春~放課後の教室で~

平 遊

大好きです

 春は、一番好きな季節。

 あたたかくて、優しくて。

 新しい出会いが、いっぱいあって。

 でも。

 今年の春は、嫌い。大嫌い。

 だって。

 今年の春は。

 大好きな人との、お別れの季節だから。



「あれ? どうしたの?」


 突然後ろからかけられた声に、私はびっくりして振り返って、そのまま固まってしまった。

 目の前にいた人が、あまりにもステキ過ぎて。


「キミ、1年生だよね? ここ、3年のクラスだけど、誰か探してるの?」


 入学したてでどこに何があるのか全然分からなくて、私はいつの間にか3年生の教室にまで来てしまっていたらしい。


「あ、あの私、職員室に行きたくて……」


 とたん。

 目の前のその人は、一瞬目を大きく見開いたあと、クスクスと笑い出した。


「ごめん、笑うなんて失礼だね。でも、職員室はずっと向こうだよ」


 ごめん、って、その人は謝ったけど、私は全然気になんかならなかった。それどころか、見とれてすらいた。その人の笑顔に。


「ちょうどボクも向こうに行くところだったんだ。職員室まで一緒に行こうか」


 ふいに向けられた優しい微笑みに、心臓が倍の速さで動き出す。


「はい」


 私は、やっとの思いで、コクリと頷いた。



「はい。ここが職員室だよ」


 3年生の教室の前をいくつも通り過ぎ、通路を曲がったところが職員室。


「ここを曲がればすぐだったんだけどね。真っ直ぐ来ちゃったんだね」

「そう、みたいです……」


 顔から火を噴きそうな程に恥ずかしくて、俯いた私の視界で、先輩の足が動く。


「それじゃ、ボクはもう行くから」

「あっ、ありがとうございました!」


 ちょっと振り返って、笑顔を見せてくれた先輩は、数歩行きかけて、何故だかまた戻ってきた。


(あれ……?)


「ちょっと、忘れもの」

「え?」


 訳が分からず、聞き返した私に先輩は言った。


「キミの名前、聞いて無かったなって思ってね。ボクは3年6組、藤 周人。キミの名前、教えてもらえるかな?」

「あ、えと、1年6組、南野 優香、です」


 まっすぐに見つめられて、自分の名前なのにつっかえつっかえ。それでも先輩は、笑ったりなんかしなくって。


「優香ちゃん、か。かわいい名前だね」


 そう言って、瞳を細めた。


「あ……まずい、部長に怒られちゃうな。それじゃまたね、優香ちゃん」


 職員室の時計に目を留めて、先輩は手に持っていた大きなカバンを肩に掛けて。

 バイバイ、と片手を振って歩き出す。


(藤先輩……)


 うっとりとしてその背中を見つめる私の視線の先で、先輩は足を止め、振り返って言った。


「もしまた迷ったら、3年6組においで。いつでも案内してあげるから。待ってるよ」


 じゃあね、と。

 今度は振り返らずに、去ってゆく先輩の背中を、ボーっとして見送って……

 そして、はっと気づいた。

 先輩が、たった今、一緒に来た道を戻っていった事に。


(先輩、もしかしてわざわざ私のために……)



 1年前の春。

 これが、藤先輩との出会い。

 そして。

 私の恋の始まりだった。



「はぁ……」


 ため息しか、出てこない。

 初めて藤先輩と出会ったあの日から、私の頭の中はいつも、藤先輩の事で一杯。

 少しでも先輩と一緒にいたくて、先輩の姿を見ていたくて、私は迷うことなく先輩の所属していたテニス部に入部した。

 マネージャーとして。

 でも、レギュラーのマネージメントをするのは先輩マネージャー達だし、私ができることと言ったら、ボールやネットの片づけと補充くらい。

 それでも、毎日のように藤先輩に会えるのが楽しくて。

 ほんの2言、3言でも言葉を交わせるのが、飛び上がりたいくらいに嬉しくて。

 藤先輩に会いたい。声が聞きたい。

 学校も部活も、その一心で通っていたようなものだった。



『あれ? 優香ちゃん! テニス部に入ったんだ? マネージャー? 大変だろけど、頑張って』

『お疲れ、優香ちゃん。重そうだね、ちょっとこれ持っててくれる? あぁ、大丈夫だよ、これくらい。ただし、他のマネージャーには秘密だよ?』

『優香ちゃん、今帰り? 随分遅かったんだね。お疲れさま。あぁ、ボクは部長とちょっと話があってね。あ、そうだ。この先においしいって噂のケーキ屋さんがあるんだけど、良かったらこれから一緒にどうかな? ボクもさすがに、独りじゃ入りづらくてね。そう、良かった。じゃ、行こうか。ふふっ、何だかちょっとしたデート、って感じだね』

『ありがとう、さっきボクの事、応援してくれてたね。声、聞こえたよ。他の人の声は聞こえなかったんだけど、優香ちゃんの声だけは聞こえたんだ。……不思議だね』



 覚えてる。

 みんな、覚えてる。

 先輩の笑顔、先輩の声、先輩の言葉。

 私の心の中、こんなにも先輩の事で一杯なのに。

 それなのに。

 先輩はもう、ここにはいない。


(さようなら、藤先輩)


 ガランとした、3年6組の教室。

 1年前、私が初めて先輩と出会った場所。

 そして今日は、卒業式。

 藤先輩は今日、この学校から卒業してしまった。

 なのに私、ここに居る。

 待っていたって、先輩がここへ来ることなんて、もう……


「ここに、いたんだ」


(えっ……⁉)


 聞こえてきた声に、耳を疑う。

 だって、この声……


「もしかしてまた、迷ってたの?」


 おそるおそる振り返って私は、そこに大好きな人の姿を見つけた。

 大好きな、藤先輩の姿を。


「先輩、何で……」

「ちょっと、忘れものをしちゃってね」


 言いながら、先輩が私の所へ歩いて来る。


「忘れもの、ですか?」

「そう、大事な忘れもの」


 聞き返しながら、私は、一歩一歩近づいてくる先輩から目が離せなかった。

 胸が、苦しいくらいにドキドキしているのに、先輩から目が逸らせない。


「優香ちゃんに、今までずっと言えなかった事。今日、言おうと思ってたんだ。でもまさかここにいるとはね。教室にも部室にも居なかったから、もう帰っちゃったのかと心配しちゃったよ」


 苦笑を浮かべる先輩に、思わず身を縮める。


「……ごめんなさい、私……」


 先輩との思い出に浸りたくて。

 言おうと思った言葉が、遮られる。

 真剣な、先輩の瞳に見つめられて。


「初めて会った時から、気になってた。そのうち、気づくといつでもキミの事が頭にあった。今じゃ、考えると言ったら、キミの事ばかりだ」


 ふっと、先輩が口を噤む。

 耳が痛い程の、静寂。

 そして、再び開かれた先輩の口からは――


「優香ちゃんの事が好きなんだ。ボクと付き合ってくれないかな」


 時間が、止まった気がした。

 先輩の言葉が、ゆっくりと私の中に染み込んできて……


「……優香ちゃん?」


 心配そうに見つめる先輩に、私はゆっくりと頷いた。



 春は、一番好きな季節。

 あたたかくて、優しくて。

 新しい出会いが、いっぱいあって。

 でも。

 今年の春は、もっと好き。一番大好き。

 だって、隣には藤先輩がいてくれる。

 大好きな、藤先輩が。

 学校は別れてしまうけれど、そんなの平気。

 私、これからも頑張れる。

 ありがとう、藤先輩。大好き!


【終】

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春~放課後の教室で~ 平 遊 @taira_yuu

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