令嬢の盗み、王子の盗み

良前 収

花のケーキ

 カレイド王国には女児の成長を祝う行事というものがある。

 毎年三番目の月の三日月の日と決まっていて、ちょうど冬の寒さが終わり春の花が咲き始める時期であることから、田舎の村でもちょっとした祭を行う。人が集まる街であれば半月ほど前から商店や民家の軒先に花の籠やら鉢やらが飾られだすし、当日は露店も並んで甘い菓子の匂いが通りを包む。そして人々は「ああ春が来るのだ」と実感する、そんなもよおしだ。

 特に貴族の娘とその親にとってはなかなかに重要な日だった。三才、六才、九才、十二才の貴族令嬢は、王城の茶会に招待されるからだ。

 と言っても、三才や六才では未だ淑女としても貴族としても教育が行き届いていないのが当然。ゆえに、娘が致命的な粗相そそうをするのを恐れる貴族は茶会に参加をさせず、またこの行事では欠席も不敬とは見なされない習いだった。

 ちなみに、男児のための同じような行事も存在し、五番目の月の満月の日と定められている。けれど、時期がやや中途半端なこともあり、少なくとも庶民の間ではそれほど盛り上がらない。貴族も、嫡男の際は力を入れるが次男以降はぬるくなるのが大抵たいていのこと。

 ただし、女児のための日が妙に重要扱いされているのは、周辺事情というものがあるからだった。


「えっ……当時の国王陛下の……えっと、隠された、御子おこ? ええー?」

「そう、僕のひいお祖父様が、外に作った内緒の娘の顔を見たさに、こんな行事をひねり出したんだってさ。つい最近、教師から聞き出した」

「あー……それで、三才なんてあり得ないくらい小さい子も招待されるー……」

「そういうこと」

 第一王子は大人びた仕草で肩をすくめた。しかしながら、

「あー、ところでー? 殿下はなぜ、こんな生垣いけがきの陰に隠れてらっしゃるのですかー?」

 しゃがみ込んで身を隠す姿は大人びているとは言えない。思いきり口をとがらしたのも、まさに十才の男児らしかった。

「……女児ばかりの茶会に、男の僕が参加させられるのはおかしいから」

「でも堂々とー? 花のケーキケイク・ルルーディオンが食べられますよー?」

 彼に付き合って一緒にしゃがみ込んでいる九才の侯爵令嬢は、わずかに沈んだ声音でその菓子の名を言った。女児を祝う日にだけ作られる、女児のためだけに用意される、とても甘い匂いと味の焼き菓子。

 彼女はそれが大好きで、大嫌いだった。

「花のケーキは、食べたいけれど……」

 王子は口ごもってから、急に口調を強めた。

「それよりアステル、さっきからなぜ僕を『殿下』なんて呼ぶんだ。いつものように『フェリー』と呼べよ」

「それはーですねー……」

 令嬢はいつもの調子で答えようとして、だが言葉を継がずに小さな唇を引き結んだ。

「なあ、アステル?」

 苛立いらだったように王子の指が彼女の腕を突く。

 三回突かれて、幼い少女はやっと答えた。

「私も、物事が分かる年齢としになりましたからねー。わきまえないといけませんよねー」

「なんだ、それ」

 王子の目がますますり上がる。

「誰かにそんなことを言われたのか? 誰だ」

 令嬢は首を横に振った。

「みんな、言いますよー?」

「『みんな』とは誰だ。侯爵や夫人か? それとも教師たち?」

「いいえー」

 王子が挙げた人たちは、他人の目のある場所ではわきまえなさいとだけ言う。だから幼い少女が指しているのは別の者たち。

 しゃがみ込む王子の近くには近衛騎士と侍従が一人ずつ、何食わぬ、素知らぬ顔で立っている。彼らは第一王子専属で常にそば近くに控えているため、令嬢も他人の枠には入れていない。

 彼女が気にしているのは。

 ちら、と少女の目線が一瞬、生垣の向こうへ投げられた。その完全に無意識の動きで、王子は察してしまう。

「他の令嬢たちか……!」

 憤然として立ち上がろうとした彼を、彼女の細い手が止めた。

「おやめくださいー」

「なぜアステルが止める!」

「彼女たちが言うことはー、正しいからですー」

 人目がなくてもわきまえなければいけない。むしろ人目がないところでこそ、わきまえなければいけない。

「私はー、どんな悪いことをするか分からないのですからー」

「なんだ、それはっ! アステルが悪いことなんて――」

 王子の言葉がハッとしたように途切れた。それに、令嬢は大人びた微笑みを見せる。本当に大人のような。

「私は”泥棒令嬢”ですからねー」

 幼い王子はうめいた。


 二人の出会いは、三年前。やはり女児の日の茶会だった。

 七才の第一王子フェリーツィオは、妹たちしか食べられないと言われた花のケーキを食べてみたくて仕方がなかった。それでお付きの者たちをいて生垣に隠れ、貴族令嬢たちの茶会に忍び込むすきうかがっていた。

 侯爵令嬢アリシアは、まだ六才であるのに両親の見栄みえのために茶会に参加させられていた。何かと競い合い対立しがちな別のとある侯爵家が、やはり六才の娘を参加させると聞きつけたからだ。だが年上の令嬢たちに冷たくされ、同い年の侯爵令嬢にも邪険にされて、居心地が悪くなって一人会場外側の庭園の方へ歩いていった。

 まだ七才と六才だった。だから“小さなあやまち”を犯してしまった。

 二人はたまたま出会った。本当に意図せず遭遇した。そして気軽に「花のケーキを持ってこい」と“命令”し、気軽に「持ってきたよー!」と“盗み”を働いた。二人で仲良く食べた特別な菓子は、とても甘くて美味しかった。

 小さな過ちだった。アリシアが自分のハンカチに菓子を包んで持っていくのを、給仕の王城使用人たちや警備の王室騎士たちはもちろん気付いていた。庭園で食べたいのだろう、そういうことをする幼い令嬢はこれまでもいた、と目こぼしした。

 運が悪かったのは、その茶会は七才の第一王子と年齢の近い令嬢が集まっていたこと。十二才はともかく、九才の令嬢たちと六才の別の侯爵令嬢は完全に第一王子の婚約者の座を狙っていた。だから、まったく第一王子のことを気にする様子のないアリシアがかんさわり、冷たく邪険にし――“盗み”を目撃した数人があっという間に話を広めた。「あの令嬢は“泥棒”だ」と。

 アリシアの両親も、広まっていく噂にすぐに気付き、彼女に真偽を問うた。まだ状況が分かっていない幼い娘はキョトンとしながら「庭園で会った男の子が食べたがったのー」と答えた。彼女は相手が第一王子であることも、第一王子からの命令だったことも、分かっていなかった。

 アリシアの両親は相手の素性を察して、密かにしかし強く王家に抗議した。王家側も、使用人や騎士が見逃したせいで生じた悪い評判とも言えるため憂慮していたところで、急いで第一王子へ問いただした。同じく状況を分かっていなかった彼はすんなり事実だと認め、結果、非常に厳しく叱責された。

 王子の犯した過ちを把握していなかったお付きの侍従や侍女、騎士にも責めは及び、何人かは入れ替えられた。さらに“あの日出会った令嬢”の被った悪評を聞かされ、王子は顔を青くした。

「あの子と菓子を食べるのは楽しかった」

「おしゃべりをするのも、遊ぶのも楽しかった」

「もう一度会いたい、どうしたら王城に呼べるだろうと思ってたのに……」

 とうとう涙を浮かべた息子の姿に、国王と王妃は視線を交わした。そしてこれを、世継ぎの王子としていささか不安なところがある長男を、鍛える機会とすることにした。

 アリシアとその家への詫びとして、彼女を非公式かつ密かにではあるが王城へ招く。それを王子に対しては、頑張らせるための鼻先のニンジンにした。

 ニンジンの効果は絶大だった。それまでは頻繁に勉学や鍛練たんれんをさぼろうとしていたのに、「あの子に会うために」「あの子を傷つけないために」「あの子を守るために」を合言葉に必死になった。

 二人だけの茶会当日、幼い王子はその成果を遺憾いかんなく発揮した。まだつたないながらも、以前とは雲泥の差の所作や話し方。時々混ざる子供っぽさもこの程度なら愛嬌あいきょうというもの。

 一方の幼い令嬢も、侯爵家の娘としてしっかり教育が施されているのが見て取れた。たった六才で王城の茶会に参加可能と、親の見栄もあったとはいえ判断されたのも納得だった。

 何より、二人は本当に仲良く過ごした。たくさんの菓子を美味しそうに食べ、絵本を二人で愉快そうに読み上げあう。互いの手を組みあいながら歌う遊びをし、人形を使ってこの王国の建国劇を演じる。互いを褒めあい、笑顔を見せあい、それは装ったこびではなく自然なもの。それでいて、互いに間違えや改善できるところも遠慮なく指摘しあう。王子に対してこれができる令嬢は、稀有けうだろう。

 隠れて二人の様子を見ていた国王と王妃はうなずきあった。令嬢が帰った後、王子が「またあの子に会いたいです、僕、もっと頑張りますから」と言った時に、もう決めた。

 かくして侯爵家に内々の打診がなされ、侯爵家も承諾し、侯爵令嬢アリシアは第一王子フェリーツィオのもとを定期的におとなうようになった。二人は幼馴染みとなり、たまに喧嘩をすることがあってもずっと仲良くて――けれど、アリシアの“泥棒令嬢”の評判は、そのままにされた。

 王家と侯爵家が把握した時にはもう、第一王子の命令だったと公表したところで火に油を注ぐだけになる状況だったのが、理由である。

 やがて、アリシアが第一王子の婚約者に内定したらしいという噂、もしくは事実の情報も自然と流れ始めた。王家とアリシアの両親は、それで彼女の悪評は収まるだろうと考えていた。

 しかしそうはならなかった。ずっと対抗していた別の侯爵家が、到底承服できぬと考えたのか、一気に噂の操作を仕掛けてきたのだ。アリシアの家も反攻に出たものの、事は様々な貴族家――その大部分は第一王子の婚約者の席を狙っていた高位貴族だ――が加わって複雑さと深刻さを増してしまった。

 二人の婚約についてどうするか、両家それぞれが検討し始めていることを、二人とも知っていた。

 その上での、第一王子への「女児のための茶会へ参加せよ」との指示、実質的な国王命令である。


「アリシア」

 無言の時間があってから。王子は表情を改めて、言った。

「僕は、アリシアと一緒にいたい。ずっと、一生」

 令嬢は息を飲んだ。

「ひいお祖父様みたいなことは絶対しないと約束する。アリシアだけだ」

 王子は令嬢の手を取る。やさしく、少し震える自身の手で。

「僕とずっと一緒にいてほしい、アリシア」

 ふにゃっと、幼い少女は笑った。泣き笑いのような表情だった。

「私もー、フェリーとずっと一緒にいたいですー」

 ぱあっと幼い少年が思いきり笑顔になる。

 二人、フフッと声を出し笑いあって、しっかり手をつないだ。

 俄然がぜん、第一王子は立ち上がる。

「じゃあ行こう、アリシア!」

「えっ? えー?」

 引っ張られて侯爵令嬢も立ち上がる。

「どこへー? 何をー?」

 生垣の上に覗いた王子の頭に、茶会会場の令嬢たちが気付いたらしい声がする。

「“泥棒”の名を――」

 幼い王子はにっと悪ガキの笑みを浮かべた。

「僕とアリシア、二人のものにするんだよ!」

 幼い令嬢はぱちぱちと瞬いてから、今度こそ花が開くように笑った。

「二人、一緒ですかー?」

「そうさ!」

 楽しそうに頷きあって。二人は歩き出した。

 向かう先には険しい眼差しの令嬢たち。でも二人一緒なら、きっとなんだってできるから。


 のちに“泥棒王と泥棒妃”と呼ばれる二人の活躍――少なくともカレイド王国にとって――は、この日から始まった。

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