先割れスプーン理論
秋犬
一人二役
今日は雨が降っていて、屋上で飯が食えない。
「先輩、お昼食べに行きましょう!」
昼休みにトイレに避難しようとした俺の前に後輩の三浦が現れて、俺の逃げ道を塞いだ。
「……わかった」
どうしても俺は、こいつの頼みは断れないのだ。会社では頑張って当たり障りのない社会人の振りを続けてきたが、何故か三浦は俺が「変な」人間であることを一発で見抜いていた。
「じゃあ、あそこ! 新しく出来たカレー屋行きましょう!」
「別にカレーなんて牛丼屋のカレーでいいじゃねえか」
「俺は嫌ですね! 先輩もインド人のカレー食いましょうよ!」
「どうせ俺の奢りのくせに」
「あざっす!」
三浦はへらへらと敬礼の真似事をする。こいつには決定的な弱みを握られてから、どうにも俺はこいつには逆らえない。
「昨日も負けたのか?」
「途中から巻き返したんですけどねー、閉店でトータル二万の負けです」
「だからいい加減スロットはやめろって」
「先輩にはロマンがないんですよ、ロマンが」
見てくれは清潔感ある男のそれだが、少なくともこいつの人間性は終わっている。元ホストのパチスロ崩れ、その辺のスナック等にもツケがそこそこあるという。この時代に馬鹿じゃねえかと不安になる野郎だが、何故か人当たりがよくて皆から好かれている。やっと「人間」に擬態しているような、俺と真逆の人間だ。
「ロマンなんかで腹が膨れるものか」
「だから、美味しいカレー食べに行きましょうって」
俺たちは何だかんだと言いながら、新しく出来たというカレー屋にやってきた。傘を傘立てに入れて店内に入り、何だか嗅ぎなれない匂いに俺は面食らう。俺は外国料理の店というか、個人経営のレストランみたいなところが苦手であまり入ったことがない。本当は先輩の俺が先導するべきなのだが、既に店に入った三浦がインド人っぽい店員とやりとりしている。
「本当に、先輩人見知りですよね。よく営業できますよね」
「……営業は、仕事だからな」
そうだ、俺は仕事以外で他人と話をしたくない。コンビニだって、タクシーだって極力他人とは関わりたくない。ましてや外国人なんかと仲良く話なんかできるわけがない。この性質で俺は友達と呼べる友達はいなかった。愛想笑いを一緒にする連中はいたが、俺は友達だとは思っていない。ただの同級生AやB、同僚CやDだった。
「何にします? 俺マトンのキーマにしようと思うんですけど」
三浦に飯を奢るのはこれが初めてではない、というかいつも俺が奢っている。俺が金を使わないので溜まる一方であるからいいのだけど、いつまでこんなことをするのだろうか。
「よくわかんないから、適当に決めてくれ」
「じゃあ、辛いのはNGってことにしてバターチキンにしますか、すいませーん」
俺は片言の店員となれ合う三浦を見る。こうやって誰にでも話しかけて、誰にでも愛想がいいのが三浦という男だ。どうせ俺のことは搾れば金が出てくる奴としてしか見ていないのだから、俺が奴をどうこう思うのは不毛でしかない。
「先輩もナンですよねー!」
「……ああ」
不思議と俺は、三浦と話しているときは嫌な気分にならなかった。三浦は俺のことをあまり知りたがらない。そして、俺も三浦のことをあまり知らない。どこ出身とか、どんなスポーツをやっていたとか。雑談と言っても、ただ会社であった愚痴や天気、最新のニュースについてぼちぼち話す程度である。何故こいつといても不快にならないのか、俺は不思議で仕方なかった。
「もしかして、ナン嫌いだったりします? ライスも選べますよ」
「別に、食べたことないし好きも嫌いもないけど」
「じゃあ食ってみてくださいよ!」
最近はずっとこんな調子で、俺は三浦のペースに乗せられている。やってきた特大のナンなんかより、三浦が気になって仕方がない。「顔くらいある!」とナンを掲げる三浦のオーバーリアクションが俺は気になった。
「そうやって女の子にもやってるんだろう?」
「あ、バレちゃいました?」
「たまに、そういうところあるよなお前」
それがいけなかったらしい。三浦の顔から一瞬すっと表情が消えて、それから「そうですね」といつものへらへらした顔に戻って、調子よくカレーを食っていた。「先輩ラッシーも飲みましょう!」とか言っていたけれど、その声はいつもより小さい気がした。俺は何か間違ったことを言ったのだろうか。また俺は、何か間違ったことを言って人を壊してしまうのだろうか。
いつもそうだ。俺が何かを言うと「空気が読めない」「傷ついた」「あっち行け」といろんな奴から言われた。好きな女の子に告白すれば泣かれて大問題になり、俺が呼びかけた募金活動には誰も賛同しなかった。何をやっても俺はダメなのだ。だから俺は、周りに合わせていくことにした。周りに合わせていれば面倒は起こらないし、普通の人の振りで俺は構わない。ただ俺のせいで、もう誰も傷ついてほしくないだけだ。
それから表面上は何事もなく部署に戻っても、三浦は話しかけてこなかった。いつもは何も気にならないはずなのに、その日はやけに雨の音が大きく聞こえた。
***
それからしばらく、三浦は屋上にも姿を現さなくなった。数々の失敗をしている俺だからわかるのは、もう三浦は俺と飯を食わないということだけだ。余計な出費がなくなるのはいいが、心の中がどこか真っ白になったような気がしていた。別に三浦のことなんかどうでもいいはずなのに。
その日、俺がせいせいと屋上でコンビニ飯を楽しんでいるとふらっと三浦がやってきた。前ならすっと俺の隣に陣取っていたのに、今は俺の後ろに立ち尽くしてなかなか隣にやってこない。
「金か?」
「はい。あるだけできれば」
俺は三浦の顔を見れなかった。
「今日は貸せないぞ」
「じゃあ、いいです」
こんな奴の声、聞いたことがなかった。ぞくっとした俺が振り返ると、ちょうど三浦も背を向けて屋上から立ち去ろうとしているところだった。
「いいわけねえだろ、こっちこい」
振り返った三浦はあの表情の消えた顔を一瞬見せた後、すぐにいつもの表情になった。
「じゃあ、遠慮なく」
そう言う三浦の声が少し震えているのを、俺は聞き逃さなかった。そして、俺は確信した。どうして俺が三浦に惹かれるのか、そしてこいつが俺のところに来たのか。
「飯食ってるか?」
「いえ、全然」
深くは聞けないが、何かよくないことがあったんだろう。それは自業自得という奴なのだろうが、こいつがとにかく追い詰められているのだけはわかった。
「じゃあ食えよ、食いかけだけど」
俺はコンビニのカレーを三浦に渡した。食いかけと言っても、まだ数口しか口にしていない。
「だって、先輩のご飯じゃないですか」
「俺はこっちがあるからいい」
そう言って俺はコンビニの袋からサンドイッチを取り出した。昼休みいっぱいかけてここでのんびり食べようと思ってたくさん買い込んでおいてよかった。
「同じ飯食った方が、シンキンカン出るんだろう?」
何だかわかった気がした。俺もこいつも、方向性は違っても同類だ。だから、かけてほしい言葉が一緒で、傷つく言葉も一緒なのだ。
「……あとで、礼はします」
「別にいらない」
俺は、「俺」にそう言った。でも、多分俺はそういうのが好きじゃない。弱っているときに偉そうにされるのが何より大嫌いなのが俺であり「俺」のはずだ。だから俺は人から離れていくし、「俺」は平気そうな振りを続けるのだ。
「優しくされるの、嫌いなんすよ」
「わかってるじゃねえか、俺はお前が別に好きじゃないからな」
なんだろう、この感覚。変なところで俺とこいつが繋がってしまった。まったくろくでもない野郎だ。今すぐにでも逃げ出したいのに、その後が気になってしまう。
「だから明日も来いよ」
三浦は黙って頷いて、コンビニのカレーを飲み込むように食った。よっぽど腹が減っていたのかもしれない。プラスチックのスプーンはスプーンのくせに先が割れていて、中途半端な形をしている。俺たちみたいだなと思いながら、俺は卵サンドを口にしてこれからどうしようかと思案した。
<了>
先割れスプーン理論 秋犬 @Anoni
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