元軍人の警官vs殺戮者たる辻斬り犯

赤松和熊

警官対辻斬り

警官対辻斬り

□    ■


 今夜のを探すため、男は路地裏を散策していた。


「そこの男、止まれ」


「なんでしょうかな、おまわりさん」


 巡回をしていた警官が声をかけてきた。斬り甲斐の無い男には用はないんだが、試し斬りには良いだろう。

 自身の背中へ声をかけた警官に対して不躾な事を考えながら、男は応えた。


「最近物騒なのでな、東方の装いの者には声をかけている」


「それはまた、無用心なことで」


 男は警官に振り返ると同時に吊っていた打刀を抜くと、流れる様な所作で警官の肉体を剣閃が通り抜けた。


 振り返る勢いそのままくるりと回ると、慣れた様子で赤黒い手ぬぐいを取り出し、打刀を拭いて鞘に収めた。

 雑事が済んだ男は何事も無かったかのように歩き出した。


「それはどういう……待て!」


 男を追おうとした警官の体は動かず、首に赤い線が一筋引かれていた。


「な、に? き、さま……」


 糸が切れたように警官の体勢が崩れ、警官の首がずり落ちる。膝を付いて落命した体と、驚愕の表情が貼り付いた警官の首級が地面に転がっていた。

 巡回していた警官は何も理解できないまま死んでいったのだろう。


「山田流、首灯籠」


 大気魔力との連動良し、技の冴えも良し。今日の斬り心地も良いだろう。


 さあ、今日はどんな肉を斬れるだろうか。


 噴水と化している警官を残し、辻斬り犯は心躍る気持ちをそのままに夜の路地裏へ消えていった。



□ □



 辻斬りだってよ。


 辻斬り? ここはだぞ。腕試しには最高の街だってのに。


 さてね。女子供のご遺体も腰骨ごとこう、すっと袈裟斬りに両断されてたって話だ。


 常人のやることじゃねぇなぁ。大気魔力を扱える戦士かね、なおさら闘技場に行きゃあいいものを……


 巡回してた警官も4、5人は斬られたらしい。みぃんな首に一太刀、何してんだかねぇ。




「……で、精度の高い情報はどんなもんかね、おやっさん」


 他人事の様に語る商人達を横目に、カウンターに座る警官は強面の料理人に質問を飛ばす。


 警官の男は画一的な制服を着ながらも喉元を少し着崩していた。齢は話している料理人と同程度、30代の終わりごろの様に見える。


「誰がおやっさんだ。お前こそ、警官だってのに昼間っから呑ん……ではないのか」


 警官は空いたタンブラーをカラカラと振りながら応えた。


「おうよ。今日は夜勤だからな、りんごジュースおかわり」


「あいよ。毎度思うがこの手の情報はそっちの方が詳しいんじゃないのか?」


 料理人は警官からタンブラーを受け取り、りんごジュースを注いだ。


「事後の事は分かっても後手に回っている以上事後しか分からん。事前を知るには警察の情報網だけでなく、市民の目が頼りなんだよ」


 りんごジュースを受け取りながら警官は愚痴るように発した。


「なるほどねぇ……そうさな、刀を佩いた東方の装いの男、ってのはもう知ってるとしてだ。黒色の鞘、三度笠、タッパはお前に近いらしい」


「助かる、今夜にはかち合う予定だからな」


「……シードル冷やして待っとくよ」


 強面の料理人は呆れながらも警官を信じて送り出した。



□ □


「タイショー?十手の整備できてるー?」


 闘技都市の郊外にある、国家警察認定の鍛冶工房。職人の腕は良いが店構えが限界を迎えた家屋のため敬遠されているようだった。


 警官は粗末な木製扉を叩き開けると、武具が雑多に並ぶ店内をずかずかと進み歩く。


「来たカ。柄糸と目釘、鍔の交換整備、終わっとるゾ」


 老齢なドワーフの店主はカウンター越しに体を乗り出しながら、警官が預けた得物を差し出した。


「……いいね」


 老匠のドワーフから十手を受け取った警官は、その場で素振りをして調子を確かめた。


 身分証代わりの十手は軍からの官給品である細い物から、骨太で鍔のついている物に更新されていた。この警官自身がより実用的な物を申請して使っているのだ。


「いつもすまんね」


「何いってんダ、その十手とも随分長い付き合いなるってのニ」


 そんな逸品を整備した老匠のドワーフは当たり前の仕事をしただけだ、と態度で示していた。


 老匠は置いていた太い葉巻を手に取り吹かしながら、胸の内にあった疑問を警官に問うた。


「だがよ、実戦で十手なんて使えるのかヨ。武器を大切にするのもええが、身分証と割り切った方がええんじゃないカ」


「殺さず捕らえるのが警官の仕事だ、十手は俺の一発芸に必須ってのもある。まめに整備にも出すさ」


「とやかく言うつもりは無かったが……一悶着ありそうな面だったんでナ、生きて戻って来いヨ」


「任せとけ」


 十全に整備された十手を腰の前に佩き、警官は店を出た。



□  □



 夕日が既に沈み、闘技都市の魔石灯が大通りを照らす頃。警官は準備を整えて警察署を出る所だった。


 身分証代わりの十手と、身長と同程度の長さの木杖。闘技都市に居る警官は必ず持つ組み合わせだ。


「こんばんは。良い夜ですね、おじ様」


 画一的な警官の制服を正しく着込み、黒髪を肩口で切り揃えた年若い婦警が声をかけてきた。


「姪っ子ちゃんじゃねぇか。おじさんはこれから巡回だから……」


「おじ様の美徳とは思いますが、ひとりで行かれるのですか」


「────」


 なんでバレるかねぇ、俺ってそんなに顔に出てるのか? 姪っ子の親、俺の弟も勘がいいから血筋なのかね。


「……闘技者に依頼する程じゃない、特殊戦部隊を動かす程でもない。俺たち警官にも、まだできる事がある」


「殺さず、捕らえ、法の裁きを受けさせる。おじ様からも父からも、何度も聞かされました」


 呆れるような、だが肯定するような優しい声音で警官の姪は応えた。


「ま、そういう事だ。仕事終わったらまっすぐ帰れよな~」


「分かっています。おじ様が死ぬとも思えませんが、武運をお祈りしております」


 警官の姪は瀟洒に一礼してみせた。典礼に通じ、社交の場に相応しいゆかしい立ち振る舞いだった。


 いつもと変わらない風に装う警官は姪に手を振りながら警察署を立つと、大通りに出た。




 女子供合わせて17人、今そこで別れた肉親と年の近い者も斬られている。

 巡回していた警官が6人、顔見知りや有望な若手も斬られている。


 警官の胸には怒りもある、悲しみもある。だがそれでは戦場で勝てない事を知っている。それらを飲み込んで、警官の矜持を胸に戦う。


 殺さず、捕らえ、法の裁きを受けさせる。ただそれだけだ。


 まだ人気が多く明るい大通りを歩きながら精神統一をしている内に、目的の路地に着いていたようだ。


 今日の相手は腕が立ちそうだ。より丁寧に、より意識して『強化』しておくか。


 大気魔力を肉体に浸漬させ、動作を補助させる魔法。

 『身体強化』発現。


 木杖に大気魔力を浸漬させ、特性を向上させた上で防殻を被覆。

 『物質強化』発現。


 体の表面に大気魔力を凝集し、固形化。

 『防殻』発現。


 これら三つ目の魔法の並列発動は、魔法戦士の必須技能である。


「……さて、行くかね」


 普段より丁寧に戦支度を終えた警官は、大通りの灯りの届かない裏路地へと消えていく。



 灯りの頼りは満月の月光のみだった。




□   ■




「そこの男、止まりな」


 満月の月光に照らされる夜の路地裏。闘技都市に駐在している警官は、辻斬りを行う殺人犯と出会う心構えで路地を巡回していた。


 東方由来の三度笠を目深に被り、黒の着流しを着て帯刀している男。警官が声をかけた人物であり、追っている辻斬り犯の特徴でもあった。


 身分証代わりの十手を腰に差し、己の身長と同程度の長さの木杖を片手に、警戒を強めながら警官は歩み寄った。


 警官にとって慣れてしまった臭いが鼻腔を抜ける。乾いているが、目の前の男から血の匂いがしている。


「なんでしょうかな、おまわりさん」


「こんな夜更けに大気魔力を纏って臨戦態勢たぁ、穏やかじゃないねぇ」

 

 横顔が見える程度に振り返った男を見て、警官は理解した。


 ――こいつ、俺が間合いに入ったら


 打刀の間合いの少し外。警官は足を止め、携帯している警笛に迷わず口を付けた。


「はぁ……」


 男が吐いた溜息と同時に鯉口が切られ、振り返る勢いそのままに刃金が警官へと飛ぶ。


 これまでに斬られた警官達の死因。この一太刀を予期していた警官は鉄面皮を崩さず、一歩引いて剣閃を避けた。


「おっと、躱すとは」


「……居合、それも首めがけて一閃。やっぱりテメェか、最近の辻斬りの犯人はよォ。女子供ばかり狙いやがって、胸糞悪い」


「邪魔なんですよオッサン。興味無いんでさっさと帰って貰えます?」


 苛立っているのか辻斬り犯は打刀を納め、再び居合の体勢をとった。


「ぬかせ若造が、警官が6人もやられてんだぞ。テメェをぶちのめしてワッパをかける、それで仕舞いよ」


 警官は左足を前に半身に構え、木杖を槍のように持ち直した。

 

「……私はね、人を切りたいだけなんですよ。あの瞬間の感触と音が、堪らなく好きなんですよ。邪魔しないで下さいよ」


 辻斬り犯は聞いてもいない事をぺらぺらと語りだした。言葉の端々から狂気が滲み出ているように警官には聞こえた。


「男の肉はいけない。女子供の柔い肉を斬るあの感触〜〜〜ッ最高なんですよ!」 


 辻斬り犯は感情の激流をそのままに、先程と同じく首を落とす一太刀を繰り出した。太刀行きの速度だけなら先程より断然速いだろう。


 警官は目を細めると、一文字に飛んでくる刀身に狙いを絞り、木杖でカチ上げた。


「っ!」


「同じ技が二度も通用するかよ、たわけが」


 警官はするりと元の構えに戻り、雨の様な突きの連撃を辻斬り犯へと繰り出し攻め立てる。

 基礎に忠実にして人体の急所に向けて正確に突き出される木杖は、辻斬り犯を守勢に回すには十分だった。


 流れる様に連打される木杖。辻斬り犯が既に発現している『強化』をもってしても避けきれず、基礎防御魔法たる『防殻』で致命打こそ防ぐが衝撃が体を突き抜ける。


「うざったいんです、よ!」


 守勢を強いられ、避ける事に専念していた辻斬り犯は木杖を切り落とすべく、下ろしていた打刀を片手で切り上げた。


 警官は突きの連撃を止めると、切り上げに合わせて体を引いて空振らせ、薙刀の上段構えに構えた。


 まずは武器を落とさせて貰うぞ。


「むん!」


 警官は間髪入れず、薙刀の面打ちの要領で踏み込んだ。強引に片手で切り上げることで体勢を崩した辻斬り犯、その手首めがけて杖を振り下ろしたのだ。


「――っ!」


 辻斬り犯は声を出す暇もなく、手首に『防殻』を厚く増やし真正面から受けた。その体勢のまま、いびつな鍔迫り合いで両者は向かい合った。


「……全身を『防殻』で固定し、西洋甲冑の要領で打撃を無効化したか。案外頭が回るじゃねぇか」

 

「狙いさえ分かれば、受けれますよ。警官さん」


 両者が静止したこの数秒。次の瞬間には示し合わせたかの様に2人は距離を開けた。

 辻斬り犯は切っ先を下げると、警官を嗤った。


「そんな生ぬるい武器でさえなければ、私の腕を折り、頭をかち割って殺せていたでしょうに」


 辻斬り犯がそう思うほど、警官の踏み込みと打ち込みは鋭かった。


「おまわりさんだからな」


 警官の理において、負けん。警官は左足を前に半身に構え直し、木杖を槍の様に構えた。


 武器を振り回すには少し狭いこの路地、上から差し込む満月の光がちらちらと隠れる事が増えていた。


「ですが、天は私に味方したようで」


 満月の月光が薄い雲で遮られると同時に、下げていた辻斬り犯の刀身が薄闇に溶けるように消えた。


 警官はとある友人が言っていた事を思い出した。東洋の刀は景色に馴染み、消えるという逸話を。


「……おとぎ話の類と思ってたんだが、事実とはねぇ」


「完全な闇ではありませんが、十分でしょう」


 貴方を殺すには。警官にはそう続いたように思えた。


 警官は表情にこそ出さなかったが、途轍もない不利を背負ったのを感じていた。


 木杖の長さの分、有利ではある。だが二、三回打ち合って相手の間合いを把握できる程、俺は戦いにのめり込んでねぇ。


 俺の『防殻』の強度じゃあ奴の『強化』された刀は受けられねぇ、木杖でも無理だ。受けたらこれまでの被害者と同じく、ばっさりと両断される。


 ……月光が戻るまで耐えるしかねぇか。


 木杖を断たれれば長さの有利も無くなる、死が近づく。


 辻斬り犯は三度笠を投げ捨て、不可視の得物と黒の着流しを携えて猛然と警官へ襲いかかった。


 警官には薄闇の中にかろうじて辻斬り犯の輪郭が見える程度。太刀筋はもとより遠近感すらおぼろげにしか捉えられなかった。


 


 見えん。分からん。


 奴の足さばきも、距離さえも。


 薄闇に揺れる辻斬り犯の斬撃を、経験による勘を頼りに大きく退きながら対処していくが、『防殻』を切り裂いて刀傷が増えていく。


 痛みは「痛い」という思考を走らせ、体を硬直させ決意を鈍らせる。


 奴め、遊んでやがる。俺が避けられないが致命傷にならない、そんな傷を浅く多く付けていやがる。本っ当に嫌な野郎だぜ。


 だが好機か、それとも油断を誘ってんのか。


 反撃を一時放棄し、警官は思考を続けながら辻斬り犯の猛撃を避け続ける。


 数合それが続き、辻斬り犯が仕掛けた。


 辻斬り犯の殺意がたっぷりと乗った袈裟斬りが警官を掠める。警官はこの時点で既に回避ではなく迎撃しなければ事を直感した。


「やばっ!」


 袈裟斬りは囮、袈裟の切り上げが本命か!


「獲ったァ!」


 喜悦を隠そうともしない辻斬り犯の切り上げが警官に迫る。


「舐めんな!」


 見えない刀で腹を切られるのを覚悟し、命がけで警官は反撃した。木杖の長さを活かし、薙刀でいう石突の部分で、辻斬り犯の側頭部を強く打ち付けることができた。


 辻斬り犯の影がぐらりと揺らいだ。攻め一辺倒であった辻斬り犯への一撃は、完全に虚をついた攻撃だったのだろう。


 一太刀貰った警官は恐怖を噛み潰しながら、暗闇の中で己の腹をまさぐった。


 ……危なかった。奴がもう半歩深く入っていたら、内臓をブチ撒けてる所だった。反撃してなきゃ死んでたなこりゃあ。


 傷を正確に把握した警官は大気魔力を操ると、未だ血の流れている腹に沿って『防殻』を這わせ、流血を止めた。


「『防殻』での圧迫止血ですか」


「小技だが有用だろ? さ、続けようか」


 辻斬り犯を前に警官は瞑目した。


「手間が省けますが、侮るなら早々に叩き切るだけですよ」


「今見えねぇんだ、瞑っていてもいい」



 闇稽古の成果を見せてやるよ、クソ野郎。




 ──俺たち魔法戦士も魔力を認識し、操作している。俺も奴も3種の魔法を用い、この場で戦っている。


 俺も奴も魔力を認識し、纏って戦っている。ならば体が見える、刀も見える。



 「テメェの魔力を見取るのに、時間がかかった」



 警官には辻斬り犯の実像が、魔力の塊として見えた。


「まだ簡単なんだろうな。魔力を持たない者同士なら、本当に何も見えねぇんだから」


 集中しろ。強化はあくまでだ。


 魔力の起こりを、蠢動を、見逃すな。


 警官の纏っていた『防殻』が薄れ、木杖がしならないほど厚く強固に『防殻』で包む。


 さっきのような破れかぶれの反撃ではない。相手を確実に打ち倒す一撃を叩き込み、終わらせる。


 警官が見取っていた辻斬り犯の魔力がうねり、左前の八相の構えに形を変える。


 警官はそれに呼応するように左足を前に、薙刀の上段構えを木杖を立てるように持つ。


「喋りすぎですよ」


 わずかに遠間であった二人の距離が瞬く間に縮まり、両者共に必殺の間合いへ入った。



 形は違えど同じ意図を持つ二人の構え。だがそこから繰り出される戦術は、個人の手の中にある。


「シッ」


 辻斬り犯からの袈裟斬り。辻斬り犯の繰り出す攻撃の中で、最もキレの良い技だと警官は感じていた。


「ふっ」


 警官はその太刀筋を真っ向から崩すべく、この技を選んだのだ。

 その技は恐れず曲げず、相手の正中線に対して、ただ真っ直ぐに振り下ろされる。

 相手の太刀の鎬を削り、太刀筋を削ぐように押しのけ、攻撃の無力化する攻防一体の技。


 振り下ろされる警官の木杖に合わせて、辻斬り犯は打たれる覚悟を決めて右足を前に踏み込む。一撃受けても物打ちで必ず斬り殺すつもりだった。


 辻斬り犯の一太刀が警官の木杖と交わる。打つが速いか、斬るが速いか。



──


────


──────



 カッという硬質な音と共に木杖が打刀の鎬を捉えた。打刀を押しのけ、真っ直ぐに鍔へと迫り、完全に辻斬り犯の決死の一太刀を殺した。


 この攻防を分けたものこそ、戦術の差。無力化を狙う警官と、斬り殺そうとした辻斬り犯。

 覚悟を決めながらも、木杖と打刀という間合いの不利から逸ってしまった辻斬り犯は、寸前で木杖ごと警官の右腕を斬り落とそうとしてしまった。


 死の確信を感じる辻斬り犯をよそに、これで決めなければならない警官の肉体は、一瞬だけ緊張に支配された。


 鍔に辿り着いた木杖をそのままに腰を捻りこみ、木杖の切っ先が辻斬り犯の胸を打ち抜いた。その一撃は辻斬り犯の『防殻』を間違いなく打ち砕き、『強化』された肉体に突き立てられた。

 剛撃された辻斬り犯の体が激音と共に飛び、裏路地を切り裂く様に跳ねていった。

 警官は渾身の一撃を入れたにもかかわらず、残心を解かず構えていた。



 雲に隠れていた空が一気に開けると、裏路地に差し込むように満月の光が戻ってきた。



 それに照らされた警官の顔は、苦渋を隠せていなかった。

 溝内に当たらなかった、急所を打ち抜けなかったかっ。千載一遇の好機を逃した自覚が警官にはあった。



 ふらつきながらも辻斬り犯は立ち上がった。衝突するように木杖が直撃しても打刀を取り落とすことなく、辻斬り犯は立ち上がったのだ。


「切り落とし、とはね。剣術にも通じてるんですねぇ。繰り返しにはなりますが、そんな武器でなければ先の一合で終わっていたでしょうに」


 辻斬り犯が長く、長く息を吐いた。次いで息を吸い込むと、今までの表情が嘘かのような無表情に覆われていた。


「もう、皮をかぶる必要もないでしょう」


 辻斬り犯の纏う魔力が、一回り圧力を強める。控えていた大気魔力の制御力を動員し、本来の『強化』を纏い直したのだ。


「あなたは今ここで、殺しておきます」


 苛立ちから一周回ったのか、辻斬り犯から笑みと狂気が失せ、真っ直ぐな殺意が絞り出されている。切っ先を上げ、正眼に構えた。


 戦士としての姿を取り戻した辻斬り犯に対して、完全に『強化』の馬力負けをした警官。それでもその不利をのみ込んで、警官は軽口をたたく。


「珍しく意見が合ったな。宴もたけなわ、締める頃合いってもんだ」


 警官が槍のように構えた瞬間、木杖の先が大きく切り飛ばされた。脇構えに構えた辻斬り犯からの袈裟に切り上げる一太刀によるものだ。


 木の端材が落ちるよりも速く、霞に構えた辻斬り犯が突貫する。


 鬼気迫る、文字通りに。鬼のごとき気迫の者が、警官に迫ってくる。

 警官を上回る『強化』で加速する辻斬り犯の体さばき、必殺の間合いに入った途端に平突きが警官に飛ぶ。警官もかろうじて躱すが辻斬り犯からの連攻は止まらない。


 目や喉、左鎖骨、右脇腹を正確に狙う太刀筋。辻斬り犯が体得した殺人技が、路地裏という狭い空間で暴れ回る。


 木杖が切り飛ばされ、同じ程度になった間合い。『強化』の出力負けによる力負け、速度負け。魔力をことによる消耗。なにより、辻斬り犯の遊びや不安定さが無くなったのが痛い。


 警官の勝ち筋が死んでいく。警官の死が、目前に迫っている。


 だが警官にも未だ見せていない一手があった。そのためにはを誘わなければならない。


 警官も消耗を度外視し、短くなった木杖を剣に見立てて応戦する。


 時に鎬を打ち、時に峰を打ち、時に木杖を削られながらも受け流し、辻斬り犯を急かす。辻斬り犯により深く踏み込ませるために、ひたすらに耐える。


「技の起こりが見え見えなんだよクソガキ、それじゃあ鉄の板切れを振り回してるのと変わらねぇぞ」


 その言葉に辻斬り犯の殺意が更に尖鋭さを増した。

 そうだ。勢いに乗れ、調子に乗れ。もっと深く踏み込んでこい。

 お前は必ず、最も信頼する一太刀に頼る。



 辻斬り犯自身も今日のお楽しみを捨て、全開で警官を殺しにかかっていた。

 辻斬り犯も出力で勝る『強化』をもって攻め立てるが、崩しきれない。戦闘者としての技術と経験の差が、この綱渡りの攻防を成立させていた。


 辻斬り犯が深く踏み込むほど警官の刀傷が増え、木杖が細っていく。

 仕留めるのは時間の問題。お楽しみをやめさせられた分は、警官さんで埋めさせてもらう。


 辻斬り犯の切り上げが木杖を捉え、半ばから断ち切られた。

 勝機を敏感に感じ取った辻斬り犯は、嬉々として打刀を八相に構え、必殺の一撃をもって最も深く踏み込んだ。

 



 辻斬り犯の最も信頼している一太刀。それは上段からの袈裟斬りだと、ここまでの戦いで警官は確信していた。


 警官はその一太刀を待ち構え、誘い、仕掛ける。

 生死の境界を、越えろ。


「──捕った」


「──!?」 


 辻斬り犯の振るった渾身の袈裟斬りは、左手で逆手に抜かれた十手に、胸の前でがっちりと受け止められていた。

 必殺の確信を粉微塵に砕かれた辻斬り犯は、戦場に居ながら呆然としてしまった。


「コイツだけは俺の得意技でね。袈裟斬りなんて何度受け止めたか忘れるくらい、受けてる」


 路地裏に金属同士がこすれ合う異音が響く。警官は噛み合っている打刀ごと、十手を自分の左側へ押しのけた。

 我を取り戻した辻斬り犯はとっさに強く握り、体勢を崩しながらも打刀を落とすのを拒否した。



 ──警官は掴み取った勝ち筋を、今度こそ逃さなかった。


 左手は辻斬り犯の右上腕を、右手は喉元の急所に。右脚をかけ体勢を崩し、警官は『防殻』を押し砕きながら、ためらわず親指を急所に押し込んだ。




「渡りの技、仏骨投げ」


 地に叩きつけた衝撃で意識が飛んだ数瞬を使い、右外腕刀で喉を圧迫する。


 『強化』を用いて必死に足掻く辻斬り犯だが、『強化』しても体重や骨格まで変わる訳では無い。警官は可能な限り体を密着させて辻斬り犯の行動を封じ、意識が混濁するまで腕刀で押さえ続けた。


 その間、警官と辻斬り犯は目を合わせ続けていた。




 数分が経ち、辻斬り犯の意識が混濁したことを確認した警官は、腕刀を解いてようやく一息ついた。


「……毎度酸欠の加減が怖いんだよな、ぶっ殺したかと思ったぜ」


 野郎の意識が戻る前にささっと捕まえなきゃあな。


 辻斬り犯が佩いていた鞘を外した警官は、腰の裏に持っていた縄を解くと、警官は辻斬り犯の四肢を固く拘束した。


「これにて一件落着、と言いたいが」


 帰るまでが遠足。死線をなんとかくぐり抜けた体を押して、署まで戻らねばならない。


 警官は懐から警笛を取り出すと、息を吹き込んだ。響く音に気付いた仲間がじきに集まるだろう。


「っと、忘れてた」


 最大限の功労者?を地面に置いたままでは格好がつかない。

 打刀と共に転がる十手を確認し、鞘を手にとって向かう。


 辻斬り犯の証拠品たる打刀を納刀し、押収。次いで十手を手にとった。


「ありがとよ」


 己の相棒への感謝の念と共に、十手を佩く。路地の壁へ身を預け、警官は座り込んだ。

 路地に切り取られた星空を見上げ、沁み入るように安息を感じながら、時が経つのをゆっくりと待った。


 複数の足音と見知った者たちの声で、警官はようやく本当に終わった事を実感することができた。

 ふと物音が聞こえた方に目をやると、拘束された辻斬り犯がもぞもぞと動いていた。警官としては一安心である。


 殺さず、捕らえ、法の裁きを受けさせる。己の命をかけて完遂したものなのだから、誇ってもいいだろう。

 

 夜通し灯りが絶えない店も多く、まだ闘技都市は眠らない。

 だが、暗闇に沈んでいる路地裏から見上げる星空と大きな満月は、警官にはとても贅沢な物に思えたのだ。

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