• 現代ドラマ

トルストイと司馬遼太郎

『世に棲む日々』を読んで、私は、司馬遼太郎という人の作品世界を初めて知りました。以降、彼の作品を読むようになりました。
『坂の上の雲』は、以前は、司馬遼太郎の代表作でしたが、いつ頃からか、代表作であると同時に問題作になったようです。理由は、生前、司馬自身が危惧したように「ミリタリズムを刺激する」ためだと思います。

私が、この作品を読んだ時に思ったことは、彼が、トルストイの『戦争と平和』を模範とした。しかし、作家としての資質の違いが、結果を正反対のものにしたのではないか? ということです。
トルストイは、『戦争と平和』で、非英雄史観と反戦(非戦)を訴えました。同時に、ナポレオン侵攻を背景に、当時のロシア国民、ロシアの庶民を描きました。

それに倣って、司馬遼太郎は、『坂の上の雲』において、日露戦争を通じて、当時の、日本と日本国民を描くはずでした。
ここで、トルストイとは違う司馬の作家としての資質が、予定とは違う方向に作品を向かわせました。彼は、戦国時代、幕末期の英雄を描くことで国民的人気を得た「英雄史観」の作家です。作品を書き始めて早い段階で、彼自身も、明治期の普通の日本国民、つまり、庶民を描くことが困難であることに気づいたはずです。普通の日本国民の代表的登場人物が、正岡子規です。知識人である正岡子規を普通の日本国民(庶民)と定義することはできませんが、英雄(司馬の場合、傑出した武人)でないことから、普通の日本国民の代表として描きました。しかし、物語のウエイトが、日露戦争に向かうにつれ、司馬は、正岡子規の存在を持て余すようになります。結局、正岡子規が病没したのを機に、物語は、日露戦争という彼の得意な「軍記物語」に落ち着いてしまいました。以降、作品中、日本国民(庶民)を描くことは、ほぼ無くなりました。

私は、「ミリタリズムを刺激する」という司馬遼太郎の言葉よりも、この言葉が何故、生まれることになったのか。彼の創作上の秘密に強い関心を覚えます。司馬遼太郎という人の驚異的な執筆量のお陰で、まだ読んでいない作品が多くあります。これからも、読み続けていこうと思います。

この考察は、何の参考資料も読まず、私の感覚だけで書きました。そのため、全く見当違いであるかもしれませんが、何卒ご了承ください。
それでは失礼します。

他人に対する悪意は本人を不幸にし、相手の人々の生活を毒する。反対に人々に対する善意は、車輪に差された油のように、その人の生活や相手の生活を軽やかな快いものとする。
レフ・トルストイ

2025.11.16

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