第1楽章[5節] ファーネの記憶
エルの帰りを待つファーネは、あてもなく森の中を彷徨い続けていた。既に太陽は顔を出し、先程よりも少しばかり明るくなっていた。周りに果てなく広がる森林。獣人は人という分類ではあれど、半獣として、森という自然の集大成に散策したい思いにかられる。目一杯に駆け回りたい、草木や動物などを詳細に観察してみたい。幼き獣人の少女ならそう思うことだろう。最も、今のファーネにとってはそんな気分ではないが。しばしばの安らぎを得て、ファーネは今までのことをよく考える。
本当ならば、私はあの時他の者のように死んでいた。今ここに生きているのは奇跡と言ってもいい。とても複雑な気持ちだ。奴隷の頃、最初は自分の人生に失望し、この世の全てを恨んだ、呪った。でも、どうしようもなくて、諦めてしまったのに…………。今は生きていることが嬉しい。けど、今更どうしろというんだろうか。生きるにも、きっと一生森で暮らすことになる。それは私たち獣人にとっては苦でなく、むしろ嬉しいことだ。奴らに見つかるという脅威さえなければ……。彼が助けてくれる?でも、彼が何故私を助けてくれたのか皆目検討もつかない。
ファーネにはもうどうしていいかなどわからない。少女の記憶に刻まれた濃く、そして醜い世界の闇。その闇を一瞬に、一刀にして断った英雄のような存在。突然の相反する出来事は、数時間経った今でも彼女の思考には上手く処理が出来ない。考えれば考えるほど、ファーネの脳内は混沌へと染まっていく。頭が痛い。再び疲れきった彼女は、近くの木に背中を預けるように座り込んだ。
日差しが暖かい。風に揺られる草木達は、嬉しそうにガサガサと音を立てて喋っている。静かで、気持ちがいい。でも、そのせいか森が楽しそうに騒いでいるようにも感じる。力を抜いて休んでいると、人生の中で溜め込んできた、消えることの無い疲れが全身を押し潰すかのように襲いかかる。
(ここなら安心して眠れる気がする。)
そう思ったファーネは、そのまま木に背中を預けて、ゆっくりと瞼を閉じる。
………………
「みてみてファーネちゃん!すっごく広い海だよ!」
誰かが私に語りかける。黒く流れる長髪を、綺麗な三角形の耳を、細く長い尻尾を、それらを激しく揺らして、元気一杯の笑顔で私をみている彼女。地面には足が簡単に沈んでしまうほど、サラサラな砂浜が。その奥には広大な大海原が広がっている。彼女が誰かも、ここがどこかもわからない。
「なにぼ〜〜っとしてるの?ほら、行くよ!」
戸惑う私に、彼女は躊躇なく私の手を引っ張って海の方へと駆けだす。
彼女は楽しそうに笑って走って、強引に引っ張られる私は、時々砂にハマって転けそうになる。そんなことはお構い無しと言わんばかりに、彼女は走る、走る。その背中はとても嬉しそうで、その彼女の背中を見ていると不思議と顔が綻んでしまう。どこか懐かしくて、温かくて、でもそれでいて寂しいような………。
「わ〜〜、綺麗だな〜。近くに行くともっとすごいや!」
彼女は無邪気にも目を輝かせて、海を見渡している。私も一緒になって海を見る。清く済んだ青い海と空。定期的に押し寄せる
「大丈夫?何だか楽しくなさそうだよ………」
わかりやすく耳をしょんぼりさせて、その笑顔から明るみが消える。その様子に焦って、急いでフォローにはいる。
「あ、えと…、そうじゃなくて!あまりにも海が綺麗すぎて魅入ちゃって……。すごく……楽しいよ。」
そう言うと、彼女は笑顔を取り戻し、太陽のように明るく笑う。健気で可愛いらしい、子供特有の笑顔。この笑顔だけは絶やしたく無いという感情が、心の奥底から湧き上がる。この子の名前は未だに思い出せない。きっと大切な友達なはずなのに、いくら記憶を探ろうと見つからない。まるで濃い霧がかかっているかのように邪魔してくる。
「えへへ、そうだよね。ほんとにきれいだね。あ!みてみて!あそこ、すごく赤い!」
純粋無垢な様子で海の奥の方に指をさす。つられて私も目を向ける。青く煌めく海の向こう、水平線の彼方に浮かぶ紅の太陽。それは少しずつ水平線から顔を出し、海も空も紅く染めていく。細波が脚に触れるたび、淡い紅色のグラデーションが果てない海へと広がる。ただただ美しく、私も彼女もその光景から目を離せなくなっていた。
「きれい………。」
気つけば、自然とそう声が出ていた。
「うん、きれいだね。ほんとにきれい………。へへ、夜に抜け出してまで見るかいがあったね。」
「来てよかった……。」
思い出した。全てではなくても、私はこの場所を知っている。海が燃える暁の時、この子と一緒に故郷から外れた所にある海に来ていた。私が……いや、私達が奴隷として売られるようになる少し前のことだ。彼女とは昔から仲が良くて、この時一緒に海を見に行こうって、そう約束したんだっけ。
「あ、やばい!そろそろ帰らないと村の人に怒られちゃう!う〜ん、まだ見たいけど、早く帰らなくちゃ。行こ、ファーネちゃん!」
彼女は握っていた手を解いて、来た道を走っていく。そうだ、彼女はいつも笑って、私に元気を与えてくれた。あの無邪気な笑顔が愛おしくてたまらなかった。それは今でも変わらない。だけど、とても寂しくて悲しい感情が湧き上がってくる。彼女の手を離してはいけない。今すぐに追いかけて止めないと。だって、私達はこの後………。そう思っても、体は動いてくれない。それでも行かないと。そうしないと、私は………彼女は………離れ離れに………。
冥夜を照らすセプテット バイもち @Baimoti
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