとりぼっちは寂しいよ。
けれど私は芝蘭が『剪定』したこの『今』を『未来』を守り通すから。
これ以降は安心して眠りなさい。
『よろしくお願いしますわね、迦允さま』
「芝蘭?」
迦允は声がしたような気がして窓の外を振り返るが、そこにはやはり誰も居ない。
耳元をくすぐったのは幻想か、過去か。迦允には確認する術はない。
タイムマシーンは造らない。
たとえ過去の芝蘭に尋ねてもこの『今』を知る芝蘭はあの死の床に臥していた時の芝蘭しか知り得ないからだ。
あんな別れは二度と繰り返したくはない。
「1時間経つまであと3分だよー!」
物思いにふけっていた迦允を響がせっつく。
「はいはい、急かすんじゃない。すぐに長距離転移陣を造る」
転移先に住民の移動状況を確認し、迦允は転移陣を造った。
「行って来まーす!」
「お土産に『熊の胆』でも持って帰るわ」
「万事頼むぞ。特にそこの書類はお前が処理しておいて構わない」
そうして小さな「子供達」は手を振って元気に転移して行った。
迦允は残された書類の、散らばった束を集めて揃えながら
「『熊の胆』か、そりゃまた私の胃の心配をどうもすまないね」とこの日一番のため息を吐くのだった。
君に編む「物」語 第1話 ~魔触転生~1 衣麻 @stella_firio
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