宿題チェキのメッセージ

めんつゆ

宿題チェキのメッセージ

 揚げたてのポテトを前に、久しぶりに佐藤と飲んでいた。


 佐藤とは高校時代からの腐れ縁だ。お互い就職してからは予定が合わず、久々に会えたのがこのゴールデンウィークだった。


 佐藤との会話は、いつも唐突だ。


「お前、謎解きとか得意だったよな?」


 何の前触れもなくそう言われ、俺は思わず手元のジョッキを見つめた。


 確かに、高校時代に不思議な出来事に巻き込まれ、こうであるべきという真相を提示したことはあった。しかし、それを「謎解き」と言われるのは違和感がある。


「そんなことは──」


 言いかけたところで、佐藤は俺の言い訳を待たず、何かを机の上に置いた。

小さな厚紙に、解像度の低い写真が印刷されている。


 世間に疎い俺でも、これが「チェキ」だと分かる。


 写真の中、二人でハートマークを作る男女の片方が佐藤であることも分かった。そして、隣にいるのがアイドルなのだろう。


「俺が推しているアイドル『CONNECT』のまなみんだ。本名は高柳愛美」


 聞いたことのない名前だったが、俺は曖昧に頷いておいた。


 佐藤は昔からこういうものに熱を入れるタイプだった。声優の追っかけをしていた時期もあれば、特撮俳優のイベントに通い詰めていたこともある。今回はその対象がアイドルというわけか。


「それで?」


 俺はジョッキを傾けながら言う。


「俺はお前の惚気を聞けばいいのか?」


 佐藤は急に真剣な顔をした。


「今、俺は助けを求められている」


 ふざけた言葉ではないと察し、俺は眉をひそめた。


 佐藤は無言のままチェキを裏返す。


 黒字に青のサインペンで、少し分かりにくいものの、そこには──


 SOS


 はっきりと、そう書かれていた。


「これは昨日貰ったチェキだ。彼女が何の助けを求めているのか。それを解明して欲しい」


「……」


 俺はチェキを手に取って、もう一度眺めた。


 まなみんは細身で、いかにも令和のアイドルといった感じだ。


「さとやんいつもありがとう!THANKS!2025年5月1日」と書かれている。さとやん、というのは佐藤のことだろう。余白部分にはハート型のシールがいくつも貼られていた。


 ……ん?


 俺はそこで違和感を感じた。


「これ、日付が5月1日になっている。昨日貰ったなら、日付は5月4日なんじゃないか?」


「ああ、それは宿題チェキだからだ」


「宿題チェキ?」


「普通は物販でお金を払って、その場で会話をしながらサインも入れてもらえる。これが昨日、普通に撮った時のチェキだ」


 佐藤は財布からもう一枚チェキを取り出した。


 書かれているのは5月4日という日付。だが、5月1日のチェキに比べると、数字も文字もどこか急ぎ足で、癖が強く出ていた。


「物販時間内にチェキにサインできなかった場合、アイドルがチェキを持ち帰って、サインを書いたものを後日渡してくれる。これを宿題チェキという」


「その場合、アイドルと会話する時間はなくなるわけか」


「ああ。その分サインも丁寧になったり、チェキの飾りも手が込んだものになる」


 俺は改めて二枚のチェキを見比べた。宿題チェキ方が字も丁寧で、普通のチェキにはシールも貼られていない。


 チェキを裏返してみる。5月4日に撮られたチェキの裏側に書き込みはなかった。


「5月1日は、時間内にサインを書けないほど客が多かったのか?」


「ああ。動員がかかった重要なライブだったからな」


「動員?」


「新しいネットサービスのタイアップ企画があってな」


 佐藤はポケットから折りたたまれたチラシを取り出し、俺に渡した。


 チラシには丸文字フォントでネットサービスの概要が書かれていた。6桁以上の任意の英数字を設定するだけで秘密のチャットルーム簡単に作れる云々。その下にアイドルのシルエット画像が描かれ、集客数の多いグループがイメージキャラクターに選ばれると書いてある。 


「チェキの価格も、この日だけ千円引きだった」


「ふうん。普段はいくらなんだ?」


「三千円」


「……!」


 こんなものが三千円──。俺は絶句したが、佐藤は構わず話を続けた。


「まなみんは自宅でSOSと書いたんだ。

 決してその場の思いつきで書いたわけじゃない。

 まなみんが俺だけに伝えたかった何かがあったに違いない。

 ……くそ、昨日渡された時に気が付いてれば!」


 佐藤は髪の毛をかきむしった。


「……いや、ちょっと待てよ」


 俺は佐藤をいさめた。


「宿題チェキをもらったのはお前だけじゃないんだろ?」


「ああ。何人かいた」


「正確には何人いたんだ?」


 佐藤は少し考え込み、状況を思い出すように目を細めた。


「そうだな、俺の他に、見たことのない新規客が2人。あと、あいつも貰っていたな」


「あいつ?」


「ソウタという奴だ。俺の前に並んでた。見た目爽やかで、服装もこなれてて、なんか余裕がある感じの」


「……お前の嫌いなタイプだな」


 佐藤は露骨に舌打ちして、ジョッキをあおった。


「物販が押してたのに、2枚も撮ってたんだぜ。空気読めよ。

 ……ま、会話の内容は俺が勝ってるけどな」


 佐藤が鼻で笑うように言った。


「会話の内容?」


「ああ。俺はライブの感想を必ず伝える。Xのポストもチェックしているから、自然と会話が深くなるんだよ」


「ソウタはどうだったんだ?」


「話すことが特に無かったんだろう。まなみんも困ったのか、このチラシのネットサービスの説明とかしてたよ。まるで店員の会話だよな」


 佐藤はジョッキを置き、満足げに笑った。


 俺は少し間を置いて、お通しの枝豆をつまみながら考える。


「仮にまなみんさんが助けを求めているとして、一つ分からないことが出てくる。つまり、本当に助けを求めているなら、SOSなんて書かずに、もっと具体的なことを伝えればいいんじゃないか? 例えば、警察に連絡してくれとか、はっきりそう書けばいいじゃないか」


「いや、それは無理だ」


 佐藤は首を振った。


「この事務所はアイドルの私信、つまりファンとの秘密のやり取りに厳しいんだ。SNSのアカウント管理はもちろん、宿題チェキについても事務所が検閲している。チェキ撮影の会話も、横のスタッフが内容をチェックしている。だから、お前が言うような方法は無理だ」


 佐藤はそこまで一気に言って、何かに気づいたように目線を上げた。


「そうだ!事務所だ!事務所を辞めたいということでSOSを書いたんじゃないか?

 悪徳事務所に奴隷のように働かされている、でも事務所に監視されていて誰にも言えない。だから俺に助けを求めたんだ!」


「いや、それはさすがに……」


 論理の飛躍が過ぎる、と言いかけたが、論理どころか、佐藤自身が今すぐにでも立ち上がって事務所に飛んでいきそうな勢いだった。この男には昔からそういうところがある。


「分かったから落ち着けよ」


「何がだよ。俺の気持ちがお前に分かってたまるか」


「そうじゃない。お前の気持ちは分からん。だが、真相は分かった」


「……なに?」


「大体のところは、な。ただ、一つ教えてくれ。

 お前は、過去に宿題チェキを貰ったことがあるのか?」


「何回かある」


「裏面に「SOS」に限らず、何か書かれていたことは?」


 佐藤は首を横に振った。


「ない。あればすぐ気づいたはずだ」


「……そうか」


 俺は目を閉じ、しばし考えた。


 何から話すべきなのか──いや、言葉より、まずはこれを見せるべきか。


 俺はテーブルにあった紙ナプキンを手に取った。そして、まなみんのチェキを見ながら、ペンで三つの文字を書き込んだ。


「SOS?なんのつもりだ?」


「そう。これはSOSだ。ご覧のとおり、まなみんの字体に似せて書いた。

 ……だが、こうするとどうなる?」


 俺は紙ナプキンに書き込みを続けた。書き終えた紙ナプキンを見せると、佐藤は息をのんだ。


「これは……」


 俺が書き足したのは、501、502、503、504という数字だった。そして、504の次には、もとに書いてあったSOSが続くのだが──。


「SOSが、505になった…」


「そう。これがSOSの正体だ」


 俺は505、数列が書かれる前はSOSと認識されていた部分を指さした。そして、5月4日のチェキに書かれた日付を指さした。


「この「5」を見てみろ」


「……同じだ」


「そう。まなみんの書く「5」には癖がある。特に気を抜いて書いたとき、それが顕著になる。少し左に傾いて、本来上に突き出るはずの縦棒が上に出ない」


「確かに……」


 佐藤が二つの「5」を交互に見比べて頷く。


「つまり、これは「S」ではなく、単なる「5」。「SOS」に見えた文字列は、実は「505」という数字だったんだ」


「……ってことは、505って……どういう意味なんだ?」


 俺はナプキンの数字列を指でなぞりながら、淡々と答える。


「今月は何月だ?」


「5月」


「宿題チェキの対象は、新規の客が2枚、ソウタが2枚、お前が1枚。全部で5枚だったな?」


「……ああ」


「だとすれば、これは5月の5枚目の宿題チェキ。そう考えれば意味が通る。「5月の5枚目」──つまり、単なる通し番号だ」


 佐藤は唸った。


「……SOSでないどころか、何の意味もない数字だったのか」


 佐藤は宿題チェキをぱたんとテーブルの端に放り出した。


「いや、それも違う」


 俺は静かに言った。


「まなみんは今まで、チェキに通し番号を振っていなかったんだろう?それが、なぜ急に通し番号を振り出したんだ?」


 俺は静かに続ける。


「枚数を管理したいなら、自分でメモすれば済む。そもそもチェキに番号を書いたところで、相手に渡ってしまえば通し番号が分からなくなってしまう」


「……言われてみれば、確かにそうだな」


「あえてチェキの裏に書いたということは──相手にその数字を見せる意図があったということだ」


 佐藤が眉をひそめた。


「……待てよ。お前、さっきはこの数字はただの通し番号だって言ってたよな?それが今になって意味があるって、どういうことだよ」


「数字には──二つの意味があるんだ」


 俺は静かに言った。


「一つは、検閲をすり抜けるための「見せかけの意味」。もう一つは、気づいた者にだけ届く「本当の意味」だ」


「……」


 佐藤は黙ったまま、チェキを見つめた。


「宿題チェキには検閲がある。まなみんは自由に文章を書けない。だからこそ、表面的には意味のない「通し番号」に見せかけて、メッセージを埋め込んだ。気づける相手にだけ伝えるために──」


「つまり、この505にも大事な意味があるということか……!?」


 佐藤は宿題チェキを大事そうに拾い上げた。


「その可能性もある。

 ただ、彼女がどの数字に「意味」を込めたかは、もう少し検討が必要だ。505かもしれないし、別の数字かもしれない」


 佐藤は真剣な目つきで俺を見つめていた。


「まず「数字を託すにふさわしい相手」が誰かから考えてみよう」


 一度呼吸を整えてから、俺は続けた。


「まず、今回初めてライブに来たようなファンは除外していい」


「それは……なんで?」


「理由は二つある。一つは、通し番号に違和感を持てるのは、過去に通し番号がなかったことを知っている者だけだということ。もう一つは、一度きりで来なくなる可能性がある相手に、重要なメッセージを託すとは考えにくいからだ」


 佐藤は黙って頷いた。


「だから、対象は以前からライブに通っているファンに限られる」


「つまり──」


「お前と、ソウタに絞られる」


 佐藤は黙ったままだ。


「……ここで、まなみんの立場に立って考えてみよう」


 俺はゆっくりと言葉を選びながら続けた。


「過去には裏面に何も書かれていなかったことを知っていたとしても「5月から番号を振るようにしたんだな」と解釈される可能性もある。それだけじゃ、伝えたいことは伝わらない」


「……」


「さらに言えば、仮に「これは大事な数字かも」と気づいたとしても──それがどのような意味かわからなければ意味がない」


 俺は視線を佐藤に向けた。


「となると、まなみんは数字について何かしらのヒントを与えているはずなんだ」


「ヒント……いや、俺は何も言われてないぞ。俺だけじゃない。ソウタだって、妙な会話はなかった」


「本当にそうか?」


「……え?」


「ソウタは何の話をしていた?」


「……あ」


 佐藤の目がチラシに向けられた。俺はチラシをテーブルに広げた。


「ここを見ろ」


 チラシの下部に書かれた説明文を指でなぞる。


《英数字6桁以上の文字列で、あなただけの秘密の部屋がすぐに作れます!》


「つまり、このサービスを使用するためには、6桁の鍵が必要なんだ」


「だが……数字は3桁しかないはずだ」


「いや」


 俺は首を振る。


「ソウタはチェキを2枚撮っているじゃないか。彼は、6桁の数字を持っているんだよ」


 佐藤の喉が鳴った。


「そして、お前が505を受け取っているとすると──その直前に並んでいたソウタが受け取った数字は、恐らく503と504。もちろん、順番を入れ替えて501と502にすることもできる。だが、チェキの撮影順を覚えている事務所サイドに不審に思われる可能性がある。余計なリスクを避けるなら、撮った順番通りに数字を振るのが合理的だ」


「……つまり、この503と504を入力すれば、まなみんとソウタのトークルームにアクセスできるってことか」


 佐藤はチェキを見つめながら呟いた。


 その声には、かすかな苛立ちと、焦りと、諦めきれない何かが混じっていた。


 そして、しばらく迷った末に──


「……」


 意を決したように、佐藤はスマホを取り出した。親指でロックを解除し、ブラウザを立ち上げる。


 指先がチラシのURLを入力しようとした──そのとき。


 ピロンッ。


 通知音が鳴った。佐藤の手が止まる。


「……あ」


 画面をのぞき込んだ佐藤が、目を見開いた。


「……どうやら、アクセスする必要は、なくなったようだ」


 ぽつりとつぶやきながら、佐藤はスマホの画面を俺に見せた


 それは、Xのポストだった。


【大切なお知らせ】


CONNECT所属・高柳愛美は、重大な規約違反が発生したため、本日付で契約を解除となりました。


ファンの皆様にはご心配をおかけしますが、今後とも変わらぬご支援をお願いいたします。



「……まなみん、クビになっちゃったよ」


 佐藤は力なく笑って、首をがっくりと折った。


 俺は何も言えず、救いを求めるように、ぬるくなったビールを口にした。


 不自然な番号、不自然な会話。まなみんは危ない橋を渡っていた。それが事務所にもバレてしまったのだろうか。


 あるいは別の原因があったのかもしれない。


 それは──もう俺の知るところではない。


 静かな時間が流れた。


 佐藤はうなだれたままスマホを操作していたが、やがて顔を上げた。


 ──笑顔だった。


「……次はこの子かな」


「は?」


「いや、前からちょっと気になってたんだよね。フォロー返してくれたし。今週末もライブがあるって」


 そう言いながら、佐藤は新しい推しのアカウントに、嬉しそうにリプを送っていた。文面が目に入る。


「フォロバありがとう~!今度チェキ撮りにいくね!」


 ……俺はそっと視線を外し、残っていたポテトを一本つまんだ。


 もう、何も言うまい。


 ポテトはすっかりしなびていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宿題チェキのメッセージ めんつゆ @naphtalinec10h8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ