桃のセックス(KAC20251)
黒墨須藤
桃と伸エ門
「ねぇー、ももせんせーはおひなさま、折れる?」
そう言われて差し出された折り紙を受け取りながら、保育士である桃は、ああそうか。雛祭り。もうそんな時期なんだ、と過ぎ行く時間の早さを実感していた。子どもの頃はあれだけワクワクした季節のお祭りも、今となってはやることが増える厄介な1日でしかない。今日は何をやろうとか考えなくていい、と思った時もあったが、実際はその日までにやらなければならないことの方が多く、ただでさえ山積みの日常業務に、季節イベントの準備が積まれるわけで、こうなってしまうとただただ憂鬱だった。
もちろん、イベントを楽しみにして、ひなまつりの歌を口ずさみながら、折り紙を折る手を見守る子に、そんな大人の事情を気取られるわけにはいかない。表情と心と一緒に、折り紙を折っていく。
「すごーい、せんせーありがとー」
それなりの形になったひな人形を手にして、女の子が走り去っていく。もう少し折り紙があった方が良いだろうか。女の子が他の子に見せれば、欲しがる子が出て来るだろう。走り去る女の子を眺めながら、端午の節句のことに気を移していた。端午の節句は良い。当日が祝日だ。
「男の子は良いなぁ……」
「なにがいいんです?」
ボソッとこぼれた言葉が拾われ、驚いて振り向くと、男の子が座って折り紙を折っていた。
「び、びっくりしたよ、もう……」
気付かれずに折り紙を折っていたのは、伸エ門君。古風というか変わった名前以上に、変わった子と定評があった。
「それで、なにがいいんですか?」
せっせと折り紙を折りながら、先ほどの質問を繰り返す。
「え、え~っと、ほら、今日は女の子の日だけど、男の子の日はお休みだから、男の子は良いな~って……」
そう言うと、伸エ門は折り紙を折っていた手を止めて、こちらをじっと見つめてきた。子どもの純真なまなざしに、心が痛む。しかし嘘は言っていない。
「なるほど」
少しの間を経て、伸エ門が口を開く。良かった。納得してくれたかな。
「せんせいの口で、おんなのこの日、というセリフを聞くのは、たいへん良いですね!」
思わずずっこけてしまうところだった。
何を言っているんだこの子は、と体勢を整えようとしたところで、伸エ門が続けて口を開いた。
「しかし……」
「おとこの子の日というのはもっと良かったですね!」
ガン、と思わず机に頭をぶつけてしまった。
ぶつけた頭をさすりながら、いそいそと折り紙を折る作業に戻った伸エ門に尋ねる。
「その、良かったって言うのは」
「えっちです!」
聞かなきゃ良かった。
そうだった、こういう子だった。
「ど、どうしてそんなことを聞いたのかな~」
本当はあまり問いただすのも良くはないのだが、このまま小学校、いや社会に出すにはあまりに不安だった。いや何か罪を犯す危険性がある。正せるものなら正しておかなければならない。
「ぼくはせんせいのせいじにんが正しいか、すこしだけふあんになったのです」
「ん、んん?」
「せんせいは、はしっていくおんなの子を見ながら、おとこの子は良いなと言いました」
「そ、そっかー……難しい言葉を知っているね~」
せ、性自認か。こんな子どもでさえ、そんなことを指摘する時代なのか。女の子の日とか、男の子の日とか、あまり使わない方が良いのかもしれない。いや、特にこの子の前では。
「うんうん、そうだよね。先生が間違ってた。ひな祭りと端午の節句、こどもの日、が正しいね」
「いえ、端午の節句とあわせるなら、桃の節句と言うべきです」
「……子どもの日とひな祭り」
「桃のセック!」
「やめなさい!」
「ごめんね、先生取り乱しちゃった」
「いえ、みだれたせんせいも良いですよ」
預かっている子どもでなければ、しめてやるところだ。
言っている言葉の意味が分かっているのか、コイツは。
「その、ね、あんまりその言い方は先生好きじゃないから、ほら先生の名前は桃だし」
「もろちんしょうちしていますセック!」
「伸エ門君!」
「しゃっくりです」
「しゃっくりで誤魔化せない部分もあったよね!」
「かみました」
「それにせんせい。こうむいんには、しょくむすいこうじょうの、じゅにんぎむというのがあります。どうりょうやじょうしがやったばあいは、セクハラやパワハラになりますが、子ども、それもことばだけでは、じゅにんぎむのはんいない、と見なされるとおもいます」
こ、こいつ……分かってやってやがる! 〇ーチューバーか? 〇ーチューバーからそういう知識を覚えて来るんか!?
疲れてきたので、その場を離れようとした時、折り紙を折ってあげた子が、友達を連れて戻ってきた。案の定ひな人形を所望するので、折り紙を折ろうとすると、伸エ門は折っていた大量のひな人形を差し出した。
「うわあこんなにたくさん!」
女の子は目を輝かせて、ひな人形を受け取った。さらに折り紙と一緒にクレヨンを持ってきていたようで、クレヨンで顔を描かせたり、折り方を教えたりと、たちまち机は園児で満席になり、桃は外に追い出されてしまった。
そうしていると、ベテランの先生がしばらく大丈夫だから、事務作業をやってきたらと言うので、桃はその言葉に甘えることにした。
事務作業の区切りがついて、伸びをする。あたりはすっかり暗くなっている。暖かくなってきたとは言え、桃の花が咲く気配はまだない。机の上の、園児と一緒に折ったひな人形を手に取る。
「余計なお世話だっつーの」
「すてちゃいますか?」
「うわぁ! し、伸エ門君!?」
いきなり声をかけられて、椅子から落ちるところだった。この子には気配がないのだろうか。
「す、捨てないよ」
「そうですか。ずっとひなにんぎょうをかざっておくと、いきおくれるというので」
ハハハこやつめ。捨ててやろうか、今すぐこの手作りのひな人形を!
まてよ……行き遅れるために、捨てにくいように、手作りのひな人形を渡したわけではなかろうな?
「まあそれはめいしんです。ずっとかざっている、ズボラなかていかんきょうでは、よめのもらいてがすくないということはあるでしょうが」
「……今だと、そもそも飾らないお家も増えたかもね」
男らしくとか、女らしくとか、そういう物を排除する流れ。それもあるかもしれないが、飾るのも手間、買うのも無駄。そういう考えが増えてくれば、やらなくなる家はドンドン増えていくだろう。
「せんせい、トイレ」
「……ん」
伸エ門君でも、この時間のトイレは怖いんだろうか。
個室までついてきてと言われ、中に入ると、伸エ門は個室のドアを閉めた。
「せんせい、今からわるいことをするから、ちょっとだけ目をつぶって」
「悪いことって……」
そう言うと、伸エ門はゴソゴソとズボンを漁り始めた。
「せんせい、だして」
「出して……って」
桃が伸エ門のズボンに手を入れて、中のモノを握った。
「これ、折り雛……」
伸エ門は、トイレの水を勢い良く流し、そこに折り雛を一つずつ流していった。
桃は何も言わず、最後に握っていた自分の折り雛を、同じように流した。
折り雛は水の渦に飲み込まれ、やがて小さな音と共に、闇の奥へと消えて行った。
桃のセックス(KAC20251) 黒墨須藤 @kurosumisuto
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