後編


 ライブ当日は、雨だった。


 線状降水帯が発生しているとかで前日からずっと雨が降り続き、私鉄の多くが特急を運休したり、間引き運転を行ったりしていた。

 俺も、果たしてライブが予定通り開催されるのか危惧していたが、会場に着いた時の行列を見て、それは杞憂だったことを知った。『推し活』はこれぐらいの雨で止められるものではないらしい。


 行列に並んでいる人の多くが、ミクセラのロゴの入ったシャツや、ライトスティックやタオル、メンバーのイラストが入ったバッグなどを持っている。俺は初めてなので、何も持っていない。普通のスーツ姿でそこに並んでいると、明らかに浮いていた。まるで、ミクセラの中での湊ひまりのように。


 行列で俺の前に並んでいる人が『湊ひまり』のロゴの入ったタオルを持っている。もしかしたら、この子は湊ひまり推しなのかもしれない。そう思って、俺は、その人に声をかけた。俺より3,4歳年下のようだ。


「あの……もしかして、湊ひまり推しの方ですか?」

「あっ、はい……そうです……えーと……やっぱ、湊ひまり推しなんですか?」

「推しって言うか……そうですね……今回のライブ、湊ひまりさんを観に来たんですけど……」

「うれしいですね。やっぱ、花咲みゆりや藤波かえでや朝凪れなに比べると、湊ひまりはイマイチ、ファンの人が少なくって、それで残念だなって思ってたんですけど、こんな風にライブに来て、湊ひまり推しの方に会えるの、うれしいです」


 その人は、うれしそうに、メンバーのイラスト入りトートバッグから取り出した、湊ひまりのキャラクターグッズを見せてくれた。フォトカードやキーホルダー、ブレスレット、いろいろなグッズが出ているらしい。


 グッズを見ながら、俺は、湊ひまり推しのその人に名前を訊いた。彼の名前は、谷原というそうだ。

 彼なら、俺の疑問に答えてくれるかもしれないと思い、俺は、尋ねた。


「谷原さんは、なぜ、湊ひまり推しに?」

「えっ、いや、それはもう決まってますよ。一番可愛いじゃないですか。僕、ポニーテールも好きだし……」

「湊ひまりって、なんか、変わった子ですよね」


 俺のその言葉に、谷原さんはキョトンとした。


「変わった子……ですか?」

「ええ……俺は、初めてミクセラの映像観た時に、一人、変な顔の子がいるなぁと思って……」


 俺の『変な顔』発言に、谷原さんはいっそうキョトンとした。少し、不快そうな表情もかすめた。


「変な顔……です……か?」

「いや、変っていうか、他の子となんか違っているというか……ほら、MVなんかでの、湊ひまりの動きもなんか他の子と違ってるでしょう?」


 俺の言葉はさらに谷原さんを困惑させたようだ。


 谷原さんは、俺の言葉をフォローするように言う。

「他の子と違うと言えば、違いますよね。ほら、可愛いし」


 どうやら、俺が見ている湊ひまりと、谷原さんの見ている湊ひまりは別人のようだ。いや、別人じゃないんだけど、そこに感じている何かが違うらしい。


 俺と谷原さんは、その後、今回のライブのセットリストへと話題を移した。湊ひまりのイメージをかき回されなくて、谷原さんもホッとしているようだった。


 やがて、入場時間となり俺は、自分の席に座る。


 ライブが始まった。


 始まった途端、皆、立ち上がり、ミクセラのロゴ入りライトスティックを振り始める。

 俺は、ライトスティックなんか持っていないし、持ってこなければいけないことも知らなかった。

 仕方がないので、俺は、周りに合わせて腕を振りながら、ステージを見つめている。


 最初の曲は、3枚目のアルバムに収録されている『ハートのスパークル』だった。

 この曲では、湊ひまりのソロパートがある。俺は、食い入るようにステージ上を見つめた。


 やがて、ソロのタイミングで、湊ひまりが中央に進む。


「おおっ!」俺は思わず、声を上げた。


 生の彼女の印象は、写真や映像以上に強烈だった。


『やっぱり、この子は変だ』


 他の子とダンスも声も違っている。もちろん、発声練習とかレッスンでしごかれているだろうから、声の出し方とか完璧(あくまでも素人の耳で)だが、どこか、周りと違う。俺はミクセラのCDを何度も聴いていて、ミクセラメンバーがみんなで歌う時にも湊ひまりの声を聴き分けられるようになっていた。そもそも、聴き分けられるのも道理で、俺には、湊ひまりの声だけが、他から浮いているように聴こえるのだ。


 俺の視線は、ライブの間、ずっと、湊ひまりを追い続けていた。


 そして、定番のラスト・ソング『星屑のシンフォニー』で、ライブは終了した。


 ミクセラのライブでは、ライブ終了後に握手会が開かれる。


 事前に手荷物検査が行われ、メンバーがレーンごとに分かれ、ファンは自分の推しのメンバーの列に並ぶ。


 俺は、もちろん、湊ひまりの列に並んだ。

 一番列が長いのは、やはり、花咲みゆりの列だったが、湊ひまりもファンが多いのだろう……4、5番目ぐらいに長い列となっていた。


 列はどんどん進んだ。

 湊ひまりは、笑顔でファンと握手している。

 やがて、俺の順番になった。

 湊ひまりを目の前で見られるのだと思うと、さすがの俺も緊張した。


 俺が差し出した手を湊ひまりがしっかりと握る。

 その握る手にも、不思議な感触が感じられた。


 俺は、顔を上げ、湊ひまりの顔を見た。


 ああ、やっぱり、この子、他の子と違うよなぁ……と思って、思わずそれが口に出てしまった。


「変な顔ですね」


 彼女は一瞬固まり、そして、泣き出した。


   ***


 それが、俺と妻との馴れ初めだった。

 不思議な縁といえば、不思議な縁だ。


 だが、とにかく、湊ひまりはそのまま泣き続け、サイン会は彼女抜きで行われることとなり、俺は出禁となった。


 しかし、そこから、湊ひまりとの交際が始まり、そして、今に至る。


 俺は、今でも時々、彼女に言う。

『変な顔だよなぁ』と。

 彼女はそれを聞いて、怒ったような顔をするが、満更でもないらしい。

 そして、腕を上げて妙な振り方をする。これは、彼女の機嫌がいい時のリアクションだ。


 そう……俺にとって、彼女は特別だった。

 他の誰とも違う存在、それが、湊ひまりだったのだ。


 息子が、ある日、俺に言ったことがある。


「お母さんって、昔、アイドルしていたって聞いたけど、でも、何か変な顔だよねぇ」


 俺はそれを聞いて思った。


 そうだ、そうなんだよ。お前にもわかるようになったか。

 彼女は、そう……特別なんだ。誰にも似ていないんだよ。


 それが、湊ひまりなんだ。



      了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なんか変な子 遠山悠里 @toyamayuri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ