ラジオ妖精奇譚

いいの すけこ

歌声は波に乗って

「娘は『ラジオの妖精』に会いに行く、と友人たちに話していたらしいのですが」

 客の男は重々しい口調で言った。上等な背広の三つ揃えを着込んでいて、堂々とした振る舞いの紳士である。

「ラジオの妖精、ですか」

 さてどう解釈したものか。

 万里ばんりは思案しながら、男の隣に座る夫人を盗み見た。

 夫人は目元に涙を滲ませながら、手巾ハンケチで口元をおさえている。

 年頃の娘が五日も帰って来ないとなれば、夫人の態度のほうがそれらしい。いや、立派に見えて父親だって、その心の内は分からないけれど。

「何かの例えですかね」

「それを推理してもらいたく、足を運んだんだが」

 推理って。

 探偵小説じゃあるまいに。


(ただの洋書屋の主人に、何を求めているのやら)

 万里は一介の本屋に過ぎない。

 それがちょっとに詳しいからと相談事を打ち明けられ、ちょっと助けてやり。また厄介事を持ち込まれ、また解決の道筋をたててやり。

 いつの間にやら、それを万里の生業だと勘違いした客が訪ねてくるようになってしまった。

「お嬢さんは、ラジオをよく聴いていたのですか?」

 この質問には、夫人が答えた。

「そうですね、英語講座を少しと……。でもそんな難しいものよりは、クラシックや歌謡番組を好んで聴いておりましたわ」

 勉学に励み、豊かな教養を身につけんとする学生には相応しい番組だ。音楽番組は家族の団欒で聴いても楽しめるだろう。なんら不審な点はなかった。

「……清子きよこは本当に、妖精に連れ去られてしまったのではないかしら」

 鼻をすすりながら夫人が口にした言葉に、男は顔を顰めた。

「それは……」


「どうぞ」

 会話を遮って、茶器が運ばれてくる。

 歳の頃は十二、三。灰色の洋服ワンピースを着た娘が、銀の盆を抱えてやってきた。愛想笑いのひとつもせず、卓に黙々と茶器を並べる。

「それで、なにかお心当たりがおありですか、奥様」

 娘は色素の薄い髪と瞳をしているし、肌もサクラビスクのように白いものだから目を引いた。ただ現れるだけで、場の空気をさらってしまう。

 万里は運ばれてきた茶に口をつける前に、中断してしまった聞き取りを再開した。

「……心当たりとは違いますが。ラジオの中には、本当に妖精がいるのでしょう?」

 場にいた全員の視線が、茶棚の上に集まる。

 山のように上部が曲線を描いた砲弾ミゼット型。正面は教会の窓を思わせるような枠で飾られていて、その窓がスピーカーだ。飴色に浮かぶ木目に、並ぶダイアル。

 中身は――真空管。


「ラジオの中身は電気部品ですね」

 生活感が溢れすぎている茶棚を見られる恥ずかしさがあって、万里は話を戻した。

 商談の間と言っても店に繋がる母屋の居間に上げているのだから、所帯染みているのは仕方あるまい。

 店には所狭しと本を積み上げているし、そもそもこんなに不特定多数の人間を接客するつもりはなかった。

「けれどもわたくしが幼い頃は、そう言う者がおりましたわ。蓄音機やラジオの中には、妖精がいると」

「やめてくれ、そんな馬鹿げたことを言うのは」

 夫人の言うことを窘めて、男は苦笑いを浮かべながら続ける。

「いやいや。幼子や、新しい技術に慣れぬ古い人間が口にする戯言ですよ。蓄音機やラジオの仕組みが理解出来ぬゆえ、あの箱の中には小鬼や小人がいて、喋ったり歌ったりするのだと妄想するのです」


 ――蓄音機やらラジオやらの仕組みなら、俺だって分からないが。

 とは思ったが、万里は黙っていた。

 ラジオの真空管は、妖精が居なくとも電波と音を飛ばすのは確かだし。

「だけど私、見ましたわ」

 夫の苦言も跳ね除けて、夫人は前のめりになって言った。

「子どもの頃、実家の蔵にあった、使わなくなった蓄音機を落としてしまったんです。そうしたら喇叭ラッパの穴から、光る小さな人が出てきて飛んで行ったのを、確かに見ました」

 白い手巾を握りしめて、真剣そのものの顔をして夫人は、言い募った。

「鼠や羽虫などではありません。あれは、妖精です」

 あまりにも夫人が熱心だからか、男はもはや止めなかった。

 万里は小さく息をついて、灰の服の娘が運んできた湯のみに手を伸ばした。蓋を傾けて、また息をひとつ。

絹芽きぬめ、お茶を下げてくれないか。古い茶葉を処分していなかったんだ」

 万里が言うと、娘――絹芽は白磁の額に皺を寄せた。たいそう不満気な顔をしていたが、万里も言いたいことは色々あったので相子である。

「分かりました。ともかくラジオの妖精とやらを、調べてみましょう」



 ♪ ♪ ♪



 果たして妖精に会いに行くと残して消えた娘は、その後あっさりと見つかったのである。

 いや、あっさりで済んだのは、万里の元に依頼あってこそだ。

 行方不明から六日、万里が相談を受けた翌日という早さだった。

 華やかなりし都会の中でも、ひっそりとした路地に建つ小さな洋風家屋に尋ね人はいた。

「私、贔屓にしている歌手の方にお会いしたかっただけなのよ」

 いなくなった朝、家を出た時と変わらず制服を着たままの姿で清子嬢は言った。

 隣県とはいえ、子どもでも電車賃さえ払えれば難なく訪ねることができる町だった。居場所が学校からも、自宅からもそう離れていなくて助かったと万里は思う。

 どんなに遠くとも場所は感知できただろう。けれど近ければ近いほど、探しに来る手間と日数が少なくて済むのだから。

 共に連れた絹芽は少し出歩いただけで、もうやる気のない顔をしているし。


「理由がどうあれ、若い娘が無断で六日も家を空ければ家出と呼ばれるんですよ」

「それは親御さんに申し訳ないことをしたわ。私がしまったから」

 艶やかな声がした。

 清子の背後で、美しい女が微笑んでいる。

 白い肌に黒髪が映えて、赤い唇が蠱惑的な美女。

「実に人騒がせだ。だということは理解するが」

波子なみこ様はちっとも悪くありません。私が波子様の歌声に魅せられて、勝手に押しかけたんですもの」

 波子という女をかばうようにしながら、清子は一歩前に踏み出す。

「ラジオから波子様の歌声が聴こえてきた時、清子はいっぺんに心を掴まれてしまったのです」

 清子はその奥にあるものを守るような仕草で、ぎゅっと胸元を掴んだ。

「私、どうしても波子様にお会いしたくて。迷惑を承知で放送局に赴いて、出待ちをしたんです。そうしたら本当に、波子様にお会いできて」

 話だけ聞けば、ラジオ出演した歌手のファンになり、放送局まで押しかけた家出娘――の話なのだが。


「悪戯は、ほどほどによ」

 灰色のスカートを揺らして、絹芽も万里より前へと歩み出る。

「ほどほどなら、だいたい許してもらえるわ」

「悪戯なんて、しに来たわけじゃ」

 清子は自分より幼い子どもに窘められたと思ったか、弁明しようとする。

 けれど絹芽が見ていたのは、清子ではなく。

「あらまあ、お仲間?」

 絹芽の視線の先で、波子が笑った。

「悪戯のつもりなんてなかったのよ。たまたま、私の歌声がラジオの電波にのってしまっただけなの。清子ちゃんには、少ぅし強く響いてしまったみたいね」

「歌手のふりをしているわけではないのか」

「違くてよ。昔は蓄音機の中で歌ったりもしたけれど……」

 突如、女の輪郭が溶けた。

 波子はやらわかな光を放ったと思うと、手のひらに乗るほどの小さな姿になって浮かんだ。

 蓄音機の中やラジオに入り込めるくらいの大きさで。


「ラジオというものは便利ね。風の中で歌っても、遠くまで声を運んでくれる」

 それができるのは、お前が妖精だからだ――とは思ったが、万里は言わずにおいた。

 電波に音をのせる仕組みも、自分には分からないのだから。妖精の歌声が放送局の設備も介さず、少女に聴こえた神秘も解明はできまい。

「私のファンになってくれてありがとう、清子ちゃん。私と過ごすあいだに、何日も経っていたなんてわからなかったの。ごめんなさいね」

 妖精は小さな小さな唇で、ファンの少女の額に口付けた。

 美しい歌声を響かせながら、妖精は風と共に消え去る。

 あとには古い空き家と、壊れた蓄音機が残るのみだった。



 ♪ ♪ ♪



 清子を無事に両親の元まで送り届けた、数日後のこと。

「絹芽、お前はどうしてそう、なんにでも牛乳を出すんだ」

 清子の両親から謝礼と共ににいただいた、高級羊羹。貴重な菓子をお茶請けに、午後のひとときを過ごそうとしていた万里は、湯のみの中を覗いて頭を抱えた。

「ミルクだいすき」

「お前の好物は別にいいから。羊羹と牛乳が合うか!」

「おいしいと思うよ」

 絹芽はいそいそと、箱から羊羹を取り出す。

「今はいい。今はまだいいが、なあ。客にまで牛乳を出すな!」

「お客さんも、うれしいはず」

 その自信はどこから来るのやら。独特の感性は、仕方ないとも思うけど。

「……俺はほどほどの悪戯も許さないからな」

「妖精の存在、全否定」

「お前は家事妖精だろうが」

 灰色のワンピースから前掛けエプロンを外して、絹芽は茶棚に向かった。

 ラジオの電源を入れて、ダイアルを回して。

 美しい歌声が聴こえてきて、絹芽は満足気に笑った。

 不可思議な存在に好かれる洋書屋主人と、その性質から少し外れた変わり者の妖精、絹女給シルキー

 時々、奇妙な相談事を持ち込まれながらも。種の違う二人は仲良く、時に言い合いながら、共に暮らしているのだった。







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