ひなまつり

口一 二三四

カラーひよこ

「あれは確か私が小学生ぐらいの時だったかしらね?」


 近所に住むおばぁちゃんが昔話をしてくれたのは三月の始め。

 友達の飼ってるハムスターがうらやましくてほしいほしいと騒いだ次の日のことだった。


「みぃちゃんはカラーひよこって知ってる?」


 しらなーいと首を振るといま食べてるひなあられみたいな色したひよこのことよと教えてくれる。


「ひよこは全部黄色だよ?」


 カラフルなひなあられの中からチョコがついたのを取って食べる。

 ぽりぽりと音をたてればあまじょっぱい味が口の中に広がった。


「普通はそうよね」

「そうだよ」


 おばぁちゃんがひなあられの入ったお皿からしろっぽいのをつまむ。


「でも昔はたくさんの色したひよこが縁日で売られてたの。わざわざ黄色じゃない色をスプレーでつけてね」


 だからカラーひよこ。

 ひなあられをぽりぽりしてからおばぁちゃんはお茶を飲んだ。


「どうして?」

「その方がこどもに売れるからよ。黄色じゃない色したひよこなんて珍しくってついついほしくなっちゃうでしょ?」


 しわしわの指先がひなあられに向く。

 そこにはさっきおばぁちゃんが食べたのと同じ色のあられしか残っていなかった。

 黄色もピンクもチョコももうない。全部私が食べてしまっていた。

 なんだかはずかしくって目を逸らす。

 今年も飾ったからと電話をもらって見に来たひな人形がとても鮮やかだった。


「当時の私もそうだった。お父さんが連れていってくれた縁日でカラーひよこを見つけてね。こう、手のひらに乗るぐらい小さなひよこ達がピヨピヨピヨピヨ鳴くのがかわいっくってかわいっくって」


 顔を洗う時の手をするおばぁちゃんがなにもない手のひらを優しい目で見つめる。


「ハムスターがほしいほしいってお母さんを困らせてるみぃちゃんみたいに」

「困らせてないよ」

「ほんとう?」

「……ちょっと困らせてる、かも」


 去年行った夏祭りを思いだし、出店に並ぶカラーひよこ屋さんを想像してみる。


「ふふっ、いいのよ。私だってそのカラーひよこがほしいほしいってお父さんを困らせてたから」


 ピヨピヨ、ピヨピヨ。

 ハムスターには負けるけど確かにかわいかった。


「「そんなのただのひよこに色ぬってるだけだ」「買ってもすぐ死ぬからお金の無駄だ」って言われたけど、それでもほしいって駄々をこねたの。丁度友達の家でこいぬを見たとこだったから、何でもいいから生き物を飼いたいって気持ちだったんでしょうね」

「私とおなじだ」

「そう、同じね」


 私もお母さんに「ちゃんと面倒見れるの?」「最後まで責任もって飼えるの?」って似たようなこと言われたからおばぁちゃんの気持ちがよくわかる。

 するといい考えが浮かんだ。


「それでそれで? おばぁちゃんはカラーひよこ買ってもらえた?」


 この話をうまくお母さんに話せばハムスターを買ってくれるんじゃないか?

 お母さんはダメでもおばぁちゃんは買ってくれるんじゃないか?

 期待して身を乗り出す。


「「いい加減にしろ!」って怒られたけど、結局お父さんは私にカラーひよこを買ってくれたわ」

「ほんと!」

「出店のおじさんが「一羽買ったらもう一羽サービスするよ」って言って後押ししてくれたの」

「えーラッキーじゃん!」


 おばぁちゃんが買ってもらえたなら私だって買ってもらえる。そんな気がした。

 あっ、もしかして。


「帰ったら早速お気に入りだったクッキーのあき缶に破いた新聞紙敷いてお家を作ったの。そこに赤と青のカラーひよこを入れて、ぴーちゃんとひーちゃんって名前つけて、お母さんとお爺ちゃんに「みてみてー! 私のかわいいひよこちゃんー!」って見せびらかして」


 おばぁちゃんは私がハムスターを買うことに賛成だからこの話を始めたんだ。

 そうに違いない!


「明日学校終わりに友達を家に呼んでぴーちゃんとひーちゃん自慢しちゃおってその日はワクワクしながら眠りについたわ」


 なんて優しいおばぁちゃんなんだろう。

 すぐにダメダメ言うお母さんとは大違い。


「うらやましいーなー。私もハムスター買ったら友達にみせびらかすんだー!」


 やっぱりおばぁちゃんだなって、ずっとずっと好きだけどもっと好きになった。


「でも私は友達にぴーちゃんとひーちゃんを自慢しなかった」

「えっ……どうして?」


 さっきまで楽しそうだった声が少し暗くなる。


「できなかったのよ。朝起きたらぴーちゃんもひーちゃんも冷たくなってたから」


 冷たく、なってた?

 意味かわからなくて首を傾げる。


「動物はね、死んじゃうと体が固まって冷たくなるの」


 言われてようやく、私はカラーひよこが、ぴーちゃんとひーちゃんが死んだとわかった。

 わかったけど、かなしいとかひどいとか思わなかった。

 だってさっき『すぐ死ぬ』って聞いたとこだったから。


「……かなしかった?」


 それが、うまく言えないけど、たまらなく不安になっておばぁちゃんに助けをもとめる。


「酷い話だけど悲しいとは思わなかったの」


 私が聞きたかった言葉をおばぁちゃんは言ってくれなかった。

 おばぁちゃんがかなしんでくれたらこれはかなしいことなんだって、私もかなしむことができたのに。


「それどころか「せっかくお父さんに買ってもらったのにすぐ死んじゃって怒られる!」って気持ちの方が強かったわ。隠そうとしたけどすぐに見つかって……」


 どうなったのかはおばぁちゃんの顔を見ればすぐにわかった。


「お父さんとお母さんにたくさん怒られた後、泣きながらお爺ちゃんと一緒にぴーちゃんとひーちゃんを庭に埋めた」


 なんとなく、私も怒られたらこんな顔してるのかなって思った。


「「こういうひよこはすぐ死ぬようにできてんだ。だから気にすんな」ってお爺ちゃんは言ってくれたけど、違うの。悲しいから泣いてたんじゃなくて、怒られたから泣いてたの。自分は別に悪くないのに。朝起きたら勝手に死んでただけなのに」


 そう口にする姿がいつもの優しいおばぁちゃんに見えなくてビックリした。

 ぴーちゃんとひーちゃんが死んだことをなんとも思ってない冷たい人に見えた。


「正直今でもぴーちゃんとひーちゃんが死んだこと悲しいとは思えない。怒られたことの方が悲しかったって思ってしまう」


 私の視線に気がついて困ったようにおばぁちゃんは笑う。


「大人になってそれがどれだけ酷いことなのかわかるようになった。私はぴーちゃんとひーちゃんの命を蔑ろにした酷い人間なんだって、この歳になっても何かあるたび考えてしまう」


 そっと。

 しわしわの手が私の手に重なる。


「命は重いの、みぃちゃん」


 確かな温もりで握られる。


「どんなに小さくても、大きくても、生きてる間も、死んだ後も、決して軽くはならない。一度背負ってしまえば簡単におろすことはできない」


 まっすぐな瞳が私を見つめていて。


「それを一生背負う覚悟はある? 死んだ時ちゃんと悲しいって思ってあげられる?」


 いつもの優しい、いつもより幼く見える。


「私みたいに、命を蔑ろにする酷い人間にならないって、みぃちゃんは胸を張って言える?」


 私のおばぁちゃんが座っていた。



 家に帰ってからリビングのイスに座り、私はおばあちゃんがしていた顔を洗う時の手をしていた。

 なにも乗っていないそこをじっと見つめて、おばぁちゃんが見ていたものを見ようとする。


……ずしりっ。


ひよこ二羽分にしては軽くない、命の重さが、手のひらから伝わったような気がして。


「……ねぇ、お母さん」

「何度言われても飼わないからね、ハムスター」

「うん、もういいの」

「えっ?」


あの話を聞いてかなしいと、ひどいと思わなかった私に、ハムスターを。


「もう飼いたいなんて、言わないから」


命を背負う覚悟なんて、なかったんだなと。

少し大人になれたような気がした。

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