最後のスケッチ

秋色

Go Sketching

 二月の風の冷たい日曜日、南先輩と最後のスケッチに行く約束をしていた。待ち合わせは、私の家の前。


「すみません。ちょっと遅刻ですね」


「別にいいけど。でも進学したら東京で一人暮らしだろ? 寝坊なんてできないからな。気を付けないと」


「はい。分かりました」


「じゃ、行こう。それにしてもつくづく山岸んちって大きいんだな。典型的な日本の昔の家って感じで」


「本当に昔の家なんです。だから大きくてもすきま風だらけです」


「昔の家、か。木で作ってある大きな郵便受けなんて初めて見た」


「ウチにあるのは全部、古くて。それにウチは他の家より郵便物がたくさん届くんですよ。おばあちゃんと同居してるでしょ? おばあちゃん世代は、スマホじゃなくて手紙を出し合うから」


「スマホの方が速いし、封筒もいらないのにな。手紙は途中で行方不明になっても分からないし」


「それでも手紙の良さがあるって。私もちょっと分かる気します」


「そうかな。とにかくこの街自体が古いもんな。この坂道も。山岸、春から東京だろ。しばらくしてここに戻って来たら、きっとギャップが激しいだろうな」



そうかな。私はこの坂道も好き。そう心の中で呟いた。昨日の雨で濡れた石畳が太陽に照らされて、きらきら光っている。六月に紫陽花が咲くと、ますます雨上がりにここを歩くのが楽しみになったっけ。


 坂道に連なる建物のほとんどが、昔からそこにある。どんな歴史があるんだろうと想像しながら歩くのは好きだ。


 坂道には途中、バス停とベンチがある。そこには大きな銀杏の木が、まるで目印のように枝を広げている。特に秋には黄色い葉で覆われて、遠くからも眩しいくらい。あの銀杏の木も昔は小さかったんだっておばあちゃんから聞いていた。


 そう考える間もなく、銀杏の木のある場所まで来た。息が少し切れている。冬の銀杏の木は、細い腕を空に向かって伸ばしている人みたい。


「今日はどの方角をスケッチする? 観覧車のある方? それとも海岸の方?」


「今日は観覧車の見える方にしようかな。高一の冬にクラスメートと乗った観覧車なんです」


 私と南先輩とは、二人の進学前に最後のスケッチに行こうと前から約束していた。家の近くの坂を上ると、街全体が見下ろせる丘の上に出る。

 春から私は東京の美大に、先輩は一浪の後、隣の市の大学の商学部に進学が決まった。

私は、一浪した南先輩が私と同じように東京の美大に進むものとばかり思っていた。そう言ってもいたし。


――でもお金がかかり過ぎるし、将来の就職も考えないといけないんだ――

 そんな南先輩の言葉に抗議できるわけもない。

 美術部で一番仲が良かったけど、彼女なわけでもないし。でも進学先が同じ関東だったら、もしかしたら付き合えるようになるかもと少し期待していた。

 私は先輩と離れても美術の道に進みたいと思っていたから、憧れてはいたけど本当に好きだったわけじゃないのかもしれない。その答えが分からないせいか、あるいは春からの新生活が不安なせいか、昨日は眠れなかった。それが寝坊の原因だ。


 やがて坂の上に着くと、そこには小さな公園と見晴らし台がある。

「いつ見てもここからの風景、最高過ぎる。でもスカイツリーからの風景を前にしたら、ちっぽけに感じられるんだろうな。俺には縁のない話。山岸にはあるかもしれないけど」


「私はきっと何年たっても何十年たってもここからの風景が最高だと感じます。たとえスカイツリーに上っても、それは変わりません」


「そうかな」先輩は言う。「そう言えばさっき言ってたのってどういう意味? 手紙の良さが分かるって」


「ああ。スマホだったら、ずっと前の知り合いには連絡し辛くなるし、そうしてるうち『友達』から外してしまうかもしれないでしょ? でも手紙や葉書、年賀状は、昔の知り合いでも出して可笑しくないって、そう、おばあちゃんが言うんです。おばあちゃんのとこにも時々そんな葉書が来るんですよ。ご無沙汰していますがお元気ですか、という便り。 『冬になると、一緒に北風を受けながら女学校に通った日を思い出します』とか」


「なるほど。そんな考え方もあるんだ」


「そうなんです。だから南先輩もずっとずっと年をとったら、私に手紙を出して下さいね」


「何、それ」


南先輩は笑っている。でも私はいつか先輩から手紙をもらう日を空想していた。


『春が近付くと、一緒に丘の上の公園にスケッチしに行った日の事を思い出します』とかね。


 そしてその手紙の最後には、こう書いてあるかもしれない。『きみは幸せでしたか?』と。

 すっかり大人になってシワもできた私はその手紙に返事を書くだろう。

『故郷の丘から見た風景が今も一番好きです』って。そして『私は幸せでしたよ』って。

 だってたった一度の初恋を犠牲にして選んだ道なんだから。

絶対幸せにならないとね。


〈Fin〉

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最後のスケッチ 秋色 @autumn-hue

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