音楽室のライバル

伊藤沃雪

音楽室のライバル

 私はピアノが得意な小学生だ。

 ピアノ教室にも通っていて、歌唱の伴奏なんてクラスメイトの中でも一番くらいに上手い。

 音楽室に行けば、友達からピアノを弾いて!とせがまれるし、立派に弾いてみせると褒められる。

「じゃあ、次の合唱祭では、悠斗君に伴奏をお願いするわね」

 でも担任の先生は、私を伴奏に指名しなかった。

 合唱祭の伴奏を任されたのは、悠斗君だ。


 長い方の休み時間、音楽室のピアノに座った悠斗君が、先生から渡された譜面を何度か繰り返して弾いている。数回止まりながらも通して弾き終わると、次に演奏を始めた時にはもう曲として弾ける状態になっていた。音楽室の椅子に座って見ている私の前で、まるでダンサーかフィギュアスケート選手のようにして、十本の指が鍵盤の上を優雅に舞っている。

 悠斗君はピアノの天才だ。

 ピアノ教室に何年も通っている私は、ようやくショパンとかドビュッシーみたいな有名な曲を弾ける程度だけど、悠斗君はプロの先生にだって難しい曲を完璧に弾いてしまう。

 いつもクラスメイトや親から比べられて、その度に悔しくなる。誰が見たって差は歴然だ、相手は天才なんだから。

 悠斗君は、本当に伸び伸びとピアノを弾いているのが分かる。素敵だった。ピアノを弾いている時はふわっと身体が浮き上がって、ハイになって、どこまでも行けそうな心地になる。彼の演奏はまるで自由自在に空を飛んでいるみたいに映った。

 私は天高く舞うような悠斗君のピアノと、悠斗君がずっと憧れで、好きだ。

 

 ピアノ練習を終えた悠斗君が、ちょっと照れくさそうに笑いながら隣に座った。

「ずっと聞いてたの? 恥ずかしいよ」

「うん。悠斗君はやっぱり天才だね」

 お世辞じゃなく心底からの言葉で褒めると、悠斗君は険しい顔をして首を横に振った。

「嬉しいけど、僕なんかまだまだだよ。世の中にはもっと化け物みたいな天才がうようよいて……。だから僕、大きくなったらウィーンに行って、ピアノを学びたいんだ。ヨーロッパのプロの元で本場のピアノを学んで、コンクールに出て……誰よりも上手になりたい」

 真剣な様子で話し始めた彼は、次第にどこか遠くを見つめるように視線を彼方へと向ける。活躍する未来の自分を思い描いているのか、目をきらきらと輝かせていた。

「悠斗君にならきっとできるよ」

 胸の焼けるような切なさを押し殺して、彼の背中を押した。

 悠斗君は私なんか全く眼中にない。私が好きな悠斗君は……何よりもピアノが好きなんだ。




 羽田空港の全面ガラスになった窓際で、離陸していく飛行機を見上げる。

 高校を卒業した悠斗は、兼ねてからの宣言通りヨーロッパへと発っていった。ずっとずっと目標にしていたことだから、親や友達みんなが門出を祝って送り出した。

 私は半ば呆然としながら、右手に握っているスマホの画面をこちらへと向ける。

『今まで本当にありがとう』

『こちらこそ』

『がんばって夢を叶えてね』

『うん、元気でね』

『さようなら、ありがとう』

『さよなら』

 チャットメッセージがそこで途切れている。

 高校生になってから二人の関係は近付いた。もしかしたら行かないでくれるかもしれない、なんて期待したけれど、ついぞ引き留めることなんてできなかった。

  

 結局、私、ピアノには一生敵わなかったな。

 本当に高く飛翔して行ってしまった彼を思い浮かべて、真っ赤になった眼の下を手でぐいと拭った。

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音楽室のライバル 伊藤沃雪 @yousetsu

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