最終章

今、礼命会ダムドール支部、つまり、かつてのパンクファッション専門店『ダムドール』の建物は、空き店舗になっている。青年部が廃止になったわけではない。丘の上の教会本部に統合されたのだ。教団代表は青沢礼命から水越賀矢に引き継がれた。信者の構成は、依然として、富裕層に偏在していた。金持ちの高齢信者の集まりに、金持ちの若者信者が合流したのだから当然だった。二代目代表水越賀矢は変革の必要を感じた。あらゆる階層、あらゆる年齢層の信者獲得が、新代表としての自らの責務だと思った。


ペンダントの件も無事解決した。先生、水越賀矢、牧多、僕、それに、若者信者を代表して石本、森野香々美が、高齢者の家々を謝罪と返金に回った。それが終わると、すぐに先生が瀬木に電話をした。次の日のFT新聞の朝刊の地方欄に記事が掲載された。記事には、「本紙に礼命会代表青沢礼命氏より連絡があった。青沢氏によると、新設した青年部の修行の一環として信者がペンダントを売り歩いた。しかし、配慮が足りなかった。すぐに中止し、青沢氏と礼命会信者が高齢者宅を一軒ずつ訪問して謝罪と返金を済ませた」と書かれていた。


教会の書斎を出て家に帰った。父も母も何事もなかったかのように僕を迎え入れた。夕食の時、僕は、再び大学に行くと決めたことを両親に話した。二人とも何も言わずに頷いただけだった。でも、その瞬間、父と母の表情が和らいだのを僕は見逃さなかった。そして、これで良かったのだと安堵した。

夜、二階の自分の部屋にいると、森野香々美から電話があった。僕は、大学に再び行くと決めたことを彼女に話した。彼女は喜んでくれた。次に、彼女に礼命会のことを尋ねた。無事に解決したとはいえ、あれだけの騒動に巻き込まれたのだ。森野香々美を始め、青年部の信者は礼命会を脱会するのではないかという気がしていた。けれど、みんな教団に残った。彼女にそのことを聞くと、こう言った。

「沢山の若者の中から、私たち二十人が、神様に選ばれたのって驚くべきことだと思う。でも、選ばれた理由は何だろう? 私たちが、世界で最も生きにくさを感じているからだったら困る。賀矢先生に治してもらわなければならない。それと、理由が何であれ、神様に選んでもらったことは光栄だと思うから、このまま礼命会に残ろう。みんなで話し合ってそう決めた」

「賀矢先生のことは恨んでいない?」

「あの人って、何故だか分からないけど憎めない。だから、まあいいかと思って」

「そう思えるなら、大丈夫だ。賀矢先生も、君たちのことが好きだ。牧多のことは言うまでもない。僕に対して一番関心が低い。だから、君たちが羨ましいよ」

彼女は笑った。

森野香々美は普段からよく通る声なので、電話の向こうのはずが、僕の隣で笑っているように思えた。電話を切った後も、彼女が傍にいるような気がした。僕は体の芯が熱くなった。急いで部屋の窓を開け、夜気にふれた。彼女への思いが、急速に変化していることに戸惑いを覚えた。夜空を眺めた。月も雲もなかった。散りばめられたような星だけが静かに瞬いていた。


先生は、もういない。先生は、今、遠い街の精神科の病院で医師として働いている。自死予防の研究に力を入れている病院だった。先生が医師の採用について問い合わせをすると、大学病院時代、自死の研究に取り組んでいた実績が評価され、すぐに病院に来て欲しいと言われた。難しい問題ということもあり、医療スタッフの人員不足に悩まされていた。先生はすぐ病院に向かった。


先生は教団を去る際に、僕にこんな話をしてくれた。

「生きにくさと違和感は苦しいと思う。でも、杉原君が生きにくさと違和感を覚えるのは、君が、それだけ生きることを一生懸命に考えているからなんだ。適当に流してしまえば楽なことを君は流さない。じっと考える。深く考える。だからこそ、一つ一つのことが、ゴツゴツと君の心にぶつかるんだ。それが、君の生きにくさと違和感の正体だ。辛いけれど、悪いことじゃない。今は苦しくても、将来、きっと君の役に立つことだ。だから、無理に変えようとしなくていい。今のままでいいんだ」

僕は、先生の言葉を信じて、再び大学へ行くことを決意したのだった。


今、僕は、経済学舎の入り口にあるベンチに座っている。四月の新年度を前にして、先ほど、学生課に行ってきた。再び大学へ行く決心をした僕にとって、重大な問題があった。僕は、まだ四年で大学を卒業できるかということだった。そのことについて、学生課の窓口で相談してきた。学生課課長からの直々のアドバイスだった。課長は老紳士だった。「結論から言えば、四年で卒業できる可能性は、まだ十分にあります。但し、そのためにも、とにかく大学に来るように。講義がない日でも、図書館や食堂を利用するようにして、学内にいる時間を増やすことです。大学にあまりにも来ないため、自分が大学生であることを忘れてしまう学生がいます。また、そういう学生の中には、アルバイトに励みすぎて、自分をアルバイト先の従業員だと錯覚する人がいます。これらの現象を『大学生の忘却』と、我々、学生課の職員は呼んでいます」

学生課課長は、そこまで言うとにっこり笑った。

僕は、明らかに前者の部類だ。努めて大学の敷地内に身を置こうと思った。


春休みも終わりが近づいて、学生の数が増えている。頻繁に学生が学舎に出入りしている。新たな始まりを感じさせる光景だった。そして、四月から僕も彼らとともに講義を受けるのだと思うと少し緊張した。

牧多が、彼の兄の中華料理店で事務職として正式に働き始めた。将来的に、中華総菜専門店として規模を大きくしていきたい。そのために、事務職として一緒にやって欲しいと、彼の兄から頼まれたのだ。喜ばしいことだった。ただ、僕は、少し寂しく感じた。彼が正式に事務職に就き、僕が大学に戻ることは、お互いに違う道を歩み始めることだからだった。


僕は、大学に戻ったら、いずれ礼命会は辞めるつもりでいる。

僕が、この八カ月で分かったことは、僕は、体質的に宗教を必要としない人間だということだった。僕は、神を尊ぶ気持ちはあるけれど、実際に、神に祈りを捧げることはしない人間だと分かった。だから、礼命会の会員である理由がないのだ。それで、辞めるわけだけど、僕は、この八カ月にあった出来事を、決して、忘れない。先生のこと、牧多のこと、水越賀矢のこと、そして、青年部の信者のこと。他者に無関心な僕が、これほど人に関心を持って接したことは生まれて初めてだった。そして、もしかしたら、もう二度とないかもしれない。だからこそ、僕は、八カ月の間にあった出来事を忘れないため、この長いダイアリーを書いた。僕が、礼命会を通じて出会った人たちとの記録、それが、『僕の宗教ダイアリー』だ。

僕は、これからも、人生の灯として、また、人生の羅針盤として、このダイアリーを読み返すつもりだ。人生で一番大事なことを忘れそうになった時、僕は、必ず、このダイアリーを読み返す。そして、生きにくい人生を、それでも、僕なりの優しさを忘れずに生きていきたい。


最後に、宗教を必要としない僕が、神を持ち出すのも変だけど、礼命会を通じて出会った人たち、そして、全ての人たちに、神のご加護のあらんことを祈り、このダイアリーを終わりにしようと思う。

心からの謝意を込めて。

さようなら。



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双頭の神 Two-headed god (改訂版) 三上芳紀(みかみよしき) @packman12

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