「特別な人の席」、予約していい?

色葉充音

「特別な人の席」、予約していい?

「突然ですが、わたくし白石しらいし朱音あかね! 波留なみどめ凪無なぎなくんの『特別な人の席』を予約します!」


 特別な人の席、つまりは恋人の座。


 右手をあげて声を張って、画面の向こうにいる推し翠先生からもらった勇気を振り絞る。


 目の前のダークグレーの瞳には困惑が見えた。自分の心臓がやけに大きく音を立てるけど、いつもみたいに「なんてね」とは誤魔化さない。

 手がちょっと震えてるの、バレてないよね?

 推しからのパワーがあっても、やっぱり緊張する。


 今こうして沈黙と戦っている間にも、ソファーの前にあるテレビからは、落ち着いた低めの声が聞こえてくる。

 スーツを着こなした男性のイラストは、低い声が発せられると同時に口を動かす。茶色い髪に隠された左目の色が噂されているこの人は、Vtuberブイチューバーみどり

 翠先生は、わたしと凪無くんを家で二人きりになれる関係にしてくれた素晴らしき推しだ。


 凪無くんと家で二人きりになってすることはただ一つ。翠先生の推し活である。

 二人で翠先生について語り合って、二人でグッズを見せ合いっこして、二人で配信を見て……。その合間に、二人で他愛もない話をして、二人で居眠りをして、二人でご飯を食べて……。

 彼のことが恋愛的な意味で好きだと気づいたのはいつのことだったかな。


 何よりも充実していて何よりも楽しい関係だけど、言ってしまえばそれだけで、それ以上もそれ以下もない。だからわたしは凪無くんの特別な人——恋人になりたい。


 ……そんな不思議そうな顔しないでって。その顔は分かってないんでしょ?


「俺の『特別な人の席』を予約?」


 ほらやっぱり。分かってないじゃん。変なところで鈍感なんだから。


 翠先生と別のとあるVtuberが話しているところを見て、「翠先生とこの子、たぶん恋人同士だよ」なんて言った時は正気を疑ったよね。そのしばらく後に、本当に恋人同士だって情報が出た時は現実を疑ったよ。翠先生たちの人柄もあって炎上するどころかバズってたけどさ。


 大学でも、凪無くんが「あの二人付き合ってるな」って言った二人は付き合ってるし、「あの二人別れたな」って言った二人は別れてるし。


 バレンタインに「チョコもらったから食べない?」って言ってどう見ても本命チョコなちょっとお高そうなものを分けてくるし、「付き合ってください」って言われて「何に付き合えばいいの?」って答えた話を不思議そうにしてくるし。


 人の色恋沙汰には誰よりも敏感なのに、自分へ向けられている好意には全く気づかないっていうね。これまでいったい何人の子を泣かせてきたのか。本当に心配になるレベルだよ。


 でも今はそれでいい。まだ気づかないでね。


 つい数分前、翠先生のお悩み相談企画で、何千分の一を引き当てたんだから。

 「そういうタイプの子には言質を取ることがおすすめだね」って、「君の恋が叶うように応援してる。頑張って!」って翠先生に言われたんだから。これはもう叶えるしかないよね。


 緊張で冷えてきた手をぎゅっと握り、つとめて明るく声に出す。


「うん! 予約していい?」

「? 別にいいけど……?」


 言ったね? いいって言ったね?

 ……騙すような形ではあるけど、凪無くんの恋人の座を予約できたんだよね?


「ふふ、ふふふ。キャンセルはできないからね?」


 口角がどうしても緩んじゃう。

 驚かれたし、呆れられたし、笑われたけど、仕方ないから今は許してあげる。


「それで、その『特別な人の席』って何なわけ?」


 苦笑しながら聞かれる。ここまで来て答えないのはさすがに不誠実だよね。

 凪無くんの恋人の座、凪無くんの恋人の座、凪無くんの恋人の座……。よし、大丈夫、いつも通りに言える。

 あれ、えっと、肺から空気を送り出して、それで……?


「朱音ちゃん? 大丈夫?」

「……あ、うん、大丈夫。ちょっと声の出し方を忘れてただけだから」


 よかった、思い出せた。凪無くんが「大丈夫なやつではないのでは?」とか言ってるけど気にしない気にしない。……本当に大丈夫だからね?

 凪無くんの恋人の座、凪無くんの恋人の座、凪無くんの恋人の座……。目を瞑って深呼吸。よし、言える。言おう。


「『特別な人の席』ってのは、凪無くんの恋人の座ってことだよ」


 言っちゃった。言えちゃった。ちゃんと言えたじゃんわたし。

 ……凪無くん? そっちこそ大丈夫? まばたき忘れてるよ?


 わ、肌がだんだんりんご化してきてるよ? 目が見開かれてるよ?

 ちょっとさぁ、せっかくわたしは顔に出さないようにしてたのに移っちゃったじゃん。……少し目を逸らしたら見えちゃったじゃん。凪無くん、耳まで真っ赤。


 数分経っても、お互いにりんご化は解除されない。あごの下に手をやって、ちらちらとわたしの方を見て、何かをぶつぶつと呟いて……。

 さっきからそれの繰り返しだ。


「……凪無くん?」

「…………ぅえ!?!?」


 自分の喉から絞り出した声は思ったより小さい。返ってきた反応は思ったより大きい。


 あのさ凪無くん、その反応って脈アリって考えていいんだよね?

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