宇宙の中の恋

秋色

Distance in space

 私の推しは、みんなと違う。私の推しは数学の教師で、並外れてクールだ。

 クールと言えば、聞こえはいいけど、一年中ほぼ無表情で、他の先生のように周りに生徒は寄って来ない。


 石野遼という名前の通り、石のように硬い印象しか他の子達は持ってないだろう。生徒相手にもタメ口でなく、妙に他人行儀な丁寧語を使う。


 クールで無表情な石野先生のニックネームは『宇宙人』。ニックネームと言っても、本人の前で言うわけでないけど。


 何せ石野先生には謎が多い。どこに住んでいて、休みの日には何をしていて、学生時代はどんなスポーツをしていたのかなんて誰も知らない。独り暮らしという事以外は、他の教科の先生に聞いても、誰も何も分からなかった。

「秘密主義なんだよね」と親友のアイが言うから、私が「ミステリアスなだけ」と抗議する。


 先生は、私とは十二才も違う。十二年を一回りと言うらしい。干支が一回りするのが十二年だからだそう。


 アイは言う。「ミステリアスでもどうでもいいけど、年齢が離れすぎてるよね」


「別に付き合おうとかじゃない。まずは宇宙人を地球に馴染ませたいだけなんだから」



 私には、そうする自信があった。

 なぜなら、その『宇宙人』の微かな笑顔を見た事があるから。

 生徒が問題を解いている間の見回りの時、私のノートの落書きを見た、縁無し眼鏡の向こうの端正な眼が柔らかで、笑っていた気がした。

 その落書きは、二次関数のグラフのU字をグラスに見立て、フルーツパフェの絵を描いたもの。

 決して笑わない石野先生の意外な一面を見た気がした。このまま何とか地球人レベルに持っていく――そんな目標を自分の中で立てていた。




 私は石野先生について、一つ気付いた事がある。それは職員室の先生の机の上の本棚。そこにある一冊の古い革表紙の本を、時々手にしているのを見かける。他は典型的な教科書や参考書関係の派手な表紙なので、何だかその一冊だけが目立つ。そしてそれを手にしている時、いつも冷静な石野先生の雰囲気が少し違って見えた。



 *


「そう言えば、夏祭りの日、数学部のメンバーで商店街に行くって言ってたよ。第二顧問の石野先生も行くらしいよ。商店街の氷の彫刻に使った水の量を当てるクイズイベントがあるんだって」

 それはアイからの情報。



 夏の補習の申し込みに職員室に行った私は、それとなく教師の予定表が書いてあるホワイトボードでそれを確認しようと思った。

 その時、自分の席を離れる石野先生の姿と、革表紙の本を本棚に戻した瞬間に床に落ちた一枚の紙とが目に入った。

 そして、床に落ちた紙を先生の机に戻した時、それが写真である事に気が付いた。



 個人情報をのぞくつもりはなかったけど、つい見えてしまった。写真というものを人生でほとんど見た事がない。いつも画像はパソコンやスマホで見るから。

 四角い紙の中に枠があって、その中に若い女性が写っている。透明感のある綺麗さで、それでいて素朴な感じ。まるで昔撮った写真のようであり、それでいてさっきまでそこにいてはしゃぐ声が聞こえてきそうな、そんな感じの写真だった。

 ただ一つ、直感で分かったのは、きっと石野先生は、この写真の中の人を好きなんだろうなという事。

 席に戻って来た先生は、机の上に写真が置いてあるのを見て、「あ……」と乾いた驚きの声をあげた。

「すみません、先生。床に落ちていたので、拾ったんです」


「ありがとう」



 *


 夏祭りの日、私はアイと商店街のイベントコーナーに行ってみた。数学部のメンバーがいる場所はすぐに分かった。

 そして石野先生も。ラフなポロシャツを着ている姿が新鮮だ。


「あの、先生。私の事分かりますか?」


「分かります。期末試験でBマイナス判定でした」


「あ、そう言う感じの……」


「それと……」


「それと?」


「二次関数のグラフにパフェを描いていました」


「憶えてたんですね。 もしかして先生もパフェが好きとか?」



「いいえ。でもパフェの好きな人がいました」


「もしかして、この間、落とした写真の人ですか」


「ええ」


「えっと、先生のカノジョですか?」


「ええ。でも、もう遠くにいて会えませんが」


「え? 会いに行けないくらい?」


 先生はうなずく。



 その時、先生の眼はうっすらと潤んでいた。そして私は、前に先生が私のノートを見て微笑んだように見えていたのは、その人の事を思い出していたからなんだと分かった。


「あの……私は数学が苦手なので、氷の彫刻の水の量なんて全然見当もつかないです。先生達がクイズで一等とれるといいですね」


「確かに難しいでしょう。この位と予想していても現実には誤差があるので」


 そうだ。数学の苦手な私には距離感といい、全体の大きさと言い、難しい事が多過ぎる。

 だから先生との間にある、とてつもない、何億光年かの距離感が分からない。

 そして先生と先生の好きな人との間の距離も計り知れない。本当に莫大な距離が開いているのか、それとも実は心だけは近くにあるのか。

 一回りは十二年。そこまで行けば先生に近付けるのか、それとも、その分同じ距離を先生は進んでいるのだろうか。


 宇宙で独り交信をとろうと試みている孤独な自分がいた。



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宇宙の中の恋 秋色 @autumn-hue

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