黒い妖精の話

透峰 零

黒い妖精と私

 幼い頃、私には妖精が見えていた。

 初めて見たのは父が死んだ時だ。たぶん、三歳ごろだったと思う。

 ひどく叱られた直後で、私は不貞腐れながら父に手を引かれていた。横断歩道で信号待ちをしながら、私は心の中で呟く。


 お父さんなんて嫌い。いなくなっちゃえばいいのに。


 その時、どこからともなく含み笑いが聞こえてきた。クスクス、という女の子の声。

 声の正体を探して顔を巡らせた私の隣で、父の身体がかき消えた。風圧。轟音。

 信号を無視した大型トラックが、父を跳ね飛ばしたのだ。

 呆然とする視界の端で、黒いものがひらめいた。

 見えたのは一瞬だが、脳に直接映像が流し込まれるように、姿形の仔細が浮かび上がる。

 黒く透き通った羽に黒い髪、黒い眼窩を持った小さな人間だった。その姿を「妖精」と呼ぶのだと知ったのは、ずいぶんと後になってからだ。


 ――こうして、父は私の前からいなくなった。


 次に見えたのは、中学二年生の冬だ。

 憧れの先輩に告白して振られた帰り道。彼と一緒に歩く親友を見た時だった。

 彼と彼女はとても幸せそうで、しっかりと絡ませ合った手は、私を絶望の淵に叩き落とすには十分過ぎた。


 二人とも大嫌い。死んじゃえばいいのに。


 次の日、二人はそれぞれの自室で首を吊って死んだ。

 沈鬱な顔で告げる教師の声に重なったのは、クスクスという笑い声。視界の端で、再び黒い羽が舞った。


 この時私は確信した。

 黒い妖精は、私の想いに応えて嫌な人間を消してくれるのだ、と。


 それから私は色んな人を消してきた。


 スカート丈を注意してきた教師、威張り散らすバイトリーダー、浮気した彼氏。エトセトラ、エトセトラ。



 けれど、いつの頃からか妖精は見えなくなっていた。声も聞こえない。

 そのことに気がついたのは、上司がいつまでたっても消えないからだ。

 難航した就活の末に私が合格できたのは、パワハラとセクハラが常態化したひどいブラック企業で、上司も例外ではなかった。

 毎日毎日消えろと願っているのに、妖精は現れなかった。




「……ああ、死にたい」


 また明日も仕事に行かねばならない。

 終電で帰宅した私は疲れ果て、鏡に映る自分に向かって何気なく呟いた。


 ――クスクス


 背後から、含み笑いが聞こえた。


 fin.

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