第6話 事件の終息

 川崎市川崎区。人口約23万人。政令指定都市の中心部。 異界と現世が入り交じる街。 川崎という街は、常に奇妙な事件と隣り合わせである。

 川崎港の赤潮は、翌朝には跡形もなく消えていた。

 あれほど異様なほどに染まった真紅の水面は、青く澄み、朝日に照らされて穏やかに揺れている。

 まるで、すべてが夢だったかのように——。


 「ふむ……実にくだらないな」


 雑居ビルの二階、探偵事務所の窓際で、黒猫——東堂仁が冷めた目で新聞を睨みつけながら呟いた。


『川崎港の赤潮、偶然の自然現象か? 専門家は「異常気象の影響」と見解』

「偶然の自然現象、ねぇ……」


 俺は、机の上に積み重なった未払いの請求書を片手で退けながら、苦笑いを浮かべた。


 「こうも簡単に片付けられちまうんだから、世の中ってのは便利なもんだよな」


 だが、あの夜、確かに俺たちは——いや、俺と、東堂と、レイと、それから龍神丸の店主が力を合わせて、魔界から蘇った海竜ヴォルグラースを封じたのだ。

 そしてヴォルグラースは、怨嗟の咆哮を残しながら門の向こうへと引きずり込まれていった。


「ま、世間ってやつは便利だな。知らねぇことにしちまえば、それで済むんだからよ」

「ふん……それにしても、何か引っかかるな」


 東堂は新聞を折り畳み、窓枠に乗ったまま鋭い目を俺に向けた。


「封印は確かに成功した……だが、俺の勘が言っている。この事件は、まだ終わっちゃいねぇ」

「おいおい、そういう不吉なことは酒の肴にするもんだぜ」


 そう言いながら、俺は立ち上がった。


「とりあえず報酬は受け取った。仕事は完遂した。なら、することは一つだろ」


 ——飲みに行く。

 東堂が呆れたように尻尾を揺らしたが、俺は気にせず上着を引っかけ、探偵事務所を後にした。


 ——


 馴染みの居酒屋「龍神丸」。

 カウンター席に腰を落ち着け、俺はビールを一口流し込む。


「いやぁ、生きて飲む酒は格別だな」

「お前、今まで何回死にかけてんだ?」


 店主が苦笑しながら、渋い顔で徳利を手に取った。


「まぁ、何はともあれ、海は元通りになったわけだし……」


 俺はビールを傾けながら、ちらりと店主を見やった。


「今回は世話になったな。親父のおかげで、封印はうまくいった」

 

 店主は何も言わず、一口酒を煽った。

 しばしの沈黙——。


「……俺たちの海は、まだ生きてたってことか」


 ぽつりと店主が呟く。


「そういうこった」


 俺は微笑み、グラスを持ち上げた。


「乾杯といこうぜ。……あの海と、あんたの仲間たちに」


 チン、と静かにグラスが鳴った。


 ——


「さて、と……そろそろ帰るか」


 酒を飲み干し、俺はふらりと席を立つ。

 外に出れば、いつもの川崎の喧騒が広がっている。

 この街は、何があっても変わらない。

 異界と繋がっていようが、海竜が暴れようが、日常は続いていく。

 ——だが。


「なぁ、佐藤」


 歩きながら、俺の肩の上で東堂がぼそりと呟いた。


「これで良かったんだよな?」

「そうだな。多分、あいつらは異界でうまくやってるよ」


 俺は立ち止まり、振り返る。

 遠くに見える川崎港。

 穏やかな水面の奥、海の底——。

 ——そこには、何かが、まだ。


「……気のせいだといいな」


 俺はそう呟き、再び歩き出した。


 「佐藤」


 ふと、後ろから声をかけられる。

 振り返ると、レイが立っていた。


「もう飲んだの?」


 そう言いながら、少し拗ねたような顔をする。


「お前も来てたのかよ」

「ま、ちょっとね。龍神丸の親父に呼ばれてさ。アンタたちが飲んでるって聞いたから、仕事を終えて来てみたところ」


 レイは俺の横に並ぶと、軽く肩をぶつけてきた。


「次は、私も誘いなさいよ」


 その仕草が、どこかいつもより柔らかく見えた。


「……わかったよ」


 俺は軽く笑い、前を向く。

 東堂は呆れ顔で何か言いたげにじっと俺たちの顔を見たが、結局、何も言わずに俺たちの後ろをついてきた。

 俺たちは、川崎の夜の喧騒の中へと歩き出した。


——完——

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川崎が異界と繋がってしまったので探偵として街の平和を護ります8 @CircleKSK

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