【KAC20254】10回目
鈴木空論
10回目
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
――ここしばらく残業続きだったし、疲れてんのかな。
目覚まし時計のアラームを止め布団からのっそり身体を起こした栗田栄人は、あくびをしながらぼんやりと考えた。
栄人は近頃、似たような夢ばかりを見るようになっていた。
見知らぬ森の中を、ボロボロのスーツ姿の自分が左足を引きずりながら助けを求めてさまよい歩き、最後は結局助からずに死ぬという正直ろくでもない夢だった。
栄人が自覚しているように最近は何かとトラブルが頻発し本当に仕事が忙しかった。
そして疲労がたまると眠りが浅くなり、夢を見やすくなるらしい。
だからそんな夢を見るのかもしれない。
ただ、その夢はどこかおかしかった。
何がおかしいかというと、一つは起きた後も夢の内容をこうしてはっきりと覚えていたことだった。
そもそも栄人は普段はあまり夢というものを見ないし、見たとしても目覚めた後はその内容をすっかり忘れてしまうタイプだった。
にもかかわらず、この遭難の夢は起きた後もこうしてはっきり覚えている。
森の湿っぽい土や草の匂いも、ひきずる足の痛みも、歩き続けて汗だくになった気持ち悪さも、さらには自身に迫る死への焦燥感も。
まるで実際に体験した出来事だったかのように記憶しているのである。
そしてさらにおかしなことは、夢の結末が毎回微妙に異なっていることだった。
森で遭難して死ぬという結果自体は変わらないのだが、毎回死因が違うのである。
例えば1回目はひたすら森の中を歩き続け、やがて体力の限界が来て倒れ、そのまま動けなくなって死んだ。
ところが2回目は一度目とは別の方向へ向かい、途中で毒蛇に噛まれて死んだ。
そして3回目はさらに別の方向へ歩いたところ切り立った崖にぶつかった。これを登り切れば助かるのではと思い崖を登り始めたが、数メートル登ったところで足を踏み外して落下。頭を強打して死んだ。
9回分全部を説明しても仕方ないので以降は省略するが、どうも夢の中の自分はそれ以前の夢での死因を覚えているようなのだ。
そして、それらの死亡ルートを避けた上で生き残る道を模索しているようだったのである。
本当にわけがわからない。
何故こんな変な夢を見るようになったのか。
「……まあ、気にしても仕方ないか」
多少なりとも気味は悪かったが、栄人はそこまで深刻には考えていなかった。
今の仕事が一段落したらまとまった休みを取ってゆっくりさせてもらおうじゃないか。
疲れが原因ならそれで解決するだろうし。
そんなことを考えながら身支度を済ませると、栄人は家を出ていつも通り会社へ向かったのだった。
※ ※ ※
会社に着いたところ、職場は何やら騒がしいことになっていた。
嫌な予感がしつつも隣の同僚に事情を尋ねると、ただでさえ忙しい状況なのにまたトラブルが発生したらしい。
間もなく栄人は上司に呼ばれ、トラブル解決のために急遽予定を変更し他県にある取引先へ顔を出さなくてはならなくなった。
「まったく次から次へと……」
栄人は会社の車を走らせた。
高速道路を途中で降りたあと、ナビに従いやや急こう配の山道に入った。
ここを抜ければ取引先の会社に間もなく辿り着けるはずだった。
しかし、車の整備が不十分だったのか、それとも栄人が疲れのせいでハンドル操作をミスしたのか。
突然車の制御が効かなくなり、栄人を乗せた車はガードレールを突き破って崖下へ落下した。
※ ※ ※
「うう……」
左足の激痛とともに栄人は意識を取り戻した。
呻き声を上げながら上半身を起こして見回すと、辺りは草木が生い茂る森の中だった
どうやら栄人が今いるのは運転中崖の下に見えていた森らしい。
乗ってきたはずの車は見当たらなかった。
どうやら崖から転がり落ちる途中で投げ出されるか何かして別の場所に落ちたようだ。
つまり栄人は負傷した状態で一人、不案内な森の中に放り出されてしまったという状況らしい。
「参ったな……」
栄人は途方に暮れた。
ただ、ガードレールを突き破った瞬間、栄人ははっきりと死を意識していた。
それがこうしてどうにか生きているのだから、ある意味では運が良かったのだと言えなくもない。
とにかくこうしていても仕方が無いし、助けを呼ぶためにもこの森から出なければ。
栄人はそう考え、痛む左足を庇うようにしながら立ち上がった。
だが、立ち上がった瞬間、栄人は周囲の光景に違和感を覚えた。
そしてその正体に気付いたとき、栄人は目を見張りながら無意識に呟いた。
「え……? いや、まさか、そんなはずは……」
これまでこんな森に入ったことなど一度も無かった。
しかし、栄人は目の前の光景に見覚えがあった。
なにしろもう9回も見ているのだ。見間違えようがない。
栄人の視界に広がっていたのは、夢で見たあの森の中そのものだった。
身体中から脂汗がにじむのを感じた。
まさか自分はまた夢を見ているのだろうか、と栄人は思った。
しかしこの左足の痛みや意識の明確さは紛れもなく現実だった。
それならあの9回も繰り返された夢は予知夢という奴だったのだろうか。
いや違うだろう。予知夢ならどうして毎回結末が異なっていたのか。
栄人は混乱した。
気持ちを落ち着かせるために納得できそうな答えを必死に考えた。
そしてふと、ある考えが頭に浮かんだ。
それは、自分が今日という一日を繰り返しているのでは、というものだった。
朝起きて、仕事へ行き、車で取引先へ向かい、こうして遭難して、死んだらまた朝からやり直す。
そして死んだときに取った行動は夢として記憶に残されていたのだ。
ひょっとしたら、今回の自分も死んだらただの夢として無かったことになり、新たな自分がまた今朝目覚めることになるのかもしれない。
それは突飛もいいところな考えで、何故そんなことになっているのかもわからないし、事実かどうかを確かめる術もなかった。
なにより、その推測が当たっていようがいまいが、栄人には選択肢は存在しなかった。
栄人は森の中をふらふらと歩きだした。
10回目になるのかもしれない挑戦で、今度こそこの森から生還するために。
【KAC20254】10回目 鈴木空論 @sample_kaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます