サンドイッチとブラックコーヒー

津多 時ロウ

サンドイッチとブラックコーヒー

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 見慣れた夢を見た、という記憶を残して目を開く。シミの付いた天井と蛍光灯とヒモが見えた。これもいつもの見慣れた景色だ。

 9回目とは思ったものの、実は20回目かも知れないし、もしかしたら5回目かも知れない。似たような夢を見たからと言って、回数などいちいち数えていないからだ。何よりも夢などと言うものは曖昧である。本当に見たかどうかも疑わしい。その証拠に、僕の頭はつい先ほど見たはずの夢の内容をすっかりと思い出せないでいる。唯一覚えているのは「トリの降臨」という言葉だけだ。そもそもトリの降臨にこの字をあてていいのかも分からない。夢の内容を思い出せないのだから。

 などと布団の中で曖昧模糊な夢の話に現を抜かしている場合ではない。

 もう、朝だ。人間が目覚める時間だ。お天道様に顔を向ける時間だ。少なくとも僕のように日中労働に精を出す人間にとっては。

 体に乗っかっていた布団をはねのけて上体を起こし、両腕を上げて背筋せすじを伸ばす。

 その次はごろりと横に転がり、四つん這いになる。そうして、ひんやりとした畳の感触を味わってから、立ち上がった。

 立ち上がった後、何をするか。まずはじゃぶじゃぶと顔を洗う。その次にコップに半分程度の水を入れて少しずつ飲んだ。実家なら洗面所と台所で場所を分ける動作だが、アパートのこの一室には僕しか住んでいないのだから、すべて台所で済ませてしまって問題ない。

 そこまで終えたら、今度はパジャマにしているトレーナーから、ご近所移動用のパーカーとズボンに着替えるのである。冬場であれば厚手の装備が必要だったが、ここ最近は日に日に暖かくなっていて、気楽に外に出かけられるようになったのはありがたいことだ。

 鏡を見て手櫛で髪を少しどうにかし、スニーカーを履いて外に出る。

 玄関のドアに鍵をかけて指差し確認。

 そこまで終えて、僕の朝はようやく始まるのだろう。そこまでやらなければ僕はまだ夢の中にいたかもしれない。

 朝の爽やかな空気で肺を膨らませて、僕は自転車をこぎだした。片道三分程度の近所のパン屋さんに行くためだ。少し霧が残っているが、スピードは出さないから問題ない。

 僕は休みの日になると、こうして朝早くから開いている近所のパン屋で朝食を買っている。いつからこの習慣を始めたのかは定かではない。そこでたまごサンドとハムレタスサンドを買って、また自転車をこいでアパートに戻る。

「おはようございます」

「おはよう」

「やあ、おはよう」

 すれ違うご近所さんは大体いつも同じ顔で、挨拶を交わす仲になった。生活は地味だが、このままあのアパートで生きていくのも悪くないと思える。

 そうしていつも通りに部屋に戻ってカーテンを開けた。

 乱反射する朝日を浴びながら、インスタントコーヒーをブラックで淹れ、サンドイッチをよく噛んで食べた。

 台所で歯を磨き、そう言えば最近は体重をはかっていなかったなと、歯磨き中にふと気付いた。毎日はかっているわけではないのだが、気付いたときには体重計に乗るようにはしている。その結果でなにをどうこうするというものでもないのだが、急激に増えていたら、何かしなければならないと思ってはいる。

 窓を背に、昔ながらのアナログの体重計に乗った。カシャン、と音が鳴って針が動く。体重は、少し増えたくらいだろうか。

 体重計に乗ったまま、ふと視線を上げると自分の影が目に入ってくる。

 見慣れている少し膨張した体型の周りを、霧のせいで乱反射した光の環が囲んでいた。

「小太りの光輪……」

 夢の内容は、まだ思い出せない。



『サンドイッチとブラックコーヒー』 ― 完 ―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サンドイッチとブラックコーヒー 津多 時ロウ @tsuda_jiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ