レンガ友達

島本 葉

三題噺「天下無双」「ダンス」「布団」

「ねぇ美穂みほ、そういえばこの前ぬー子に会ったのよ」

 少し時期外れのこたつ布団の中で足をもぞもぞとさせながら、麻巳子まみこは二本目のサワー缶をプシュッと開けた。

「え、ぬー子? どこで会ったの?」

 こたつ机の上、スタンドに立て掛けたスマホ画面の中で、美穂と呼ばれたショートカットの女性が少し驚いた顔を見せた。画面の向こうからも、プシュッと缶を開ける音が響く。たぶんというか、九分九厘スーパードライだろうなと麻巳子は予想した。学生の頃から彼女が妥協以外で他のビールを選ぶのを見たことがない。画面越しには見慣れた銀色の缶が映り込んでいて、ほらねと頭の中で考えた。

「京都駅の本屋。ほんと偶然」

 お得用パックのチータラを袋から数本つまみ上げ、指先でひらひらとダンスを踊るように振り回す。そういえばチータラのタラは百パー鱈ではないらしい。タラだけではなくホッケなどを含む魚肉のすり身だそうで、鱈のみを使用してるのは「チーズ鱈」という別商品だと。「チータラはチータラであってチーズ鱈の略称ではないのですよ、貴女方」とぬー子がうんちくを披露していたことを不意に思い出した。

 数本まとめてそのまま踊り食いし、レモンサワーをぐびりと。まあ鱈でもホッケでもどっちも美味しいからそれで問題はないのだ。

「懐かしいなぁ。最後に会ったのって、私の結婚式のときだっけ?」

「うん、たぶんそう」

 美穂の結婚式は確か四年くらい前だなあと相槌をうつ。もうそんなに経つのかと、缶を傾けながら思う。スピーカーからはポリポリとスナック菓子の音も聞こえてくる。いや、あの硬質な音は芋けんぴか。たしか美穂は甘いものはあまり食べないのに、芋けんぴだけは例外だった。美味しいけど。

「ぬー子、今何してるの? たしか東京の会社だったよね」

「なんか最近こっちに戻ってきたらしいよ」

「そうなんだ。もしかして結婚?」

「いや、ちょっと立ち話しただけだから詳しく聞けてないんだけど、そうじゃないっぽい。今度ご飯食べ行こってことになったから、美穂と三人で行きたくて。行けそう?」

「行く、行く」

 美穂の返事は早かった。画面越しに嬉しそうな笑顔が見える。懐かしいなぁと学生時代の話を思いつくままに語り合い、お互いに缶を傾ける。

 麻巳子と美穂とぬー子は大学時代の友達だった。

 卒業してから十数年ほど。結婚して子育てに奔走する美穂のストレス発散を兼ねて、こうやってたまに画面越しにお酒を飲んだりしていた。

 頻度は少ないが、外で食事をすることもある。

 けれど、ぬー子とはうまく時間が合わなくて、連絡がとれていなかった。何度か誘ったことはあったのだけど、そのときは仕事が忙しかったらしく都合がつかなかったのだ。

 就職を機にぬー子が東京に引っ越して距離を感じてしまったからだろうか。

 この数年は少しずつ物理的でない方の距離も開いてしまった気がして、その詰め方が分からなくなっていた。

 まだ忙しくしてるのかな。そんな風に考え出してしまうと声を掛けるのを躊躇してしまって。

 あの頃は何も考えずに、ちょっとした垣根なんてぽんぽんと飛び越えることができていたというのに。

 

     ◆

 

 ぬー子と初めて話をしたのは、大学のカフェだった。

 その日、麻巳子はいつものように家を出て、学内のカフェでコーヒーを飲んでいた。その頃の麻巳子は、水曜に選択している講義が二限目からだったので、早めに通学してコーヒーを飲みながら本を読むのが習慣になっていたのだ。

 そこそこ読書好きだと自負している麻巳子のカバンにはいつも何かしらの本が入っていて、その時も小説を取り出して読んでいたのだった。

「それ、京極夏彦です?」

 掛けられた声に麻巳子が顔を上げると、そこにはTシャツにジーンズというラフな装いの女性が立っていた。それがぬー子だった。

 ブックファーストの紙カバーを掛けたまま読んでいたので簡単に言い当てることはできないはずだけど、その本は確かに京極夏彦だった。

「よくわかったね」

 麻巳子はそう言って、カバーを外して『魍魎の匣もうりょうのはこ』の表紙を見せた。

「いや、そのレンガみたいな分厚さだとひと目でわかりますよ。森博嗣ではその厚みには届きません。それに──」

 そういって、ぬー子はカバンから同じ様にカバーに掛かった本を取り出した。麻巳子の物は単行本。彼女のそれは文庫版だけど、そのレンガのような厚みはもう間違えようがなかった。

 スルスルとカバーを外して見せてくれた表紙は麻巳子と同じく『魍魎の匣』だった。

「私も今日たまたま凶器をカバンに潜ませていまして」

 うわ、なんて偶然だろう。凶器のつもりはないけどね、と笑いかけながら麻巳子は自分の前の席を促した。

「あなたもよくこのカフェで本読んでるよね。あ、わたし楠木麻巳子くすのきまみこです」

「ええ。ちょうど授業の空きなので。私も楠木さんがいつも何読んでるのか気になってました。田所晴花たどころはるかです」

 麻巳子も実は以前から同じ様に読書してる学生がいるなぁと気にはなっていた。カバーを掛けた本を読んでいるのを見かけた時、ふと何を読んでるんだろうと考えてしまうのはよくあることだ。電車の隣の席の人が本を開いていたりすると、つい知ってる本では無かろうかと本文を盗み見てしまったり。

 荷物を置いた晴花ぬー子は飲み物買ってきますと席を離れようとして、ふいに立ち止まった。少し先のテーブル席をじっと見ている。不思議に思って麻巳子がその視線の先をたどると、そこには読書をしている女性が座っていた。実は、彼女もこの時間によく見かける人だった。後にわかったのだけど、みんなこの後に受けていた講義が同じだったのだ。

「ねぇ、田所さんしつこいけどぬー子だよ。彼女が読んでいる本……」

「ええ、間違いないでしょう。あれも凶……いえ、レンガですね」

 ここからでも見て取れるほど、その女性の持っていた本は分厚かった。それこそ、麻巳子たちのものと同じくらいに。

「突撃ぃー」

「え? いやちょっと!」 

 止めるまもなく、晴花ぬー子が拳をぼんやりと振り上げて小走りに彼女の方へと近づいていく。先ほどと同じ様に本の表紙を見せてもらうようなやり取りを経て、引っ張って来られたのが美穂だった。

「スリーカードならずです! 『絡新婦の理じょろうぐものことわり』でした」

 そっちかー。

「空気読めない人ですよね」と遠慮のない晴花ぬー子に、「なんか貶されてるん? 私」と美穂は意外とノリよく返した。

 それが麻巳子たち三人の出会いだった。


     ◆

 

「じゃあまた連絡するよ」

「うん、バイバイ」

 会えるのを楽しみにしつつTV通話をOFFにすると急に部屋の中がしんと静まり返ったように感じた。適当にプレイリストを再生すると、思ったよりも大きな音量でポップスが流れ出し、麻巳子は慌てて音量を絞る。ちょっと懐かしいJポップを聴きながら、麻巳子はぬー子に再会した日のことを思い浮かべた。

 仕事帰りに京都駅の近くの本屋へ立ち寄ったのは特に目当ての本があったわけではなかった。なんとなく新刊でも見ておこうかと、半ば習慣のように。入口脇にディスプレイされた話題の本などを眺めていると、その時「まみちゃんじゃん」と懐かしい声がした。振り返るとぬー子が片手を上げて笑っていた。久しぶりに会ったぬー子だったけれど、髪が伸びたくらいで面影はまったく変わってないと思った。

「ぬー子!?」

「あはは、やっぱその呼び方なんだ」

「いや、ぬー子はぬー子だし」

 数年ぶりに会う友人。懐かしい友達。少し距離を置いてしまったと引け目を感じていた麻巳子だったが、いざ話をしてみると全くの杞憂だった。あの頃のようにするりと言葉が連なるのを心地よく感じた。

 結局その時は少しだけ立ち話をして、今度は美穂も一緒に会おうと約束をしたのだ。

 そういえば、出会った頃は田所さんとか晴花と呼んでいたのに、いつの間にか呼び方はぬー子になっていた。それも最初は「ぬぬ」とか「ぬぬ子」で、さらに言いやすいように「ぬー子」になったのだけど。

 あのとき写真撮ったんじゃなかったかな。

 麻巳子はフォトアプリの写真リストをぐいっと上に勢いよくスクロールする。この数年の思い出を一気に早戻しすると、目当ての写真はすぐに見つかった。

 三人で白浜旅行に行ったときの写真だ。まだ在学中の夏休みで、三人とも眩しいくらいに若々しい。


 ――ちょっと、なによ晴花、その変なTシャツ

 ――うわ、それ着る勇気あるのあんたくらいよ

 ――ふふん、いいでしょう。この前通販で買ったのよー


 写真の中のぬー子は相変わらずTシャツにジーンズとラフな格好をしていた。そして、その黒っぽいTシャツには、胸の真ん中に、割と大きめで縦に文字が書かれていた。






「天下無ヌヌ」






 思い出して吹き出しそうになるのを、室温になってしまったレモンサワーでこくんと飲み込んで落ち着かせた。すると、かわりに胸の奥から懐かしい気持ちと会いたい気持ちがぐっと湧き上がってきて、麻巳子はやっぱり笑ってしまうのだった。

 

 了

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