最終章 立派な花嫁

 ここは有名な温泉地、湯滝村。

 この村の温泉は質が良く、万病に効果があるとされている。更に食べ物も美味しいため、全国から観光客が集まることで有名だ。

 そんな温泉地にある老舗旅館が、椿屋である。

 椿屋には見惚れる程美しい青年、凪がいることでも有名だが、大勢の神々がいることでも評判となっていた。そして凪は、湯の神である湯玄が愛してやまない花嫁なのだ。 

 湯滝村にある湯花神社の源泉は、いつでも豊富な湯が沸き出て、近くにある滝からは囂々と音をたてながら温泉が流れ落ちる。村の真ん中には温泉が流れ、観光客は足を止めて橋の上からその光景を眺めていた。

 雪の降る季節の湯滝村も美しかったが、季節は春を迎え、今は桜で満開だ。色とりどりの花が咲き乱れ、温泉地を美しく飾っている。

 椿屋の裏にある広い庭には南瓜やえんどう豆がたわわに実をつけていた。黄色くて可愛らしい菜の花が咲き綻ぶ姿に、心の凝りがスッと消えていく思いがする。田んぼにはたくさんの日差しを受け、新緑をキラキラと輝かせる稲が育ち、水面が風に揺れていた。

 どうやら、今年は豊作のようだ。

 


 大きな暖簾が春風に揺れる椿屋を覗き込むと、元気な少年の声が玄関に響き渡った。

「佐之助様! この作物と米俵を福寿村に運べばいいの?」

「あぁ! でも重たいから気をつけてくださいね!」

「大丈夫ですよ、わ! おっと……!」

「虎徹、大丈夫ですかい!?」

 佐之助が慌てて虎徹に駆け寄ろうとすると、「危ない危ない」と義盛が虎徹の体をひょいっと持ち上げて肩車をしてくれる。それが嬉しいらしく、虎徹がキャッキャッと喜んでいた。

「佐之助、この酒もついでに福寿村に運んで行こう」

「おやおや、これは美味そうな酒ですね。義盛の新作の酒ですか?」

「まぁな」

 嬉しそうに目を細める佐之助に向かい、義盛が口角を吊り上げ笑う。そんな賑やかな光景を楽しそうに見ていた泰富が、皆に向かい声をかけた。

「じゃあ、福寿村に向かいましょうかね。お弁当もたくさん持ちましたよ」

「本当ですか? 泰富様」

「はい。虎徹と佐之助が大好きな稲荷寿司もたくさん作りましたからね」

「やったー!」

 そんな泰富の言葉を聞いた虎徹と佐之助の顔が、パッと明るくなる。

「神様方、大工たちは既に福寿村に向かっているようです。我々も向かいましょうか?」

「はい」

 凪の父親が、大きな荷車を玄関先に移動させながら笑う。

 まるで、どこかへ旅に出掛けるかのような賑やかな光景に、凪は目を細めた。これから、皆で福寿村に向かい、湯福神社や家屋の修理をするらしい。早朝から、「あれを持っていかなくては」「いや、これも持っていこう」と大騒ぎだ。

 そんな風に騒いでいるのは、なにも椿屋にいる神々や凪の家族だけではない。湯滝村に住む村人たち総出のお祭り騒ぎなのである。皆が、なんとか福寿村を復興させたいと一致団結したのだった。



 あの日、凪は二つに割れたうちの一つの湯石を、湯庵に手渡した。

 湯石を差し出す凪を見て、湯庵は綺麗な瞳をユラユラと揺らす。

「……本当にいいのかい? 僕は君に酷いことをしようとしただけではなく、湯玄にあんなにも深い傷を負わせてしまった」

「構わないよ。この湯石を湯庵様にあげる。どうか、この湯石を福寿村に持ち帰って、湯福神社の源泉を復活させてください……」

「凪……かたじけない……」

 震える手で凪から湯石を受け取った湯庵は、最後の神力を振り絞って湯福神社の源泉を復活させたのだった。

 復活した源泉からはとめどなく湯が溢れ出し、いつの間にか湯畑へと姿を変える。それは、在りし日の福寿村の風景だった。後日その光景を見た凪は、胸が熱くなり自然と涙が溢れ出す。

 湯福神社の源泉が復活した噂を聞きつけたらしく、福寿村に住んでいた人々が殺到した。とめどなく温泉が湧き上げる源泉を見て、村人たちは手を叩きながら歓喜の涙を流す。

 そんな福寿村には、少しずつ村人たちも戻ってきており、復興の兆しを見せている。今は湯滝村と福寿村の人々が力を合わせ、村の再建を目指しているのだ。

 更に、神々の力を借りて、椿屋の別館が福寿村に建築される計画もある。そんな嬉しい知らせの連続に、凪の心は踊った。



 こんな幸せな時間がやってくるなんて、凪は想像もしていなかった。それもこれも、湯玄との出会いが全ての始まりだった気がする。

「ほら、湯玄様。お客様に朝食をお出しする時間だよ。早く起きて」

「んー、もう少しだけ寝かせてくれ」

「駄目だよ。最近いつも寝坊しているじゃないか? 早く布団から出て! みんなもう福寿村に向かう準備をしてるとこだよ」

 皆が一生懸命働いている時間にも関わらず、未だ布団に包まっている湯玄の体を揺すって起こす。湯玄は昨夜遅くまで、湯花神社と湯福神社の様子を見に行っていたようで、疲れているのはわかっているのだが……。

 もう朝日は高い所まで昇っている。本当に寝坊助だなぁ……と湯玄の寝顔を見て愛しさが込み上げてきてしまった。

「わッ!」

 凪が湯玄に見とれていると、突然腕を引かれ布団の中に引き込まれてしまう。文句を言おうとしたが、湯玄に唇を奪われてしまい、それは叶わなかった。体格のいい湯玄に、凪は簡単に動きを封じられてしまう。

 湯玄に力で敵うはずなんてない……諦めた凪は、素直に湯玄の口付けを受け止めた。

「ん、んッ、はぁ……」

「ふふっ。凪よ、今日はいやに色っぽいではないか? 私を誘っているのか?」

「そんなわけないだろう⁉ みんなもう福寿村に出掛けようとしているんだから、いい加減湯玄様も起きろよな!」

 湯玄に向かい拳を振り上げたが、簡単にかわされてしまう。

「其方は本当に可愛らしい」

 湯玄が口の端を吊り上げて笑った。



「それより、凪はなぜ湯庵を椿屋に連れて帰ったんだ? あんな奴、放っておけばよかったものを……」

「あぁ。だって湯庵様も大怪我をしてたから。きっと義盛様のお酒を飲めば、傷が治るだろうと思ったんだ」

「だが、あいつは私の凪に酷いことしようとしたのだ。許せるわけがないだろう?」

 不満そうに顔を顰める湯玄の髪を、優しく梳いてやる。湯玄は本気で湯庵のことを憎んでいるわけではない。凪を傷つけたことを怒っているだけなのだ。

「湯玄様、湯庵様は決して悪い神様じゃない。ただ、福寿村を復興したかっただけなんだよ。その思いが痛いくらいわかるんだ。俺も、ずっと湯滝村が、また昔のように賑わいますようにって祈って生きてきたから」

「……そうか。其方がそう言うならそれでいい。これ以上は何も言うことはない」

 拗ねた子供のように鼻を鳴らす湯玄は、とても可愛らしい。凪が湯玄の頬を優しく撫でようとした時、下半身のほうに違和感を覚えて凪は体を強張らせた。

「しかし、其方が他の男の話をするのはやはり面白くない」

「ちょ、ちょっと、湯玄様! どこ触ってるんだよ⁉」

「婚礼の前にちょっと味見を……」

「ヤダ、ちょっと待って湯玄様! もう、本当に勘弁して……!」

「何を今更。抱いてもいいと言っていたのは其方だぞ?」

「でも、でも……‼ 駄目だって⁉」

 着物の裾を割って侵入してくる湯玄の手を感じた凪は、思い切りその体を突き放した。

 危うく流されるところだった……心臓がうるさいくらい早鐘を打ち、頬に熱が籠り熱くて仕方がない。凪は肩で息をしながら湯玄を睨みつけた。

「何すんだよ、この助平神が! 湯の神の花嫁になるには、清らかな体でいなければならないんだ! そんなことくらい知ってるだろう⁉」

「ケチくさいことを言うな。その湯の神が其方の体を所望しているのだぞ?」

「もう、うるさいなぁ! 湯玄様、いいからいい加減店に出て来て! 宿泊客も来る頃だし。みんな福寿村に行っちゃうから神様不足なんだよ」

「やれやれ。私をこんなにもこき使うのは、其方くらいのものだぞ?」

 顔を真っ赤にしながら、なんとか布団から逃げ出す凪を見て、湯玄が声を出して笑っている。そんな湯玄の声を背に凪は部屋を飛び出した。



 その途中にある、凪の両親の部屋の前でふと足を止める。部屋の障子が開けられており、温かな春風が凪の髪を優しく揺らした。畳を見ると、桜の花びらがうっすらと敷き詰められている。

 凪の両親の部屋には、婚礼の時に凪が着ることになっている白無垢が飾られていた。以前作ってもらった白無垢はもう小さくなってしまったから、和助に手直しをしてもらったのだ。

 この白無垢が届けられたとき、凪は歓喜に打ち震えたのを覚えている。白無垢には可愛らしい姫椿の刺繍だけではなく、黄色い蝋梅の刺繍まで散りばめられていたのだから。

 それを見た凪は、湯滝村と福寿村の復興を心の底から願わずにはいられなかった。

「なぁ、俺は、もう出来損ないの花嫁なんかじゃないよな?」

 凪は誰に問うでもなく小さな声で呟く。「立派な花嫁だ」と皆に認めてほしかったのだ。

「出来損ないなんかじゃない。立派な湯の神の花嫁だ」

「湯玄様……」

 いつの間にか起きてきた湯玄が、凪を背中から優しく抱き締めて、耳元でそっと囁いた。湯玄の吐息がくすぐったくて、凪は思わず肩を上げる。

 湯玄の言葉が嬉しくて、凪の鼻がツンッと痛くなった。

 ――よかった、俺、湯玄様に会えて……。

 凪は、この白無垢を着る日を心待ちにしているのだ。

 白無垢に身を包み、綿帽子を被った凪を、湯玄は綺麗だと言ってくれるだろうか?



「そんなことより、凪。もう一度口付けをしよう。こっちを向いて、その可愛らしい顔を見せておくれ」

「ちょ、ちょっと、誰かに見られたらどうするんだよ!」

「構わぬではないか? ここはひとつ見せつけてやろう」

「おい、こら、湯玄様!」

 湯玄の腕から逃げ出そうと体を捩る凪の体が、突然すっと軽くなる。「なんだ?」と振り返ると、湯玄を羽交い絞めにしている湯庵がいた。

「あ、湯庵様」

「凪、大丈夫かい? 湯玄に意地悪をされたら僕に言うんだよ? 今みたいに僕が守ってあげるからね」

「離せ! 湯庵! 俺の花嫁に気安く話しかけるではない!」

「凪を虐める奴を離せるものか。このままどこかの山に捨ててきてしまうぞ?」

「なんだとぉ⁉」

 そのやり取りがまるで子供の喧嘩のようで、凪は思わず吹き出してしまう。この二人が、本当に皆から崇め祀られている湯の神なのだろうか? そう思うと可笑しくて、涙が出てきてしまった。

 ケラケラと腹を抱えて笑う凪を見た湯玄と湯庵が、ぽかんと凪を見つめている。そんな光景も堪らなく可笑しい。



「湯庵様! そろそろ福寿村に出発しますよ!」

「まったく、主役が何やってんだよ!」

「あ、すまん。今行くね」

 玄関から聞こえてくる声に、湯庵の表情が明るくなる。こんな風に穏やかな笑顔を浮かべる湯庵を見られることが、凪はたまらなく嬉しかった。

「行ってくるね、凪」

「湯庵様、お気を付けて」

 凪は颯爽と玄関へ向かう湯庵を見送る。こんな騒がしい朝が、こんなにも幸せに感じられるなんて……凪の心は熱くなった。

 今の椿屋にはたくさんの個性豊かな神々がいて、笑顔で溢れている。

 椿屋の温泉や料理を目当てに、湯滝村を訪れる旅人も増えて、昔以上の活気で満ち溢れていた。

 源泉の湯が枯れることなんてないし、きっとこの湯滝村は、これから先もずっと豊かな温泉に恵まれ続けることだろう。

「ありがとう、湯玄様」

「は? なんだ?」

「なんでもない」

 凪は心に決めている。いつか、この苦しいくらいの胸の内を湯玄に打ち明けよう、と……。

 凪は湯玄の手を取り、そっと指を絡める。

 もう、この手を二度と離すことがないように……。



「すみません。今日、宿泊することになっているんですが……」

「あ、はい! ただいま参ります!」

 玄関から声が聞こえてくる。どうやら、宿泊客が到着したようだ。

 凪は湯玄に向ってにっこりと微笑む。そんな凪を見て湯玄も幸せそうに微笑んだ。



「いらっしゃいませ。椿屋へようこそ!」

 明るい凪の声が、椿屋に響き渡る。

 出来損ないの花嫁は、湯の神と熱い恋をして……多くの人に幸せを運んだのだった。



【完】

  


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出来損ないの花嫁は湯の神と熱い恋をする 舞々 @maimai0523

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