自転車泥棒
ぽんぽん丸
新しい友達
こんなに人間がいるのに、私の友達はいない。繁華街は人でゴッタ返していた。私はペダルから地に降りて進む。自転車の前輪が前を行く人のふくらはぎを叩いてしまわないように気をつけながら進む。
計算をしたことがある。1分間往来の人をざっくり数えて、結果に60をかけた。この辺りは1時間に2400人が行き来する。
だけど私の友達はいない。私には友達がいない。
小学校のころを思い出すと友達がいたと思う。だけどどんなことを話していたのか、今となっては思い出せない。楽しかった、嫌だった、そんな詳細のない感覚が残っているだけで、肝心な友達の作り方や友達の維持メンテナンスの方法みたいな大事なものは悉くない。私は友達についてすべて忘れた。必要なものは、いつも失くしてしまう。
人混みは私の自転車の進みを停滞させた。自転車を漕いでいると地に足がつかない。気を抜けばグラグラとする。不安定さを孕んだまま心地良い風や日差しを浴びることができる自転車が好きだ。なのにまったく進まない。
そうだ、コンビニに寄ろう。セブンイレブンで白バラコーヒー牛乳の小さいパックのやつを買って飲もう。
コンビニの前は駐輪が許可されている風。正確には誰も許可していない。法律、店舗管理、近隣住民、許可を出した人はいない。でも人の数に習って大量の自転車が停まっている。権利者が誰も全員が拒否を示していないからこうなる。
私はコンビニの壁面に向けてみっちりと、本棚に収まる本のように並んだ誰かの自転車の隙間に私の自転車の前輪を差し込んだ。
ちょうど隣にもう1人自転車乗りが駐輪をしようとしている。
乱暴で整理されていないものだからもうスペースがない。私は自分の自転車のサドルを立ててから、その人のスペースを作るため他人の自転車のおしりを持ち上げてずらした。乱雑な並びにほんの少しの隙間が出来る。自転車乗りは私の作ったV字の形のスペースに自転車を置いた。
「どうもありがとうございます」
ヘルメットとサングラスを外して自転車乗りは私に爽やかなお礼を言った。そのままコンビニに向かう。
「鍵をかけた方がいいですよ」
私は思わずそう言っていた。この辺りは治安がよくない。すると自転車乗りは足を止めてくれた。私達は会話をした。
「自転車泥棒の気持ちになったことがありますか。ここは駅からも近いです。人でごった返すこのあたりで自転車を盗んだ方がかえって足をとられてしまいますよ」
確かに私もついさきほど雑踏に阻まれていた。ここで自転車を盗るのは無駄なことかもしれない。
「人の目もあります。悪事は人の目を避けて行われます。衆目は悪を挫くのでコンビニで買い物をするくらいなら大丈夫ですよ」
そう言うと彼は私に向かって笑顔を作ってみせてコンビニに入ろうとする。
「変わり者もいるかもしれません。私があなたに話しかけているように変わり者いますよ」
私はそんなふうに言って会話を続けた。なんだか賢そうな彼を引き留めて会話を続けたかった。
「あなたは本当にいい人ですね。あなたのような人がいるのなら安心です。悪意ある変わり者はきっとあなたのような人に捕まりますよ。私は軽食を買ってくるだけですからあなたもどうかご安心ください」
私を褒めてから彼はまた一段と笑顔を作ってコンビニに入る。耳馴染みのいいコンビニの入店音が聞こえた。
私は彼の自転車を見た。自転車の良し悪しはわからないけど高価なものに思えた。オフホワイトのフレームは所々チェーンオイルが跳ねた雨粒大の汚れをつけているが概ね綺麗だ。
私は近づいて、側でまじまじ眺めた。
マットで上品な光沢のフレームはトラス構造を作っていて頑丈そうだ。地面と平行なラインがないから、シャープな感じがする。チェーンやギアは金属の質感が強い。私の自転車は黒いオイルの質感なのに、銀白色の金属の輝きをしている。
私は彼の自転車のハンドルに手をかけてブレーキを握る。軽く握るとグッと強力にかかった。まだ進んでもいないのに急停止のイメージが湧く。
雑踏は少し収まっていた。13時半。昼食を済ました人々が百貨店や服屋やセレクトショップに移動して、相対的に往来は少なくなる。
今ならある程度快適に進めそうだ。
私は彼の自転車のサドルをあげた。私の作ったスペースから引き出した。右足を大きくあげてまたがった。
人のサドルはおしりに馴染まず変な感じがする。ペダルを漕ぐとすごい加速。半周も回せばこの往来を縫って走るには充分な速度が出る。
「おい!なにしてんだ!」
持ち主の怒号。彼に見せつける。彼の自転車に乗った私の背中。私はアイドリングしながら顔をそちらへ向けて笑顔を作ってみせてから漕ぎ出した。
前を向いて声を出して笑った。
変わり者はここにいた。損得ではなかった。だってあそこに私の自転車が鍵も掛けずに置いたままだ。
今日の繁華街は地元と同じ空をしていた。あれが水色だ。そこにソフトクリームみたいな雲が出ている。
私は友達がいたころみたいに空に向けて大きな声で笑った。久しぶりにこんな風に笑った。繁華街の騒がしさに溶けることなく空の向こうまで笑い声は届いて、遠いどこかにいる小学生の頃の友達の街まで響いた気がした。往来の誰もピュアな自転車泥棒を捕まえようとしなかった。きっと彼らにはできないのだ。
振り返るとすっかりバカを見た賢い新しい友達は必死の形相でランニングをして追いかけてきていた。
私はこの遊びを、もうあと100mだけ、楽しもうと決めてできるだけ無邪気にペダルを漕いだ。
自転車泥棒 ぽんぽん丸 @mukuponpon
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