20世紀の無名の詩人がくれた力
健野屋文乃(たけのやふみの)
炎の妖精
『夜明け前 赤い夢をね 見ていたの 真っ赤に燃える 情熱の夢をね』
家宝の万年筆で、ノートにそう記すと、透明な瓶の中に炎の妖精が現れた。
しかし炎の妖精が、あまり瓶の中にいると、自らの炎で酸欠で死んでしまう。
炎の妖精は、急いで瓶の中から這い出てきた。
「ぼくを瓶の中に召喚するってどうかと思うよ!」
「別に召喚した訳ではない。君が勝手に出て来たんだ」
「出て来たって!幽霊みたいに言わないでくれる!」
勝手に出て来たのだけど、わたしはとりあえず、アーモンドチョコレートを、炎の妖精に渡した。
炎の妖精は、和歌の書かれてノートを見ると、
「要するに君は情熱を失くしたと?」
「まあ、そうだね」
実際、情熱が失われたからこそ、あんな和歌を書いてみた。
家宝の万年筆で書けば想念の世界に住む、異界の生き物が反応するとは思ったんだ。
この家宝の万年筆は、20世紀の詩人の遺品だ。
その詩人は世に出る事無く、若くして死んだ。
簡単に人が死ぬ時代ったんだ。
彼は世間の扉を開ける事無く、異界の扉を開ける術を手に入れてしまったらしい。
机の上には、彼の詩集が置かれていた。
この詩集と彼が命を削って書き続けた万年筆が、異界の扉の鍵となるのだ。
「仕方ないな」
「ありがと」
「君みたいなダメ人間は、あの時代にはいなかったよ」
「そうだろうね」
「それで、何が望みだい?」
「わたしの中の情熱を阻害する要素の削除を」
「やれやれだよ。あの時代の人間たちは、そのくらい気にもしなかった要素だよ」
「今は繊細で弱々しい時代なんだよ」
「はあ、ほんとやれやれだよ。じゃあ行くよ、目を閉じて」
「うん」
どれだけ目を閉じていただろうか?
それを意識出来ない世界に迷い込んだかの様な感触がした。
多分、時間のない世界なのかも知れない。
「さあやれやれくん、起きて」
炎の妖精の声で、わたしは目を開けた。
わたしの中で何かが滅び、新しい道が開けて行く気がした。
「じゃあね、ぼくはもう帰るよ。君はちゃんと生きて行くんだよ」
そう炎の妖精は言うと、瓶の中に入って姿を消した。
お蔭でわたしは心の中に情熱が灯りだした。
「さて」
わたしは呟くと、ネット上に彼の詩集の文字を書きこんだ。
世に出ることがなかった詩集の文字を。
このネット社会にその詩の文字が残っている限り、異界の扉を開ける力は、この万年筆と詩集に宿り続ける。
その事に最近気づいた。
完
20世紀の無名の詩人がくれた力 健野屋文乃(たけのやふみの) @ituki-siso
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